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おばあちゃんと くるみ餅
昨日は、母方のおばあちゃんの話を書いた。そしたら、父方のおばあちゃんが、おばあちゃんのことも書いてっと言っているような気がするので、書くことにしよう。
父は男三兄弟で、父の兄の子ども達も男三兄弟だった。
なので、おばあちゃんにとって、わたしは初めての女の子であった。そのせいもあってか、大層可愛がられた。なんか、猫の手だけのぬいぐるみ買ってもらったような気がする。ギュッと握ると、猫の手が手招きするようなふわふわのやつ。
七五三の時、7歳といえば自分の好みも出てくる頃だ。なのに私の好みも聞かずに勝手に着物を準備されてしまった。しかも趣味に合わない色合い、さらに似合わないお化粧をされて、すごく嫌だったことを覚えている。ぶすーっとした顔で映っている写真が残っている。
母も、私の着物を選ぶのをそりゃもう楽しみにしていたのに、その楽しみを奪われた!!!と、怒っていた。
そんなこんなで、父方のおばあちゃんと母は折り合いが悪く、ありがちな嫁姑問題が勃発していた。父は次男なのでまだマシだと母は言ってた。長男のお嫁さんはもっと大変そうだ、と。「結婚するなら絶対に長男はやめておきなさい」が、母の口癖だった。
そういう訳で、いつしか父と私だけが、夏休みにおばあちゃん家に行くようになった。
おばあちゃんと一緒に、くるみ餅を作って食べたことを覚えている。
味見して「何を入れたらいいと思う?」と聞かれ、私は「うーん、塩かな」と思ったのだけれど、間違ってたら恥ずかしいので言えなかった。
そしたら、おばあちゃんは「あとちょっと塩だね」と言って、ほんのひとつまみの塩を入れた。塩を入れる前後で、こんなにも変わるのか!と衝撃的だった。
おばあちゃんは、編み物が得意で、編み物を教えてもらったような気がする。大学受験くらいの頃には、毛糸で編まれた大きなブランケットをもらった。おばあちゃんが亡くなったあとに「あぁ、あのブランケットは、一体いつ手放してしまったのだろうか」と、ようやくありがたみに気がつく。
社会人になって、岩手県の盛岡に出張に行った帰り道、新幹線の中で震度5の大きな地震に遭遇してしまい、新幹線が止まった。怖すぎる。東日本大震災の津波の映像がよみがえる。
しばらくして、車内アナウンスが流れた。このままいくと、東京に着くのはいつになるのか分からない、次の駅まであと5分位なので、徐行運転再開しますとのアナウンスが流れる。
今、一体どの辺だ??
携帯で位置情報を見た。
その瞬間、涙がでた。
あぁ、ここは、、、
おじいちゃんとおばあちゃんちがあった、一関駅のすぐ近くだ。
海からは離れている。
津波の心配はない。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんが見守ってくれている、そう思えて安堵した。
このまま新幹線に乗って、眠れぬ夜を過ごすのも嫌だし、また余震が来ても怖いので、一関駅でホテルをとって1泊してから帰ることにした。会社の許可もおりた。
その日は、なんとなく嫌な予感がして、モバイルバッテリーと、下着を鞄に入れて出張に行っていたのが、功を奏した。(もしかして、なんらかの能力者なんか?)
ホテルに着くと、おじいちゃんとおばあちゃんが「ここでゆっくり休んでいきなね」と言ってくれているような気がした。そのおかげで熟睡できた。
翌日の朝食では、くるみ餅とずんだ餅が出た。
ひとり涙を堪えながら、くるみ餅を食べる怪しい人、それが私だ。
おばあちゃんのくるみ餅には、到底及ばなかったけど、美味しかった。
涙の味がした。