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【書評】ジム・コリンズ『ビジョナリー・カンパニー』--抑圧と自由のバランス

 前にウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』を読んでいて、偉大な企業っていうのはめちゃくちゃにカリスマ的な経営者がいなければ成立しないのかな、と思わされた。この本でジョブズは極端に有能で、時にサディスティックで、決断力があり、強く人を魅了し、最後には大統領から誕生日プレゼントをもらうまでの存在にのし上がる。そして一代で巨大企業を築き上げげてしまう。友人としていい人かどうかは全然わからないけど、偉大で興味深い人物であることは確かで、彼の思想は今のアップルにも脈々と受け継がれている。
 だからこそ、このジム・コリンズの本を読んで驚いた。偉大な企業を作るには偉大な経営者が必要ない、というのがその答えだったからだ。じゃあ何が必要なのか。コリンズは言う。どんな状況になっても決して揺らぐことのない原則を決め、それを全社員に浸透させること。その原則が守られるようにきちんと組織を作り上げること。そして原則以外は人々に自由を与え、社員一人ひとりの創造力を最大限に引き出すこと。
 たとえば医薬品メーカーのメルクだったら、薬で人を苦しみから救うことが原則だし、ヒューレット・パッカードだったら、最先端の技術で新しい世界を作り上げることだったりする。この原則が守れない社員はそのうちいづらくなり、結局は会社から追い出されてしまう。しかし原則がきちんと体に入り、その通り行動できる社員はどんどん評価され、裁量も与えられて、自分の能力を発揮し、それに伴って会社も伸びていく。
 ものすごく抑圧的とも見えるし、ものすごく自由とも見える、その二つの両立がアメリカの偉大な企業の企業の強みだ、というコリンズの議論は驚くべきものだ。日本企業は上に従ってばかりだけど、アメリカの企業は対話もあって自由だよね、というのは、わりと浅めの理解でしかないんだろう。
 ある種の倫理の押し付けとも思えるような企業文化の枠内で最大限の自由を与える。これはアメリカという国全体にも言えそうだ。アメリカの謎として、一面ではすごく自由で人々が発言権を与えられている国というのがあり、もう一面では極端に宗教的で倫理を重んじる、というのがある。どちらも間違いでない、と言われてしまうと僕らは混乱してしまう。
 でもアメリカの国家だって、すごく高邁な理想を掲げて、それに納得した人はアメリカ人として自由や権利を与えられ、そうでない人は国から追い出される、みたいな形になっている。要するに、宗教も国家も企業も同じ形で運営されているわけだ。そうすると長い年月を研究に費やしてコリンズが到達した結論が、そもそも出発点としてのアメリカのあり方でしかない、というのも納得である。
 疑問点は二つで、ならば文化の違う外国では偉大な企業がどう運営されているのか、おのずからアメリカとは違うのではないか、ということである。もう一つは、偉大な企業として生き残ったものを挙げてその特徴を見ていっても、それはいわれる生存者バイアスがかかっているとしか言えないのではないか、ということだ。
 たとえ生き残ったのが偶然の結果だとしても、生存者は自分が生き残ったのは必然の結果だと思いたい。だから自分に都合のいい物語を作って説明する。後から見ると、もともとその物語があったから生き残ったように見える。けど実際のところはたいていが後からのでっち上げだ。
 とはいえ、学ぶべき部分は大きい、理念なく自由にしてもみんながバラバラになるだけだし、理念ばかりで自由がなければそれはそれで抑圧的になるだけだ。それらを両立させるのはアメリカでも難しく、だからこそ、ビジョナリー・カンパニーと言われる会社の数は限られてしまうのだろう。実際にアメリカの企業はどうか、というよりも、アメリカの人々はどういうものを素晴らしいと思っているのかがよくわかる本だ。

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