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ライター・編集者として持っておきたい「エティックの視点・イーミックの視点」
満員電車のなかで、優先席に座っている若者がいたとする。若者はヘッドホンで何かを聴いている。目の前には腰の曲がったおばあさん。
その光景を見て、僕は「若いんだから、席譲りなさいよ…」と思う。でも、実は若者は重い障害を持っていて、電車で立っているのはむずかしい状態なのだ。そのことに想いを馳せずに、僕は「若いんだから…」と思ってしまう。
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僕たちは見たいように物事を見る。頭の中にあるイメージにあてはめて、ものごとや人を理解しようとする。
だって、ものごとや人と出会うたびに、「これはやっても大丈夫だろうか?」「この人は安全な人だろうか?」なんて考えていたら、コンビニで買い物もできないし、電車にも乗れない。
だから、「見たいように物事を見る」性質は、生きる上でとても役に立っているのだけど、ともすると冒頭で挙げた場面のように、誰かをまちがって理解してしまうことにつながることがある。
とくに、インタビューやカウンセリング、コーチング、医療や福祉といった人と向き合う現場では、「見たいように物事を見る」ことが相手を傷つけてしまうことにつながりかねない。
たとえば僕がやっているインタビューのような仕事では、数時間、あるいは1時間にも満たないインタビューから、「この人はこうだ」と語る記事を書くことがある。
その際に、事前にあれこれ下調べをして、ある程度「こういう人なんだろうなあ」と仮説を立てて、その仮説をなぞるように質問をしていく場合もある。まさに、「見たいように物事を見る」ことが、なるべく少ない労力で、読み手に刺さる記事をつくるためのポイントになるのだ(一応ことわっておくけど、僕はこういう方法からはなるべく距離をとっています)。
だけど、ちょっと待てよ。たった数時間のインタビューで、対象について「こうだ」なんて語れるのか?自分が見たいように見て、聞きたいように聞いて、それを相手についての真実のように書く。そんなことが果たしてできるのか?
…という違和感を、インタビューの仕事をしながらずっと持っていた。
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先日、「『働くことの人類学』実践ゼミ」というプログラムに参加した。
このプログラムは、人類学者の小川さやかさん、比嘉夏子さん、深田淳太郎さん、松嶋 健さん、松村圭一郎さんと共に、地域の人々のフィールドワークを通して人類学に必要な心構えを学ぶ、というもの。
人類学者の先生や、いろんなバックグラウンドをもつ受講生と、自分の葛藤を打ち明け、ラーメンを食い、現場に出てひたすら観察し、質問し、あーだこーだと議論し、酒を飲み、猪肉をくらう。そんな濃密な時間をすごした。
内容についてはいつかまとめる機会があるかとは思うけれど、僕個人としては、さきほど書いた違和感をぬぐうためのヒントを得られた時間になった。
目をひらかせてくれたのは、「エティックの視点、イーミックの視点」という考え方だ。
ケネス・リー・パイク(Kenneth Lee Pike)という言語学者が作った用語で、人の行動や、文化、言語を分析をするときの視点の違いをあらわしている。
ざっくりいえば、「エティック」は、第三者の視点から分析すること。「イーミック」は当事者の視点から分析すること。
さきほどあげた例にそえば、「若いんだから、席譲りなさいよ」と思った僕は「エティック」の視点に立っていた。もし「まてよ、もしかしたら彼にも座っていざるを得ない事情があるのかもしれない」と考えたなら、「イーミック」の視点に立っていたことになる。
文化人類学では、「エティックの視点」はどの文化にも通用することがらを記述するときに、「イーミックは視点」はそれぞれの文化に独自の価値観や考え方のもと(つまり文化相対主義的に)記述するときにもちいられる。どちらがいい、わるいではなく、お互い補い合う関係にある。
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自分自身がおこなってきたインタビューをふりかえると、「あちゃ〜」と顔をしかめたくなる。なにしろ、「エティックの視点」、第三者の視点からそのものごとや人を見ていたことがあったなあと思うのだ。
ほんの数時間のインタビューで、自分の価値観や考え方に相手を当てはめて、それを記事に書く。そうすると、僕個人の見方だったものが、世の中に広まり、「あの人はこうだ」というイメージがかたちづくられていく。
それがポジティブなイメージならまだいいけれど、ときにはネガティブなイメージが世の中に広まってしまうこともある。
「エティックの視点」だけで取材にのぞむことは、相手をこちらの価値観や考えにおしこめてしまう危険性がある。そしてなにより、そうやって書かれた記事はおもしろくないのだ。だって、しょせん想像の範囲を出ないから。
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取材対象を、こちらの価値観や考えにおしこめるという暴力にさらさないために、そして取材する者自身、読み手も取材対象も「おもしろい!」と思える文章を書くためも、ライターや編集者などインタビューを行う人は「エティックの視点」と「イーミックの視点」、それぞれ持っていた方がいい。
それぞれの視点がほどよくブレンドされた文章は、読み手をどこか遠いところまで連れていってくれる。文化人類学の研究に触れるのがおもしろいのは、「遠いところまで連れていってくれる」からで、文化人類学者でなくても取材という営みに関わる人間なら、そのエッセンスから学べることはある。
ただ、言うはやすし。この、「イーミックの視点」で実際にフィールドワークする、ということが、ほんっとーにむずかしいのだ。「『働くことの人類学』実践ゼミ」で体験したそのむずかしさ、そして楽しさについては、またいつか書いてみたい。
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