発掘された選手の多さこそが指導者としての功績。
誰がトップレベルになるか、どんなに優れた指導者でもわからない。
最近ジュニアカテゴリー(U-18)の試合を見る機会が度々あったのだが、同じ選手ばかり出ていることに気がついた。
どのカテゴリーでも見受けられる状態だが、特に中学生の大会ではその傾向があると感じた。
試合で得られる経験値は、練習で得られるそれを凌駕し、選手の競技力をさらに高めるきっかけになる。
僕自身、小学校から大学まで試合をする機会を十分に得られた時に競技力がぐんと伸びた経験がある。
デンマークに留学した際、僕が住んでいた西地区のタレント発掘責任者である”クラウス・ハンセン”は、「どれだけ優れたコーチでも、どの選手がトッププレーヤーになるかはシニア選手にならないとわからない」と教えてくれた。
どの選手にもチャンスを与えて、同世代間の競争を激化させることでその年代で埋もれていた選手を発掘することができるという。
つまり、ジュニア世代では選手の出場機会を確保してプレーする経験を積むことが何より大切なことなのである。
ではなぜ、選手の出場機会が偏ってしまうのか。その理由を考えてみた。
1つ目:圧倒的な知識不足
発育発達に関しての知識が欠けていると、選手の伸び代を感じられない。
小学生、中学、高校と線が細くいまいちパッとしない選手が、ある身体的な特異点を境に化ける可能性があるということを知らない。
そもそも「見る目がある」と自負している指導者。ジュニア世代の選手のプレーを見て、その場で「伸びるか伸びないか」を判断していないだろうか?
上手なプレーヤーがトップになることを見抜くことはそうそう難しいことではない、試合を見にきた親戚のおじさんでもわかってしまうことだろう。
しかし、どの選手が伸びるかわからないことをわかっている指導者は日本にどれほどいるのだろうか。
昔からすごかった選手をトッププレーヤーにして自慢することより、どれだけ多くの選手にチャンスを与えられたかが重要だと僕は思っている。
2つ目:トーナメント制を勝ち抜くため
負けたら終わりの一発勝負であるトーナメント制の影響で、選手を試合に出す際のハードルが上がっている。
負けたら大会自体が終わってしまうため、どうしても保守的な起用方法にならざるを得ない。実際にこの場面は何度も体験してきている。
試合でミスをする可能性のある選手や、どんな動きをするかコーチがイメージしづらい選手はこの状況だとどうしても使いづらい。
トーナメントとリーグ戦について詳しく書いた記事を下に貼っておくので、よければ読んでみてください。
高校生以下の試合はほとんどがトーナメント。
チームに余力が残されている状況でない限り、当落線上の選手はともかく、成長するために経験を積まなければならない選手たちに出番は回ってこない。
3つ目:「爆弾」を試合に出せない
始めに断っておくが、僕はこうした「爆弾」と呼ばれてしまう選手たちを馬鹿にしたいわけではない。むしろ、この表現を選手に使うことを断固反対する。
爆弾とは「試合に出したとき何をすべきかわからずパニックに陥る選手」のことで、ミスを連発したり、周囲が見えていないようなプレーを連発する。
この言葉を選手に言い放つ指導者に疑問の声を投げかけるためにあえて使った。
試合経験の少ない選手が試合に出てパニックを起こすことは、全く持って悪いことではない。
これまで体験したことのないほどのプレッシャーのかかる状況で、見方と敵合わせて14人あまりに加え、ボールまで認知しながら自分の技術力を発揮することはとても簡単なことではない。
この問題も「負けられない試合」が続いてしまうが故に起ってしまう事である。
もしチーム内で安定したパフォーマンスの選手が少なければ、その選手たちを1試合通して起用することはよくあること。
先ほど話したようにトーナメントを勝ち残るために、同じ選手を使い続けることを避けられない場合だってあるだろう。
小学校から大学まで全てのチームではないものの、多くのチームでその傾向がみられる。
小学生ではそもそもクラブチームの数が少なく、クラブのある周辺の地区から集まる子供たちで構成される。低学年から始めている選手と、高学年から始めた選手では、始めの頃は特に、技術力にかなりの差がある。
中学生では、公立高校において通学可能な区域が定められているため、ハンドボールのために学校を選択することが少ない。そのおかげで、地区によってある程度戦力が分散される。
高校になると中学の時点で高い競技力を備えた選手は、県内や近隣の地区の強豪校へと進学するため選手層は自然と厚くなる傾向がある。大学ではさらにそれが顕著になる。
勝敗を強く意識し始める17歳以上の年代を除く、それ以下のカテゴリーにおいては選手に対して試合機会を確保することが最も重要なコーチの仕事の一つと言える。
全てのレールを引くことが仕事ではない。
あるテーマに沿ったトレーニングをするとき、指導者の立場から言えば「何を身につけて」「何を出来るようにさせるか」というところにフォーカスすると思う。
もし選手が指導者の思惑通りに動かなかった場合、すかさず指導に入るだろう。出来る選手はすぐに指導者の言う通りにプレーをし、指導者による評価を高める。
こういった流れに疑問を持つようになった今日この頃。
ほとんどの指導者は選手たちには自立を求め、考えてプレーできることを求める。
なのに、毎回レールを敷いて、うまく出来るようにするトレーニングからは、自立した選手は生まれてこない。
選択肢を与え、その中で試行錯誤させて迷わせる。試し抜いて、困った顔をして、それでも考え抜いて挑戦する。その過程こそ選手を育てる上で大切な工程だと思う。
失敗大歓迎。失敗して初めて学ぶことは多い。
トレーニングの意図や、どうしたら効率よく課題を達成できるか。を感じながらプレーすることが大事。
だからトレーニングはシンプルでなければならないのだろう。
こういった過程を何度も踏み、実際の試合でどう発揮するかを学ぶ。これが本来の育成の骨組みになる考え方だと思う。
もちろん今の状況でそれらを実践できる環境は整ってないかもしれないが、指導者として選手たちに対する想いを基に、少しずつ実践していきたい。
今日はこれくらいで!
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筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽