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日本橋 泉鏡花著 (本のESSAY 1)

僕の大好きな本の1冊、この”日本橋” 泉鏡花著は特にその本の内容はもとより、そのデザインの美しさで僕の大のお気に入りとなっている。僕は何年か掛かって、やっと、岩波の鏡花全集、全29巻を読み終わって、今2回目の”芍薬の歌”を読み終えたばかりである。2回目はまた、新鮮な気持ちで本の中に入れるのは、また違った新しいものを感じるからだと思う。これは、普通の作家ではあり得ない事だけど、泉鏡花は本当にすごいと思う。天才とは彼の事です。読むたびに感動します。終わる事を知らないように続く形容詞の数々、それもとても好きです。そうして、彼の小説に出て来る女性達の美しい事、そんな人がいる訳が無いと思ってもイメージはどんどん美しい方にいってしまいます。この”日本橋”は復刻版で大正3年発行のオリジナルの復刻ですから、本当に奇麗です。装丁はとても人気のある小村雪岱で日本橋の四季を美しく、繊細に描いていて本の装丁の傑作だと思います。復刻版の泉鏡花の本は他に”高野聖”があります。この2冊の復刻版にはとても、感謝をしていますが、本当にありがたい事と思っています。しかし、もっと沢山、泉鏡花の本を出して欲しかったのです。夏目漱石や、芥川龍之介位出してくれれば本当に素晴らしいと思うのですが、才能ではずっと彼の方が上だと思います。まぁ、僕のランキングですが・・・。雪岱装丁の泉鏡花の本はみんな素晴らしいのですが、神田の古本屋街で、時たま見かける、雪岱装丁のものはまず、高価であるし、たとえ、お金があっても、鏡花のものはあまりに古いので、いい状態のものが無いし第一、ちょっと、気持ち悪いのです。こんなことを言うと、泉鏡花様に申し訳ありませんが、晩年の"薄紅梅”ぐらいの時代のものならまだしも、こればかりはどうしようもありません。ですから、復刻版は一番いいのです。
 さて、本の内容ですがこれは芸者の話です。最初から、会話を中心に話が進みます。その会話がすごいのです。なんと会話だけで展開して行くのです。これはすごいと思います。誰が言ったか、という記述が無いのです。それは、女言葉だったり、男言葉だったりと、読み手が想像して行かなければなりません。僕などは最初誰が言っているのか解らなくなって、何度も読み返しました。すると、おかしいことに、登場人物の梅吉を男だと思って読んでいたら、なんだか女っぽい、すると梅吉は芸者だったのです.どうもへんなわけです。こんな事をしているのは僕だけかと思ったら、三島由紀夫も誰が言ってるのか解らなくなった。と言っていたので、三島由紀夫が解らないのでは、僕が解らなくてもしょうがないと.思いました.ところで三島由紀夫のおばあさんは鏡花狂いだったそうです。このように会話が男言葉や女言葉て展開して行く、この事のついて、谷崎潤一郎はなんとあんなに昔の事なのに、ジェンダーという言葉で持って、説明しているではありませんか!あの文章は確か,文章読本の中にあったと思いますから、彼の晩年に近いとはいえ、随分前の事です.つくづく、谷崎潤一郎の先見の明を感じるのです。しかし、すべて、会話だけでも成り立ってしまう、世界で最も高尚な日本語をもっと日本人は自慢してもいいと思います。

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