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やせなきゃ!と焦るときは・・・
◆ダイエットしなければ、リバウンドしない
姉さんは言った。
「やせる目的のダイエットさえしなければ、リバウンドしないよ」と。
はい??
ダイエットって、やせる目的でするものではないんですか??
すると、姉さんは私に辞典を手渡してきた。今時、紙でペラペラめくるやつで調べるのかーとも思ったが、まぁペラペラめくって"diet"を調べてみたところ、、、
diet
1. a way of eating in which you only eat certain foods, in order to lose weight, or to improve your health
2. the kind of food that a person or animal eats each day
3.a diet of something
4.old-fashioned an official meeting to discuss political or church matters
(しかも、英英辞典かよっ)
なるほど、確かに「やせる」の意味だけじゃないようだ。(正確に訳せたじゃないけど)
いつから、diet=やせること、になっちゃったんだろう。日本でも平安時代の頃はふくよかな女性が人気があったとかで。
いつの時代も、体型とか見た目とかに関する流行のようなものがあるんだなぁ、と私は思った。ただ、同時にこうも思う。
◆流行りの体型、美しいとされる基準の謎
その時代を生きた人たちも、流行の体型、美しいとされる基準に対して息苦しさを感じていた人も多かったんだろう。流行に追いつこうとして、無理した人もいただろうし、なんて自分はダメなんだろうと思い悩んだり、自分の価値を感じられなくなったり。現代だけではなく昔もそういう思いを抱えた人が大勢いたんじゃないかな。
その時代の大多数の人が良きと思い込んでいた流行に、踊らされてきた人たち、踊らされているとも気がつかないまま疲弊した人もいっぱいいたんだろうな。
その数の分の痛みが、今もこの世に残っている。
ように感じられる、ような気がする。
その、驚くほど大きな痛みの数々を想像しながら、わたしの中には、こんな問いが生まれた。
「わたしは、一体いつまで、周りからの評価、他人の意見を気にして生きていくつもりなのだろう?」と。
その時はまだ、まさかわたしが、やせる目的のダイエットをしなくなる日がこようとは、夢にも思っていなかった。
◆幸せな小太り姉さんとの出会い(実際に小太りな訳ではない)
いまとなっては、姉さんと呼んでいるが血のつながりがあるという訳ではない。わたしがひどく落ち込んでいた時に、偶然声をかけてくれたのが姉さんだった。
姉さんと出逢ったのは、わたしが小学校3年生で、夏休みにおばあちゃん家に遊びにいったときのこと。おばあちゃん家の近くの公園で、地元の子たちと遊んでいた記憶がある。その中に、学年が1個上の男の子がいた。
身長がわたしよりも低いことを、とても気にしているようだった。その様子を見かねた男の子のお母さんは、わたしに聞こえるくらいの大きな声でこういった。
「気にすることないわよ。体重もあっちの方が、だいぶ重そうだから」と。
その瞬間、時がとまった。
頭の中は、真っ白になった。
わたしは、どこか異空間に、別の世界に放り出されたような感覚で、クラクラとめまいがした。自分自身の存在自体を、全否定されたかのような感覚だった。
(え? 今、何て言った?)
その言葉を悪意の塊として、受け止めるしかできなかった。
言葉をうまく受け流す方法や、
バリアを張って自分を守る術を知らなかった。
わたしは、その言葉を、本当のこととして、自分の中に受け入れる以外の方法を知らなかった。
まさに、そのとき、呪いにかかってしまったのだ。
「やせなければならない」の、呪いだ。
◆やせなければならない、の呪いにかかる時
いわゆる肥満というわけではないが、他の子と比べるとポッチャリめな体型だったわたしは、そのことを少し気にしていた。そして、そういうことを気にする年頃になってきた頃でもあった。
「やっぱり自分は太っているのか」と絶望的な気持ちになっていた。
その場で呆然と立ち尽くすしかなかった。
男の子と男の子のお母さんは、いつの間にかいなくなっていた。
「体重もだいぶ重そうだから、、、」
という言葉が脳内に響き渡る。その言葉を最大限、悪い方に受け取ったわたしは、ザックリと心臓を刺されたかのような痛みを感じていた。
(いま思えば、あの言葉を武器に変換して自分に突き刺したのは、わたし自身かもしれなかった)
◆やせなければならない、の呪いをとく方法
そんな時、そばにいてくれたのが姉さんだった。
「いま、なにを感じている?」
え?えっと、、、。
(そっか、姉さんにも聞かれちゃってたか、、、。)
えっと、、、そうだな、、。
あんなこと言うなんて、なんて嫌な人なんだって。
「そうか、嫌な人だなって思ったんだね。」
「他には?」
なんで聞こえるように、大きな声で悪口言うんだろうって。
「うんうん、そっか」
「今思っていること、なんでも言っていいんだよ。私がそばにいるから。」
姉さんの問いかけに、ポツポツと答えていく内に、どんどんと心の奥底にある黒いものが溢れ出てきた。今まで、なんとなくその黒い気持ちがあることを感じながらも、あえて見ないように、表に出てこないように蓋をしていた本当のきもち。
わたしが気にしていることを、大人が子供に対して言うだなんて、ひどい!! なにもわざと人を傷つけるような言葉を言わなくたっていいのに!!
という、怒りの感情が爆発した。
◆被害者意識に気づく
被害者はわたし
加害者は男の子のお母さん
こういう構図だ。
姉さんは、この構図が出来上がっていることに気がつかせてくれた。自分を被害者と設定したのは、他の誰でもない。かわいそうなわたし、というポジションをとって、姉さんや周りの人達に優しくして欲しかった。そうやって、自分の存在を周囲に認めて欲しかった。
◆怒りの感情を見つめる、吐き出す
わたしの怒りが噴出しているとき、姉さんはそばにいてくれた。わたしの中に蓄積されてきた怒り数々は、痛みとともに外に吐き出されていった。
こらえていた涙をとめることができず、わたしは泣きじゃくりながら叫んでいた。
どんどん流れる涙と鼻水、、、
不思議と、淀んでいた心が少しずつスッキリしていく感覚
姉さんは、わたしが泣きつかれて落ち着くまで、ただ側にいてくれた。それが、すごくありがたかった。
◆あなたは、やせようとしなくていいんだよ
姉さんは言った。
「あなたは、やせようとしなくていいんだよ」
朝起きて、朝ごはんを食べて、学校へ行って、給食をたべる。
友達と遊んで、宿題して、家のお手伝いだけじゃなく、好きなこともして、夕ご飯を食べて、夜はぐっすり眠る。
そうやって規則正しい生活を送って、自分の好きなことをする時間を持つことが大切なんだよ。
「やせなきゃ!」って、思わなくていいんだよ
その日1日を生きて、自分を守ってあげるのが大事。1日3回の食事をたべていればお菓子を食べ過ぎることはない。そんで缶蹴りとか、ドロケーして遊んでいれば大丈夫だからね。
◆やせなきゃ!と焦る気持ちが出た時は
この先も「やせなきゃっ!」て気持ちになって焦ったときは、いつでも会いに来てね。わたしが何度でも、あなたに言ってあげるから。
「あなたは、もう、やせようとしなくていいんだよ」って。
そして、自分自身でも「大丈夫、もうやせようとしなくていい」って、心の中で言ってあげてね。
◆周りに認めて欲しかった
当時は気がつかなかったけれど、大人になった今、分かったことがある。
「やせなきゃ!」と焦る気持ちがでた時は、その気持ちに隠れている宝物が見つかる時だということ。
当時のわたしは「やせなければならない」の呪いにかかることで、大人にひどいこと言われて傷ついた可哀そうな子。とうポジションをとって、周囲の人にかまって欲しかった。優しく接してもらうことで、愛されていることを、確認したかった。
だから、本当は別に「やせたい」訳じゃなかったんだ。
やせなきゃ!の呪いを解くステップ【まとめ】
ステップ1
あなたが周囲に投げかけられて傷ついた言葉に、気づく。
モヤモヤした気持ちを見つめる時間を持つ。
被害者意識に気づく
ステップ2
その言葉に対して、自分がどう感じたか、全て吐き出す。
泣きたいなら泣きじゃくる。鼻水もティッシュに出しまくる。
(一人になれる場所とか、お風呂の中とかだと、泣きやすいかも)
ステップ3
深呼吸
水分補給
涙や鼻水を拭いたティッシュをゴミ箱へ
ステップ4
呪いのような言葉を、呪いとして受け入れるのか
呪いのような言葉を、呪いにせず「光」に変換するのか、選択をする
ステップ5
ステップ2で出てきたネガティブな感情の裏側に隠れている「光」を見つける