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ファインマンの人生と科学5(最終回)

物理学者ファインマンの人生を通じてサイエンスネタを届けるシリーズ、今回が最終回です。

前回は、ファインマンが専門以外で貢献した分野として「コンピュータ科学」を取り上げました。

今回は、最後の仕事になった「事故調査」です。

前回よりさらに専門から遠くなった気がしますが、当時世界中が注目したとある事故の調査委員会メンバーとして任命されます。

それは、「スペースシャトル チャレンジャー号 爆発事故」です。

1986年に打ち上げられたチャレンジャー号が直後に謎の爆発を起こし、尊い命が亡くなりました。

当時のNASAの視点で見たいきさつなどは、過去に投稿したので紹介しておきます。

当時のNASA長官が、たまたまカルテック時代と前職でファインマンの受講生であったことから、直接本人に事故調査委員会の就任を打診しました。

ファインマンの他には、政治家・軍人・宇宙飛行士(あのアーム・ストロングも)などが就いています。

ただ、今までのエピソード(権威が嫌い)で何となく想像つくと思いますが、当初断ろうとします。
が、奥さんに「あなたしかできないことがあるわよ」と焚きつけられてその気になり、当時受け持っていたコンピュータ講義や研究も全て任せて100%コミットすることにします。

ファインマンは常に自己流を通し、この調査でも直接現場との対話を大事にしました。(ただ、その勝手な行動は委員長からみると悩みの種だったそうです)

その結果、ロケットの継ぎ目を果たす「O(オー)リング」というゴム製のパーツが、当日の寒さ(過去打ち上げの中でも極端に寒かった)で弾力性を失って、生じた隙間から高温ガスが漏れて爆発につながった、という仮説にたどり着きます。

調査の中間報告書では、ロケット模型のOリングを外して氷水につけることでその弾力性が失われる実験を生放送で披露して話題を呼びました。

ただ、問題なのは、そのことは以前から現場のエンジニアは知っていて、あまつさえ、打ち上げ前日にもNASAに進言して止めようとしたそうです。

調査での証言にも顔を出したこの技師はアラン・マクドナルドという方で、2021年に亡くなりました。
心より冥福をお祈りするとともに、その勇気に敬意を表します。

これを受けてファインマンは、本質的な原因はNASAと現場との意思疎通の在り方にあるとみなします。

それを検証する手段として、現場のエンジニアと管理者それぞれに、事故が起こる確率を匿名で提出させます。
結果は、現場側が大体「数百分の1」で、NASA管理者側は「10万分の1」とギャップがあることが分かりました。

ファインマンは上記を含めた関係者への直接インタビューを通じて、主にNASAの体質を批判した報告書を提出しますが、逆に委員長側(単独かどうかは不明)は、最後の章に「この報告書ははなむけであり、我々はNASAを支持する」という文意を挿入することを提案します。

ファインマンは断固反対し、であるなら自分をこの報告書から外してほしいと突っぱねます。

交渉の末に、最後のNASA支持の表現は緩和され、ファインマンの報告書は付録扱いで残るという結果となりました。こちらで閲覧出来ます。

公式な和訳版の有無は不明ですが、ファインマン講演集に含まれています。

最後の締めだけ引用しておきますが、個人的には他の章も含めて珠玉の講演集なのでお勧めします。

テクノロジーを成功させるためには、広報よりもまず現実を優先すべきである。なぜなら自然を欺くことは出来ないからである。

出所:上記書籍 P189

ファインマンは、このいきさつについて1988年に出したエッセー書(日本語タイトル「困ります,ファインマンさん」)で詳しく触れており、科学と政治の在り方についても厳しく言及しています。

実は同年に、ファインマンは10年ほど患っていたガンによって息を引き取っています。

最後に彼が発したとされる言葉を引用しておきます。このシリーズを読んでいただいた読者の方々には、最後までファインマンらしさを感じられると思います。

「2度死ぬなんて、まっぴらだね。全くつまんないからな」(I'd hate to die twice. It's so boring.)

Wikipedia:「リチャード・ファインマン」

最後に、ファインマンを敬愛する弟子のひとり、フリードマン・ダイソンによる評価を紹介します。(彼はノーベル物理学賞共同受賞者のシュウィンガー・朝永と、ファインマンの仕事が同じであることを証明しました)

ファインマンと付き合いだした頃は、

「半分 天才、半分 道化」

でしたが、晩年になって訂正し、

「完全な天才、完全な道化」

とユーモアたっぷりに表現しています☺

道化の行為が目立ちやすく、常に人を楽しませようとするファインマン像はあまりにも有名です。

ファインマンは自身のことを「社会的無責任論者」と呼んでいます。とにかく世間の煩わしい雑事には関わりたくない意思を持ち続けていました。

ただ、今回の事故調査の経緯が表す通り、彼は決して社会に対して無責任ではありませんでした。

自分の価値観に真摯に立ち向かい、科学的な探究プロセスを重んじ、どんな権威に対しても媚びずに立ち向かいました。

その価値観が決して社会にとってずれてないことは今回の顛末でもお分かり頂いたと思います。

翻って我々の現代は、科学が当時以上に良くも悪くも影響を与えています。
特に今話題の国際紛争や宇宙開発において、もしファインマンが生きていたら無責任を通すでしょうか?

科学が果たす役割というものを、今一度立ち返ってみたくなりました。

今回で本シリーズを終わりますが、少しでもファインマンに関心を持った方のために今回参考にした書籍を引用しておきます。(一部は再掲)

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