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オッペンハイマー最新伝記を読んで

やっと、下記のオッペンハイマー伝記(上中下)を読み終わりました。

以前にも、オッペンハイマーの科学者としての側面は軽く紹介しました。

今回は、今回の伝記で初めて知った内容を中心に書いてみたいと思います。

まず、過去投稿にふれたとおり、彼は量子力学と天体物理学の専門家でした。ただ、その専門性というよりはその合理的かつバランス力のある能力を高く評価されて、マンハッタン計画の科学責任を負うことになります。

これだけかくと、なぜ特定分野の専門家がこんな総合的な能力を獲得できたのか謎でした。

それが今回の伝記(主に上巻)をよんである程度腹落ちしました。

ハーバード大学在籍時に、自然科学どころか数学・哲学・文学・政治・歴史など興味の赴くままにその好奇心を育んだようです。
初めに専攻として選んだのは化学で、3年で学士修了後に物理に転向しました。

なお、中和するためにこぼれ話を書くと、実験物理学についてはむしろ劣等生だったようです。下記のような記載がちょくちょくあります。

しかしブリッジマンが彼に、自作の炉で銅ニッケル合金を作る実験を命じたとき、オッペンハイマーははんだごての上下を区別できなかった。オッペンハイマーは実験室の検流計の扱いがとても下手で、その器具を使うたびに弱いサスペンションを交換しなければならなかった。

オッペンハイマー(上)

当時最も難しい原子爆弾プロジェクトを率いたイメージと大分違いますね。

オッペンハイマーが(実験でなく)理論物理学に決めた背景には、渡欧先で出会ったニールス・ボーアへ(「わが神」と呼んでいたらしい)の影響が強かったようです。ボーアは量子力学の発展に貢献した方で、それに納得いかないアインシュタインと「科学戦争」とよばれる伝説的な議論を行ったことでも有名です。(過去の投稿)

一見仲が悪いように見えますが、そのアインシュタインをして下記のコメントがあります。

「ある人間が、ただそばにいるだけで、わたしをこれほど喜ばすことは、あなた(ボーア)の場合意外にそれほど経験したことはありません」

オッペンハイマー(上)

オッペンハイマーが渡欧した1920年代は、世界の最先端は量子力学であり、まさにこの欧州に知が集結していました。そしてこの時に切磋琢磨した仲間たちが、数十年後に運命のめぐりあわせをすることになります。代表的なメンツを挙げておきます。

<マンハッタン計画に参画>
ニールス・ボーア:量子力学の重鎮で、理論的基盤を築く。
エンリコ・フェルミ:史上初の原子炉設計を実現
ジョン・フォン・ノイマン:爆発設計で中心的役割を担う。

<ドイツ側で原爆を研究>
ヴェルナー・ハイゼンベルク:量子力学で行列力学・不確定性原理を提唱

このわずか9か月が、オッペンハイマーの科学者としての自信と覚悟を付けた決定的な時期でした。(それまではうつ病に伴う劣等感にも悩まされていた)

その後米国に凱旋後は、最先端の理論をマスターした人材として重宝され、1930年に中性子性崩壊の論文を提出し、1939年にも連続重力崩壊についての画期的な発表を行います。これが研究者人生としてのピークと言ってもよいでしょう。これらの成果は、30年以上たって「ブラックホール」という名称で発見され、やっと時代が追い付いたともいえます。

書籍内では、オッペンハイマーの理論物理学者としての才能は高いがその中心にあるのは統合能力にある、と推察しています。
彼を知る友人たちもその「想像力」を高く評価していました。ある程度成果を出すと、広範な知識に基づく洞察力ゆえにその欠点にも気づいてしまい、他のアイデアに基づく研究テーマに移る、という性格だったそうです。

そしてその好奇心は1930年代に政治にも向かっていき、このときの挙動(厳密には弟のその周辺が共産主義活動に関わっていた)が後年になって共産主義への疑惑(レッド・パージ)と連なっていきます。

この著作を読了するのに相当時間がかかりました。それは内容が政治的疑惑に関するドキュメンタリーの体裁をとっていたからです。

オッペンハイマーの科学者、そしてマンハッタン計画における業績を深ぼったものではないので、もしこれから読みたい方はその点ご留意ください。(本感想も政治的な内容については関心がないので割愛)

これを原作にした映画についてもまた感想を書いてみたいと思います。

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