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《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.25

課題3:社会貢献したくなるコピー
 ・ちょっと動いた、私も、社会も。

この課題の「ちょっと」シリーズ、制したのはこちらのコピー『ちょっと動いた、私も、社会も。』でした。(まあ、そりゃそうか。)

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日本人は、控えめだ。それは昔の話! と言いたくなるくらい、youtubeやinstagramなどのSNSで、自身の顔やパーソナリティを打ち出した主張が賑わっている。それをコンテンツと言い換えることもできるが、あまりに膨大すぎて是か非かを検証することはできない。

話を戻して、控えめな日本人の中で、静岡県民はやはり控えめだ。よくも悪くもになるが、強いものには従う。今川、武田、豊臣、徳川など戦国時代から統治者が入れ替わってきた土地でもある。勝てば官軍。強いものが正しい。力の前に個人の意見など意味を成さなかったのだろう。その慣習は今にも続くところがあり、時代の強者に従い、横並びに傍観することを是とする体質は、保守的と揶揄されることもある。それくらい、個人が突出することを好まない県民性を持つ。

『社会貢献したくなる』という課題も、静岡県民における最強の敵は、この控えめで横並びの県民性なのだと思う。

社会貢献のような良いことをしたとする。それを周りの人に見られると、良いことも悪いことも言われる。杭が少しでも出っぱったら、すぐに叩かれるという村社会の図式は、まだまだ生きているのだ。

そこで、スパイスのように効いてくるのが『ちょっと』という塩梅。

大きな変化を目指すビジョンを掲げなくていい。横並びで変化を嫌う人たちが、気になるほどのことをしなくてもいい。『ちょっと動いた』という些細な変化こそ、静岡県民の変革に対する許容範囲を示しているのだ。そして、『ちょっと動いた』は、個人の行動や気持ちの置き方だけに止まらない。『私も、社会も。』という締め方が、とても心地よく響いてくる。

『ちょっと』を始める個人が増えることでもいい。個人が連続して行うことでもいい。その結果、社会も良い方向に『ちょっと』だけ動き出していく。自己なのか、社会なのか、息苦しさの中にあっても希望を味方にする呪文のようにも感じられた。

気づかれないような些細な気持ちや行動が、未来の大きな成果に繋がっていく。一つの理想形を一行に込めたコピーは、協賛賞にふさわしい佇まいに思えます。人の希望を謳うことは強い。そのことを教えてくれるコピーは、『社会貢献したくなる』人を支えるコトバとして、多くの場所で使われることを改めて願います。

※作品(コピー)の版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
https://shizuokacc.com/award/

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