ミャンマーが燃えている。
ミャンマーが燃えている。暗黒の時代には二度と戻りたくないと、ミャンマー全土で無数の人々が抗議の声をあげている。
今でこそ観光を目的としてミャンマーを訪れる人は増えたが、つい10年ほど前までは、ミャンマーは外部に閉ざされた国だった。近年は東南アジア最後のフロンティアとしてもてはやされ、商機を追って世界中からミャンマーにやってくる人も増加した。しかし、軍部が引き起こした今回のクーデターは、ミャンマーの政治的状況がいかに不安定であったかを国際社会に再確認させることとなった。
ミャンマーは世界で最も長く国内紛争が続いているといわれる紛争当事国だ。1948年に独立した後も、国内政治が安定することはなく、長い間、軍事独裁が続いた。もちろん人々は軍事政権に対して常に黙っていたわけではない。民主化の契機は1988年、2007年とたびたび訪れたが、常に軍部の制圧によって抑え込まれていた。
しかし、2008年にミャンマーを襲ったサイクロンナルギスにより多くの国民が犠牲となると、軍事政権は少しずつ開放政策を導入し始める。2011年には新政権が発足し、2015年の総選挙の結果、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権が誕生した。
私がミャンマーに住んでいたのは2013年から2017年にかけてである。ちょうどミャンマーの解放政策が本格稼働し始めた頃であり、ミャンマー国内のめぐるめく変化を肌で実感することができた。
ヤンゴンのダウンタウンに住み始めた頃には、携帯電話は今ほど一般的ではなく、SIM一枚を購入するにも数百ドルが必要だった。家に電話を引いている家庭も少なかったため、電話回線を持っている人が、軒先で私的な公衆電話サービスを展開していた時代だ。
規制緩和の波は少しずつ広がり、いつの間にか通信業に外資も参入することが可能となった。街中には携帯電話を扱う店舗が溢れ、SIMも手頃な価格で入手可能となった。一気に携帯電話の普及が広まった。
携帯電話の普及はインターネットの普及も意味する。フェイスブックはあっという間に国民の間に浸透し、オンラインニュースメディアも増え、言論の自由が格段に広がった。道端で人々が集まることさえも禁止されていた、軍事独裁の時代には誰にも想像できなかった変化だ。
2011年以降のミャンマー国内の変化は目まぐるしかった。解放政策とともに、国際開発援助の資金も舞い込むようになり、国内インフラの整備も進んだ。ショッピングモールやコンドミニアムも次々と建設され、物質的な豊かさを享受することのできる時代が始まった。
一方、国内紛争に関しては、相変わらず停滞した状況が続いていた。
2011年に発足した新政権は全土停戦を目指し、全国に散らばる武装勢力と和平に向けた交渉を開始した。2015年には少数の武装勢力と全土停戦が締結され、和平へのロードマップが提示された。しかし、現在でも真の意味での全土停戦のめどは立っておらず、シャン州、カチン州、カレン州などでは相変わらず武装勢力とミャンマー軍の衝突が続いている。2019年からはロヒンギャ問題の渦中にあるラカイン州においても、ミャンマー軍とラカイン人武装勢力の新たな衝突が始まった。
2020年2月1日のクーデター以来、フェイスブックを開くとミャンマー全土から抗議の様子が流れてくる。かつて私はミャンマー国内を転々とする生活を送っていたため、その時の友人たちが、各地方の様子をフェイスブックで報告してくれる。ヤンゴンはもちろんのこと、チン、サガイン、タニンダリ、カヤ、シャン、ラカインといったさまざまな地域から、Civil Disobedience Movement(市民不服従運動)と呼ばれる抗議活動に、運動の象徴である3本指を掲げて参加する人々の様子がタイムラインに上がってくる。
デモに参加しているのは一部の限られた活動家のみではない。若者から高齢者まで、男女問わず、職業も関係なく、さまざまな人々がミャンマーが直面している危機的状況に対して声をあげている。最近では、保健省や社会福祉省といった役人たちの中からも連日のデモに参加する者が出てきた。地域によっては、デモを取り締まる立場にある警官たちがデモに参加しているところもある。いくつかの州は公務員のデモの参加を公式に認め始めた。
多民族国家ミャンマーらしく多種多様の民族衣装を着て参加する者もいれば、華やかなドレスを着て抗議に加わる若者たちもいる。楽器を弾きながら街を歩く音楽家たちの集団もいれば、フェミニストやクィアアクティビストを名乗る人たちも抗議の声をあげている。
夜間外出を禁ずる戒厳令が引かれた後も、人々は夜になると鍋などの調理器具を叩いてクーデターへの抗議を続けている。軍部を悪霊とみなし、鍋を叩き大きな音を出して追い払おうとしているのだ。
抗議が長引くにつれ、軍部は抗議活動への取り締まりを強化している。ミャンマーの人々は平和的な手段で抗議活動を続けているが、いつ暴力的な惨事に進展するかは誰にもわからない。すでに警官が放った銃で意識を失った若い女性もいる。夜間に不当逮捕される人の増加を心配する人たちの声も聞こえ始めた。
ミャンマーは燃え続けている。燃え続けるミャンマーに対して、ミャンマーの国外から繋がる私たちは何ができるのか。フェイスブックのタイムラインを追いながら、何ができるのか今日も自らに問い続けている。
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