岡山県西粟倉村にて行われたオープンマイクイベント「コミュニティ茶屋wa in あるの森」イベントレポート
こちらは昨年末に行われたイベントについての記事となっております。
開催時、該当地域ではコロナに関する規制はありませんでした。しかし直後に再び蔓延防止措置がとられたため、記事の公開を延期していました。
2022年4月現在、雪は解け規制もありません。またイベントの開催を志す人もきっといるでしょう。そうした人々にとって、当記事が参考になればと願い、記事を正式に公開します。
2021年12月18日
岡山県西粟倉村にて、オープンマイクイベント「コミュニティ茶屋wa」が開催された。今回の開催地は、古民家ゲストハウス&カフェ「あるの森」の店内だ。
縁あって、度々参加させていただいているこちらのイベント。今回はその準備の段階から参加させていただき、イベントレポートを書かせてもらえることになった。
なお、了承をいただいた方を除き個人の特定に至るような描写は極力さけていることを、予め断っておく。
目次
①西粟倉村ってどんなところ?
②オープンマイクイベント「コミュニティ茶屋wa」に込められた想い
③古民家ゲストハウス&カフェ「あるの森」が繋ぐもの
④炬燵で生の演奏を聴くという体験
⑤雪夜に響く、ささやかな賑わい
⑥まとめ
①西粟倉村ってどんなところ?
まず、西粟倉村とはどんなところだろうか。何となく聞いた覚えがある、という人もいるかもしれない。その概要を以下に、簡単に見ていこう。
・岡山県の最北東端に位置し、鳥取県・兵庫県と接している
・面積の約9割が山林であり、原生林「若杉天然林」を擁する緑豊かな地
・岡山三大河川「吉井川」の支流である「吉野川」源流の地
・人口約1500人の小さな村。温泉地でもある。
西粟倉村について何も知らない人がこの概要だけを見れば、「きっととても田舎なんだろうなあ」と考えるに違いない。「そんな田舎でオープンマイクのイベント?」とも考えるかもしれない。
田舎である、ということは否定しない。しかし、ただの田舎ではない。
西粟倉村は以前から「ローカルベンチャー」と称して起業家の呼び込みに力を入れている。実際、それに応じてたくさんの企業が立ち上がった時期もあった。田舎としては珍しいその取り組みが有名になり、今でも、その評判が若き移住者たちを連れてきている。
そんな人々が地域おこし協力隊などの制度も活用しながら、自身の活動を広げるため盛んにイベントを行っており、「コミュニティ茶屋wa」もそうしたイベントの一つである。
②オープンマイクイベント「コミュニティ茶屋wa」に込められた想い
オープンマイクイベントについて説明しておこう。簡単に言えば、プロ・アマチュアを問わず誰でも飛び入り参加でステージに上がることができる音楽イベントだ。
その性質上、決まった流れというものはほとんどない。参加者はタイミングを見て、それぞれの楽器を手にステージへ上がり曲を披露する。そもそも演奏を目的として来る人もいれば、場の雰囲気にあてられて飛び入り参加をする人もいる。時には即席のセッションが出来上がることもある、非常に自由度の高いイベントなのだ。
ステージやマイクを一般の客に向けて開放する、という点から基本的に主体となるのはライブハウス・バー・音楽喫茶のような店側であることが多い。
しかし、今回の主催者はひとみんさん。店のオーナーなどではなく、個人だ。普段は看護の仕事をしながら、合唱で鍛えた歌唱力と幅広いレパートリーを活かして弾き語りなどの活動を、主に岡山県や鳥取県を中心に行っている。その歌声は、弾き語りイベントの観客はもちろん、看護の仕事で訪れた施設の入所者からも評判だという。
個人が主催するには少しハードルが高いオープンマイクイベントを、西粟倉村に初めて持ち込んだのもひとみんさんだ。
人々が自然と集まり交流をし、新たな流れを生む。そんな、「茶屋」のような場所作りがしたい、というのがイベントを主催しようと考えたきっかけだという。
集まった様々な個性が「和音」のように響き合い、そうして出来上がった音楽がまた広がっていったら。そんな願いが、「コミュニティ茶屋wa」という名前には込められている。
③古民家ゲストハウス&カフェ「あるの森」が繋ぐもの
今回イベントが行われたのは、日本人の夫とタイ人の妻とその家族できりもりしている古民家ゲストハウス&カフェ「あるの森」だ。
ノスタルジックで大きな茅葺き屋根の建物、その店内は和モダンに改装されており、昼間はカフェとして本格タイ料理や創作スイーツなどが楽しめる。夜は居酒屋営業や宿泊をしており、囲炉裏のついた掘り炬燵を囲んで鍋や炉端焼きをしたり、敷地内での焚き火やグランピングなどのサービスも行っている。
この他、レンタルスペースのサービスもやっている。この素晴らしいロケーションを一棟貸しするというもので、今回のようなイベントをしたい。何かの記念をやりたい、という方に向けたサービスだ。
夫である小林辰馬さんは作詞作曲やバンド活動なども精力的にやっており、今回のイベントについて機材面でも協力をしてくれた。
「場所にはそれぞれ役割があって、それを全うさせてやるのが一番いいと信じているところがある」小林さんはそう語っていた。
この「あるの森」は、元々「天徳寺」というお寺だった。その宿坊だった部分を店舗に改装しており、今も敷地内に護摩堂がある。修験道で有名な「後山」に近く、その縁も深かったようだ。かつては多くの人の信仰を集めていた。今でも時折、客としてではなく、参拝に訪れる人もあるという。
お寺というのは元々、信仰の拠点としてはもちろん、地域の集会など、人々の集う場所という役割があった。
「自分たちの商売を通して、人々の集う場所という役割を、時代に合う形でもう一度与えてやれたら」と語っていた小林さん。今回のイベントは、まさにそうした願いにも叶うものになった。
④イベント当日〜準備編〜
その日は、朝からまれに見る大雪だった。豪雪地帯で知られる西粟倉村だが、近年は温暖化の影響からかそれほど積もったりはしなくなっていた。
当時、少し落ち着いていたとはいえコロナ禍のため、対策のため人数を絞り予約制にしていた。その予約がことごとくキャンセルになってしまったらどうしようか、そんな不安がよぎるほどの雪だった。
冬タイヤが前提の地域とはいえ、路面の凍結は恐ろしい。運転に慣れていない人では外に出ようという気すら起こらないかもしれない。その点、「あるの森」は田舎ながら「西粟倉駅」のホームから見えるほどの駅近な立地だ。電車で来るという手もあるだろう。
まあ、私は車で来たのだが。
私を含むこの地域の人々は車前提の暮らしをおくっているので、基本的に駅は使わない。しかし、例えば都会で暮らす免許のない人や海外からの観光客にとっては、アクセスしやすい立地といえるだろう。
扉をくぐると、店主小林さんの父がリペアしたギターたちやタイの雑貨などが迎えてくれる。さらに奥に進むとカウンターがあり、その向こうが調理場になっている。薪ストーブや壁掛け電話など、店内はノスタルジーに溢れていて、今風に言えば非常に「映え」のある光景だ。
大きな掘りごたつの部屋の他、和室が三部屋。普段は襖で間仕切りがしてあるが、それを取り払うところから準備が始まった。「あるの森」で音楽イベントをやるのはもう四度目。小林さんの音頭のもと、全員が手際よく準備を進めていく。奥の一部屋にマイクやドラムセット、ひとみんさんの手配したキーボードなどをセッティングし、特設ステージの完成である。
冬場のため、客席はこたつ。カウンター前に特設された屋台でおでんが良い香りを放っていた。古民家のこたつでおでんを食べながら、生の演奏を聴く。全国で様々な音楽イベントが行われているが、似たものを探すのは難しいだろう。多くの人にとって、他では得難い特別な体験となったはずだ。
⑤雪夜に響く、ささやかな賑わい
日が落ち、開演時間が近づく。雪の勢いは衰えぬまま。駐車場の雪かきをしながら、演者・観客とも無事にたどり着けるだろうか、などと話をしていた。
そんな私たちの心配をよそに一台、また一台と到着しはじめる。車を降りた人々は皆「寒い」「雪で大変だった」と言いながら、いそいそと店内へ向かった。
しかし、その声色はどこか楽し気で、出迎え労う声までつられてしまう。そこに雪を踏みしめるザクザクという音が混じるのを聞くと、何故だか懐かしい気持ちがした。もちろん、この寒さの中でおでんが喜ばれたのは言うまでもない。
結局、予約席は無事に全て埋まった。村内だけでなく、近隣の町から訪れた人もいた。中には自前のギターやウクレレを引っ提げてきた人もいた。時勢がら、演奏を披露する機会が減っていることもあってか、皆うずうずしているように見える。
こうして、コロナ禍中のささやかな賑わいは幕を開けたのだった。
先にも述べたように、オープンマイクイベントに決まった流れはない。演者たちはそれぞれ自分のタイミングでステージに上がる。一曲披露したら次の人に番を譲り、出番が一巡したらそのサイクルをまた回していくのだ。
演者には、個性豊かな面々が揃っていた。
主催者のひとみんさんは、合唱経験者らしい伸びのある声で高音も軽やかに歌いこなす。オリジナル曲の他、様々な年代の曲をレパートリーとしており、他の演者を誘ってはステージに引っ張りあげていた。音楽を通じて人の交流を生み出すという「コミュニティ茶屋wa」のコンセプトを自ら体現していたと言えるだろう。
小林さんがボーカルを務める「FTATZ」は、参加者で唯一のバンド。イベント通して落ち着いた曲調の弾き語りが多い中、ドラムとベースを備えたバンドはやはりとても華やかに見える。曲や演出の作り込みが深さが、観客をぐいと惹きつける。イベント全体に、良いメリハリを生んでいた。
具体的な名前などは伏せるが、その他の演者も負けてはいない。
ソロギターならぬソロウクレレでマイケルジャクソンを弾くという、その場全員の意表を突いた人。小林さんの父のフォークデュオは、その渋いギターと歌声、息の合った軽妙なMCで拍手と笑いを集めた。唯一のキーボード奏者はクリスマス間近の雪夜にふさわしい穏やかな音色で会場を満たし、「最近日常がうまくいっていない」というMCから始めたその人の歌は、その選曲も含めて一番情緒的に響いていた。
主催以外でオリジナル曲を披露したのは一人だけであり、その際立つギターの腕前は場を圧倒した。そこにドラマーでもある小林さんが声をかけ、ブルースのセッションを行うなど、まさにオープンマイクならではの光景も見られた。
そうした個性豊かな面々、様々なステージの中で、一番心に残っていることがある。
その人は、ウクレレを手にステージに立っていた。その透き通る歌声は良く響き、ウクレレの音も会場の和やかな雰囲気とマッチしていて、ステージの評判は非常に良かった。演奏を終えて席に帰る姿を、まだ学生のお子さんたちが迎える。その様子も相まって、皆微笑ましく思っていた。
出番は巡り、またその人がステージに立つ。隣には、お子さんも立っていた。一緒に来ていたのは親子でステージに立つためだったのかと、会場の全員が思ったに違いない。
しかし、そうではなかった。お子さんは元々ステージに上がる予定はなかったが、他の出演者の姿や会場の雰囲気を見て、自分もやってみたいという気持ちが芽生えたらしい。その希望に応えて急遽、とウクレレを準備しながら話していた。
用意してきた曲をやり尽くしたため同じ曲を、今度はお子さんと一緒に歌い始める。お子さんはというと、自ら希望したこととはいえ、人前にも関わらず萎縮せず堂々と歌いあげ、最後には「ありがとうございました!」と高くピースサインを掲げたのだ。その姿に、会場はその日一番の拍手を送った。
イベント終了後、お子さんの飛び入り参加を、主催者の二人は「オープンマイク冥利に尽きる」「やった甲斐があった」と大変喜んでいた。本当の意味での飛び入り参加を起こせたという、オープンマイクイベントの醍醐味は、まさにそのお子さんによって果たされたのだ。
また、自分たちの姿がその大胆な行動を生むほどの影響を与えたことが嬉しいとも語っていた。それは他の演者にとっても、きっとそうだろう。
個人的には、また別の理由で深く心が動かされた。
一つは、急なことにも関わらず、慌てずすぐに子供の希望に応えた点。そしてもう一つはそのお子さんが、飛び入り参加という、勇気の必要なことを楽し気にやってのけた点だ。
実は、私も少しだけ演者側としてステージに上がったのだが、上がる直前までどこか尻込みをしていた。そんな私とは対照的に、思い切り良く飛び込んで堂々と歌い上げるその姿に、衝撃を受けたのだ。掲げたピースサインは、私にとってはとても眩しかった。
⑥まとめ
まず、体験としては非常にオリジナリティがあって面白いものだった。古民家の炬燵でおでんを食べながらのオープンマイクイベント、というのは字面だけ見ても面白い。誰にとっても良い思い出になったのではないだろうか。
上に書いた他にもコラボやセッションがあり、オープンマイクイベントとしての醍醐味もあった。本格的なライブハウスなどと比べると音楽的、技巧的には劣っていたかもしれない。しかし、イベントの雰囲気としてはバランスの良いものだったと思う。
今回のイベントがきっかけで、一緒に音楽をやることになった人もいる。人と人との交流という、「コミュニティ茶屋wa」本来の目的も、良く達成できていたのではないだろうか。演奏の合間に湧く笑い声や、ピースサインに送られた拍手がその証拠だ。素晴らしい和音が、確かに響いていた。
暖かくなったらまたイベントをやりたいと、主催者のひとみんさんは話していた。2022年4月現在、コロナの勢いも少し弱まっている。具体的な予定はまだ未定だが、希望する声があればこそ具体性も増していくというものだ。
また、あるの森では今もレンタルスペースのサービスをやっている。オープンマイクに限らず、何かイベントを自分でもやってみたいという方は、コンタクトをとってみると良いだろう。
いずれの場合にも、本イベントとこの記事が参考になれば幸いである。
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