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《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.39
課題4:女性が新しいことにチャレンジしたくなるコピー
・ヘタでも、私の新記録。
『女性が新しいチャレンジをしたくなる』という問いに対して、このコピーは疑問をなげかけている。そもそも、何で女性に限ったことを公募するのか?! 公に募ると書くからには、自らの影のように課題も時代性を投影する必要があるのではないか。何度か反芻していると、性差を性格と同意と捉えようと試みる時代に、誤ったカテゴライズを指摘するような問いかけ返しにも聞こえてくる。
私には(まあ男性ですけど)、このコピーが女性を限定した投げかけに聞こてこない。コピーを構成するコトバは、あまりにふつう。誰にでもわかるコトバ、つまり人を選ばないのだ。
子どもでも大人でも、男でも女でも、誰もが受け止め、受け入れることができる。また、『新しい』や『チャレンジ』というキーワードにも限らない。継続することを後押ししたり、仕事に励むことを応援してもいい。
そうなのだ。コトバに普遍性があるのだ。
この作者は、複数の作品をファイナルに送り込んでいる。アイデアの傾向は、まさに普遍性。その感覚で貫かれている。(と、思う。)
普遍性のあるコトバが、腰の定まらない課題にぶつかった。個人的には、コトバに課題が跳ね返されたように思える。課題がコピーを受け止めきれていない。
課題が受け止められなければ、普遍性のあるコトバは、存在するための空間を失う。青い猫型ロボットの某次元ポケットの中にある未来の道具のように、コトバがふわふわと漂い始める。そうなると、コトバは定着できなくなり、意味も強さもユーモアも失われ、コピーだけが空回りする結果となる。
コピーと課題との距離感。近すぎれば平凡になり、越えすぎれば嘘になる。距離の絶妙な調整こそが、コピーの基本なのかもしれない。基本だと書きつつも、コピーライティングの本質なのではないかと、改めて思いました。
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