
僕は4年前まで「なぜスポーツやっているのか。」の問いに答えられなかった。
「なぜスポーツをやっているのか。」に対する答えは、「人として○○○○○○○するため。」だったのです。
大学1年の時の写真が出てきたのでついヘッダーにしてしまいました。笑
4年前は大体この頃です。
さて!みなさん大好きな食べ物ってなんでしょうか?僕は甘いものが大好きです。
特に朝ごはんは気に入ったものばかり、毎日食べてしまう癖があります。
デンマークから帰国してから、シュガーたっぷりのシリアルからしばらく離れられませんでした。
しかし、しばらくしたら飽きてしまいました。
次にハマったものは粒あんをたっぷりのせたお餅です。これも2週間くらいで飽きました。毎日同じものを食べていたら、まあ飽きますよね。
僕のSNSを見てくれている人はご存知かも知れませんが、料理がとても好きです。
インスタグラムには「#じゅめし」とタグづけして、投稿しています。
お暇なときに見てみてください。笑
しかし、ハマると綺麗なご飯をババっと作って投稿しますが、毎日すると疲れます。適当な自炊や、定食屋さんに行ったり、これまた大好きなつけ麺屋さんに足を運んでしまうことは日常茶飯事です。
なぜなら趣味だから。
嫌いになるくらいなら頻度を減らして、また作りたくなるまで作らないというのが僕なりの趣味の範囲です。
料理って時間を忘れられるんですよね。まさに没頭する感じです。
スーパーから帰ってきて、すぐにキッチンに立ち始めて、下ごしらえや作り置きをしていたら、気づくと2時間経っていたなんてことはザラにあります。笑
日常生活に潤いを与えてくれる感じです。
毎日料理を作らないといけない共働きのお母さんは仕事が終わった後、毎日2時間も台所に立ってるわけにはいきませんよね。
短時間で栄養のある料理を作らなければいけない。
これほど大変なプロフェッショナルはありません。
では、スポーツをしている人はどうでしょうか。
例えば、部活動で毎日スポーツをしている人。大学でスポーツをしている人。
自分がなぜスポーツをやっているかの問いにどう答えますか?
また、どうしてそれを一生懸命取り組んでいるのですか?
僕自身、ただ面白そうで始め、楽しかった、好きだったから続けてきたハンドボールですが、あるとき「なぜやっているか」の問いに答えられなくなりました。
それは、プレーがうまくいかなくなったとき(挫折)や、毎日ハンドボールをしていたときでした。
ヨーロッパでのスポーツの起源。スポーツを「余暇」に自分の内側に悶々とするストレスを発散するためにみんなで集まって行うところにあります。
少し脱線します。
一日中学校と部活がんばって、その夜に好きなテレビ番組を見ながら食べるアイスはめちゃくちゃ美味しくありませんか?
一日仕事をがんばって、シャワーを浴びた後に飲むビールはめちゃくちゃ美味しくありませんか?
もしこれが、1日だらだら過ごしてしまった日の夜に同じ時間を過ごしても、決して同じような「充実感」を感じることはできないと思います。
要するに、「日常生活」と「非日常的な体験」のバランスで「充実感」を感じているということです。
話を戻します。スポーツはどうでしょう。
ハンドボールの話をします。みんなが40m×20mのコートに集まって、ボールを人に向かって本気で投げたり、人を本気で捕まえに行ったりする状況は「日常生活」の中にはありません。
人に向かって飛びかかれば、周りの人はドン引きです。
そう、スポーツは「非日常的な体験」なのです。
だから、日常生活が危ぶまれている「コロナ禍」で、スポーツイベントが軒並み中止になることはある意味当然ということになります。
中学や、高校の部活の前、退屈な学校生活(悪い意味はないです授業してる先生方申し訳ありません!)から、非日常的な部活動の場に発散を求めて「うずうず」した記憶はありませんか?
大学に入って、恩師の先生にそのことを教わり、これまでやってきた「ハンドボール」が自分にとってどんな意味があったのか初めて認識することになります。
「なぜスポーツをやっているのか。」に対する答えは、「人としての生活を豊かにするため。」だったのです。
つまり、スポーツをしている目的は決して、スポーツ人としての成長を目的としているわけではなく、人としての成長、成熟が僕なりの目的。
僕の場合、ここを見失った途端、きつくなりました。
好きでやってたはずのハンドボールに拒絶反応を示すようになったんです。
複雑になってしまうのですが。
これはアマチュアの話です。
プロとしてプレーする場合、仕事としてプレーする場合、嫌いになろうが、どうなろうが、契約しているならそこに責任が生じます。
最近話題になっているイチロー先生の動画の中で、「お寿司が大好きだから将来お寿司屋さんになりたいという少年に対して、プロになったら楽しかったものが楽しくなくなることを覚えておかなければいけない。」と話していましたね。
でも、仕事を成し遂げて認められた時の喜びは何事にも変えがたい。
いつも「失敗」を意識しながら戦うことはとても精神的には優しくありませんからね。
今日はこの辺で終わりにします。
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では、お疲れ様でした。
森永浩壽
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