“ありがとう”がいっぱいのほうがいいよね
先日の母との出来事
母 「掃除機かけた?」
私 「(元気に)かけたよ!」
母 「えっ、これで? ほんとにかけた? 全然かけてないのと変わらないよ」
私 (えっ、そうなの? せっかくやってもこんな言われるのか、これ、“文句”じゃん。 いや、“文句”じゃない、私がもっとうまく掃除機をかけられるように、“アドバイス”してくれてるんだ。)
母 「今度、掃除機のかけ方見せてもらおう。 あまりに変わらない」
後日
母が帰る前に、私は掃除機をかけた。
帰ってきた母は、最近新しく買ったばかりのカーペットの毛並みが掃除機の形になっているのを見て、「掃除機かけてくれたんだ、ありがとう」と言った。
この時、私はなぜかイライラが込み上げてきて、「どうせやっても文句言われるから……」と、言いたくない、言ってはいけないことを言ってしまった。
ここですぐ、「ごめんなさい」が言えたらGoodだったのに、それが言えず、母を怒らせてしまった。
母 「せっかく言ってもそんな“文句”なんて言われるなら、もう何もしなくていい」
私 (うーん、そうだよね、そうなるよね…… いや、でも、ほんとは“文句”なんて言いたくなかったんだ。)
しばらくして祖母が帰ってきた。
この時、私はまだご飯を食べていなかった。 気持ちが整理できなくて、母に何をどう伝えたらいいか、それを考えていた。
祖母 「ご飯食べた?」
私 「……」 (無言)
祖母は何回か私に聞いた。
でも、私は無言、か細い声で「食べた」とは言ったけど、それは祖母に聞こえるはずもなく……
こうして私は、祖母を含めてそこにいた人みんなを不機嫌にさせてしまった。
月経前にトラブルが多発
この出来事があったのは、月経が1週間以内に始まるというタイミングだった。
今までずっと、月経前は何かとトラブルを起こしてきた。
今までを振り返ったとき、トラブルの多くが私がイライラしていたことが思い出される。
つまり、“イライラ”と“トラブル”が関係していそう。
イライラする場面は、何も月経周期とは関係なく、小さくてもよくある。
たとえば、洗濯機を回して洗濯カゴに何も入っていないのに、洗濯機が終わってカゴを見ると洗っていない洗濯物が入っているとか、しまってある食器の順番や位置がいつもと違うとか……
こうして改めて俯瞰すると、イラッとするポイントが小さ過ぎて苦笑するしかない。
“感謝”を当たり前に
こうやってイライラするときの心の中は、「(食器を)しまってくれてありがとう」とか、「ご飯を作ってくれてありがとう」とか、「掃除機のやり方を教えてくれてありがとう」とか、“ありがとうの気持ち(感謝)”があるだろうか。
“感謝の気持ち”は少しはあるかもしれない。
でも、それよりもイラッとした気持ちが全面に出てきちゃう。
鶏卵で例えると、黄身では感謝しているのに、白身や殻ではイラッとしてる。
そんなイメージ。
白身や殻が邪魔で、黄身(感謝)がなかなか出てこない……
“謎のプライド”が邪魔をしてるのかも
どうして黄身(感謝)を表に出せないのか。
それは、「私は自分で何でもできる」とか、“謎のプライド”が邪魔をしてるからじゃないかと思う。
人は、見えるとか見えないとかを抜きにしても、得意・不得意があるものだ。
特に、見えないことで、周りの人の助けが必要になることが多い。
だから、“謎のプライド”を捨てて、やってくれたことには「ありがとう」が自然と言えるようになりたい。
いや、なってやる!
イライラを減らしたい
月経前にイライラするのは、私の体的な要因(ホルモンバランス)が大きいと思う。
だって、家族や周りの人は、何も変わらず接してくれているから。
今、月経前の不安定な時期だけ、朝 / 夕の服薬に加えて、昼に頓服薬を使っているけど、あまり楽になったという実感がない。
通院先の主治医は男性だから、なかなかわかってくれないかもしれないけど、「イライラしてつらい」って伝えてみようと思う。
きっと、月経前の不安定をどうにかするお薬なりなんかあると思うから。
ここあなっつの改革を少しずつ。