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強く儚いわたしたちのために
毎日noteを続けて43日目、書くことが習慣となってきたように思います。何を書くかは、その時の気分次第で、心の中にアクセスして、今、本当に書きたいことを書いてみる、ということを大切にしようと思っています。
読んでくださる方のために、良い記事を書きたいとう気持ちはもちろん山のようにあるのですが、なぜか誰かに「良い」と思われるための記事を書こうを思い過ぎてしまうと、「嘘偽り」とまではいかないけれども、事実よりもちょっと誇張してみたり、綺麗に見せようとしたり、そういう小細工をしてみたくなったり(できもしなくせに)、「良い記事と思われたい」気持ちが大きくなりすぎると、そのことがプレッシャーとなり、何にも書けなくなってしまう、といったことが起こるようです。これは、わたしの場合ですが。
一体、誰に褒めて欲しいのだろうか。
一体、何を求めて書いているのだろうか。
だれに? より多くの人に。 それとも、たったひとりの誰かに。
なにを? より多くの共感を、求めている?
書くことによって、自分自身を取り戻していく感覚を求めているのかも。
これまでは、ただ何となくテレビを見て過ごしていた30分間を自分と向き合うために使うことにしました。
今こうしてnoteを書くことが、わたしを見失わないための、ルーティンになってきていることを嬉しく思っています。
以前、自分を肯定する時間が増えると生きやすくなるらしい、ということについて書いたことを思いだしました。
まさしく、今、毎日少し時間をとってnoteを書く時間は、わたしを肯定してくれる時間となっています。たしかに、色々ある毎日だけれども生きやすくなっている気がします。
最近テレビでCoccoさんの曲を聴きました。すごく素敵。
次の日、もうテレビで顔出しをしないというニュースが。
これまでCoccoを見てきてくれたファンのみなさんなら私が表にでることが苦手だと知ってもらえていると思います。そんな中、これまでなんとかがんばてきたつもりだけどデビュー25周年までこれたのなら、この先はもう本当に自分が辛いと思うことは減らしていってもいいのではないかと思いました。
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こうやって、自分が辛いと思うことを減らしていくということは、生きやすく生きていくために欠かせないことだなぁ、と共感しました。これからの活動も陰ながら応援しています。
本当は嫌なことも、例えば仕事で「やらなければならない」ことなので、自分の感覚を麻痺さて辛くないと思い込んで耐えてきたことが誰にでもあるものだと思います。
ほんとのほんとは辛いのに、それを感じなくなっていた。
そうしなければ、仕事を続けられなかったので。
わたしにとって、そのひとつは満員電車に揺られて会社に通うこと。
コロナ禍によって、出社する日数が減ったことと、ほんの少し電車にスペースが生まれたことでどれだけ嫌だったのかに後々になってから気づいた、というケースな訳です。
人は強いものよ そして儚いもの
辛いことは辛いと言ってよいんだよ、とわたし自身に言ってあげられるように、またその気持ちに気がつけるように、こうやって自分と向き合う時間をとって、書いて残しておくことを続けていきたいと思います。
(なんか、今日は40分以上、長々と書いてしまった。)