自分という壁 『 643の物語 』
何重にも並んでいますか
何重にも構えていますか
自分という壁
自分という壁
壁になにか意味をもたすことなんてない
もし持たしているなら
それは
自分の不甲斐なさからくるもの
言い訳は沢山あります
その為に生きてます
だからこそ
なにもしませんよ
言い訳はまた
増えていきますから
そんなことまで
考えると
そのさきは
どうなのと
また壁自信が聞いてくる
ここの壁ですけれども
潰す気力や
越える気力がないなら
もう
無機質な壁になりますよ
なるほど
そんな感じで
POPに答えたくなる
けれども
壁は急ぐ
だから
あなたが
言い訳をためるなら
言い訳を信じるなら
言い訳のために生きるなら
私はもう
壁としての壁になります。
無機質なものになります。
その方が楽です。
考える必要がないから。
壁ですから。
けれども、
あなたが、
貴方という壁を
潰すなら
越えるなら
私は
壁として
構えたい
壁として
まっとうしたい
壁として
死にたい
それが
あなたに
わかりますか。
なるほど、
わかってるよ。
わたしも
壁を潰したい
壁を越えたい
だからこそ
生きようとしてる。
壁
これからも
私に
付き合って欲しい
なるほど。
わかってるじゃないか。
それが、生きることだ。
それが、生きようとすることだ。
それが、生きることを謳歌することだ。
ならば、
私は壁として。
生きよう。
私は壁として。
生きよう。
私は壁として。
謳歌しよう。
あなたと共に生きよう。
それが、生きようとすることだ。
生きることを諦めるな。
壁は壁として壁を謳歌する。
私は私として私を謳歌する。
対(つい)になる感情と感性と皆無感。
それは。
生きることのあらわれだろう。
友と共に。