デス・ゾーンに追いやったのは。
先日、いつものようにamazonで書籍のチェックをしていると、背筋にへんな悪寒を覚えるタイトルと、よく知っている顔写真が帯に写っている本に出会った。
河野啓氏著の『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』、その本。
すぐに書店に走って、一日で読んだ。
開高健ノンフィクション賞を受賞したとのことだったが、読み終えた感想は、
「確信をついているようでもあり、その一方で何も無い」
というものだった。
栗城史多という、メディアが積極的に創り上げた偶像については、丹念に調べ上げられている。
著者自身もテレビの仕事を通じて彼と関係を持っており、彼がいかにメディアに祭り上げられていったか、その過程に説得力もある。
その点では、確信をついている。
本書では彼の「秘密」にも触れられているが、正直この事実は私自身も2013年にヒマラヤに行ったときにシェルパから聞いていた話だったので、別に驚きはなかった。
「確信をついているようでもあり、その一方で何も無い」
と書いたのは、栗城くん本人が抱える本当の「秘密」に迫ることができなかったという点でそう感じたのかもしれない。
栗城くんは、2018年にエベレストで亡くなってしまった。
本書にもあるが、栗城くんに一番近かったのは、彼の事務所代表の小林幸子さんである。
2016年、講演で栗城くんを学校に呼んだとき対応していただいたのは小林さん。
とても丁寧に仕事をされる方で、こちらのワガママも沢山聞いてくれた。
栗城くんも彼女に全幅の信頼を寄せていた。
栗城くんはすでに故人であり、今更彼からその「秘密」を聞くことはできない。
そして、栗城くんに一番近かった小林さんからも言葉を得られなかった時点で、本書は「何も無い」のである。
本書では、たびたび登山の「定義」や「ルール」という物差しで彼を見ているが、正直私からすれば、これらを強いたことが、彼を後戻りできないデス・ゾーンに追いやった最大の理由だと考えている。
登山の「定義」・「ルール」は、そのとき一番凄い登り方をした人に基づいて構築されたものだ。
植村直己さんの時代は「五大陸最高峰」という「定義」に、みんな目の色を輝かせた。
ドラスティックな「ヒマラヤ鉄の時代」を築いた小西政継さん。
ドラマティックな登山を繰り広げた、長谷川恒男さん、森田勝さん、加藤保男さん。
時代は変わり、登山の「ルール」や「定義」も変容してきた。
現在の登山界において、ラインホルト・メスナーも山野井泰史さんも、竹内洋岳さんも、めちゃくちゃ凄いのは事実。
山ノボラーからみたら、もはやみんな宇宙人クラス。
でも、メスナーと山野井さんでも、対象とする山や登り方は違う。
彼らが他人の登り方に苦言を呈したりすることに異議はないし、登った人だからこそ伝わる説得力がある。
でも、それはあくまで登っているからこそ存在する「ルール」や「定義」なのかもしれない。
登山とは極めて主観的なスポーツだ。
シロウト山ノボラーの私がヒマラヤに行ったとき、実際にあの山塊を目の前にすると、そんな「定義」や「ルール」なんて考える瞬間は正直微塵も訪れなかった。
それぐらい、ヒマラヤは圧倒的である。
そして、気を抜くと簡単に「死ぬ」世界だ。
そこに対峙し続ける栗城くんは、純粋に凄いと思った。
著者も含め多くの人が、当時栗城くんが真剣に山に向き合っていなかったと言っている。
確かに、ブロード・ピークの前まではそうだったのかもしれない。
でも、
2016年に、指のない彼と握手をしたとき、なんとも言えぬ悲しさと覚悟を感じた。
あのときの彼は間違いなく、山と向き合っていた。
そして、彼は私たちが計り知ることのない本当の「秘密」を心に抱えていた。
思えば、あのときすでに栗城くんはデス・ゾーンを越えていたのかもしれない。
と、いうのが私の主観。
あれだけ否定された栗城くんの、山での「自撮り」や「映像の共有」。
しかし、2020年になってYoutubeを見てみると、プロ・シロウト問わず山に登った自撮り映像が溢れかえり、そこに多くの人が「イイネ」を押す。
あの服部文祥さんでさえ、Youtubeチャンネルを開設している。
個人的には、服部さんのYoutubeは毎回楽しみにしている。
このように、私たち消費者は間違いなくエンターテイメントとしての「登山」を欲しているのだ。
この構造は、植村さんの時代から変わってはいない。
そう考えると栗城くんは、ネット社会において、エンターテイメントとして「登山」を魅せることに成功したパイオニアだ。
栗城くんのときは、あれだけ神聖な山登りを冒涜されたかのように憤慨していた人たち。
実際に多くのシロウト山ノボラーが、彼のトレースを追うように、今日もYoutubeに自撮り映像をアップし称賛されている現状について、何を思っているのか。
パイオニアは叩かれ、フォロワーは易易とその道を登る。
事実として言えるのは、ひとつ。
山の登り方、楽しみ方に魅せるという新たな「定義」が加わったということだ。
皮肉なことに、それを創り上げたのは紛れもなく「栗城史多」である。
登山での「ルール」は、実は至極単純で
「死なない」
ということだけだと私は考えている。
そういう意味では、栗城くんは最後だけ、この「ルール」を破ってしまった。
そのことだけが、とても残念でならない。
今、私にできることは、あのとき彼と直接交わした約束を守り続けることだけだ。
「絶対に山で死なない。」