ダッカに戻ってからの10日間
前回の日記を書いた後、インターネットのアクセスも徐々に回復し、事態は落ち着く方向に進むのかと思っていたが、一度燃え上がった怒りの炎は簡単に断ち消えることはなかった。
もともとは公務員のクォーター制度に反対する学生運動から始まった抗議活動であったが、次第に焦点は警察による学生デモに対する暴力へとシフトしていった。正確な数は誰も把握できていないというが、少なくとも数百人の死者が出たと報道されている。ますまず酷くなる国家権力の濫用に抗議する人々は、学生から大学の教員、学生の両親、一般の市民へと広がっていき、すでに報道にもある通り、ハシナ首相は辞任せざるを得なくなった。8月5日のことだ。
8月4日の午前にインターネットが遮断されるということがあった。前回、インターネットが使えなくなった時には僕は国外に出ていたため、バングラデシュの外から安全を願うしかできなかった。幸いなことに数時間のシャットダウンであったけれど、今回の経験で私たちの生活がいかにインターネットに依存しているかを実感する良い機会となった。想像はしていた通り、外の世界で何が起きているのかまったく把握できなかった。日本の友人たちとの連絡も中断され、同僚たちとは電話で安否を確認しあった。
その後、ネットは徐々に回復し、軍の臨時会議が開かれ、ハシナ首相がどうやら国外に逃亡するらしいという情報が回り始め、実際に辞任が発表され、暫定政府が樹立するということが公になった。ハシナ首相だけでなく、多くの大臣がすでに国外に出ているだとか、今回の抗議デモにはテロリストが関わっているだとか、信ぴょう性のない話も山ほどバングラデシュ国内で飛び交っていた。
一方、私はといえば、大人の事情で家の外に出ることは許されず、ネットニュースやインターネットを通した友人や同僚の解説に耳を傾けながら、事態が沈静化することを待っていた。家には豊富の食材があったので、料理をしたり、溜まっていた洗濯に集中したり、呑気なものだ。
警察が機能しなくなったことにより、治安の悪化が各地で報告されているが、幸いなことに私の身の回りではまだそこまで酷い状況には陥っていない。今週末はようやく一時的な外出が認められたので、街に出たのたが、報道されている通り、一般道路では学生のボランティアが交通警察に変わって交通整理を行なっていた。果たしてどのくらいの学生が交通ルールを理解しているかはわからないけれども、若者たちは暑い中一生懸命に任務に集中していた。
同時に、暴徒と化した民衆による襲撃も各地で続いている。対象となるのは、デモ隊に対してひどい暴力を振るっていた警察関連施設や、ハシナ首相率いるアワミ連盟および各省庁の関係機関などだ。首相の辞任に続き、暫定政権のメンバーも公表され、次のステップに進む準備も着々と勧められている。一般的にイスラム圏では軽犯罪の発生率が低いと言われている。数週間の間に一気に混沌とした社会に変わってしまったが、これ以上暴力を伴う悲劇が繰り返されることがないよう、速やかに秩序を取り戻してもらいたいと切に思う。みんな色々な想いを抱えているであろうが、バングラデシュをより良い社会に変えていく絶好な機会であるのは間違いない。
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