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|低山ハイク|生駒の神仏「白龍大神」「長尾の滝・天龍院」*くさかコース〜三杉大明神、桜と額田谷

2024年4月7日 
近鉄「石切」駅、9時前着。
少し、霞んでいる。
改札を出て右へ歩き出す、左側には大阪(河内)平野が広がる。

ただ「古事記」の頃には、海がここまで迫っていた。

紀元前約6000年から前約5000年ごろの縄文海進により海水が河内平野へ進入し、現在の高槻市付近を北限、東大阪市付近を東限として、上町台地と生駒山地の間に河内湾と呼ばれる湾が形成された。

『古事記』によると、神武東征で神武天皇は「浪速の渡」(なみはやのわたり)を越えて湾に進入し楯津(古事記編纂時の「日下の蓼津」)に上陸した。比定される東大阪市日下は生駒山脈の麓であり、当時はほぼ山麓まで海が迫っていたことがうかがえる。

Wikipediaより


突き当たりを

右折、だんだん上り坂になる。


白龍大神。
今までも、通る時には見ていた案内版。
フェンスの向こう、近鉄の私有地内の神社、
本日は戸が開いていたので、桜に誘われて参拝。
(参拝者以外立ち入り禁止)

白龍大神

鳥居横にはお地蔵さん、

長い階段

鳥居をくぐると、

拝殿(小屋?)の前は、とても狭い。

左には社、
奥が拝殿の前になるので、本殿のようだ。

拝殿の向こうへ抜けると
白龍大神

公式の情報がないので、
ネット情報を整理すると

1、旧生駒トンネルに現れた白蛇をお祀りされている神社。
3、旧生駒トンネルの工事中や、開通後の事故、
そして安全を祈願して建てられた。
2、廃駅となった孔舎衛坂駅の敷地内にあるので、
普段は入れないが正月には開放されていた。

ということらしい。



戻り、入口横には、お不動さん。


新しい生駒トンネルが開通するまでは、
石切駅と生駒駅間に孔舎衛坂駅があり、
ここがそのホーム跡で、奥には旧生駒トンネルがある。

孔舎衛坂駅(くさえざかえき)

『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる。

Wikipediaより


そう、神武天皇は

この地を支配する長髄彦と孔舎衛坂で戦った。戦いに利なく、長兄の五瀬命は流れ矢にあたって負傷した。そして日の神の子孫の自分達が日に向かって(東に向かって)戦う事は天の意思に逆らう事だと悟ることとなった。彦火火出見尊は兵を集めて草香津まで退き、再び海路南へと向かった。

Wikipediaより
やっぱり生駒は、指差し石碑

その後、熊野から太陽を負って北へ、
八咫烏に導かれ、奈良盆地一帯の指導者の長髄彦らを征服し、
橿原神宮にて日本国を建国したといわれる。


少し歩くと、くさかコースの登山口

東大阪市、くさかコースの紹介


急坂の七曲りを上がると

ここからが、府民の森くさか園地
しばらく上りが続く、


サクサク

眺めよし



石切場跡
生駒石といい、大坂城築城などに使用されたそうだ。


こぶしの谷、到着

コースを少し外れ、ベンチあり特等席
早いが昼食、10時前、六甲縦走弁当。

なだらかな坂の広場を

上りきると、管理道に突き当たり
右折し、しばらくはアスファルト道。
ぬかた園地に繋がり、辻子谷コースに繋がり
興法寺から続く、石畳の道を上る。

途中、右手に水場、
石畳の道を横切る流れの場所。

石畳の道の左側、踏み跡を頼りに入ると

三杉大明神

八大龍王

奥の石碑は不明。
三杉大明神、
てくてくマップには名前は載っているが、
どこにも情報がない。

ここは龍王池、
水源地か、雨乞いの地なのか?
園地として管理される前からあるのなら
山越えの途中の水場として
重要な目印だったのだろうか?


上りきり

右折し、管理道を歩く。

見晴らしよし、
やっと天気が良くなる。
空の雲は、龍に、
惜しいが見えはしない、、、

アジサイ広場を過ぎ



摂河泉コースを下る。


途中案内あり、深く右折。

ピンクのテープが続く

下る、桜の花びらと影が迷彩柄のようで
距離感がつかめず歩きづらいが、

見上げると、咲いている。

案内あり、ただ足場は悪い

急坂、下り、ストックが必要

途中、危ない細い道もあり、到着。

長尾の滝・天龍院

天龍院は、明治四十年頃、不治の病に冒された大阪の商人(あきんど)谷坂光栄によって建立された寺院です。

長尾の滝は、役行者が行場としていたとも伝えられ、近世では慈雲尊者飲光がこの地に「雙龍菴(そうりゅうあん)」という庵を結び、江戸時代の宝暦八年(1758)から十四年間の長きを隠棲した地です。

役行者霊蹟札所会HPより

そして、昭和四十年代に金峯山寺大阪別院とされたそうだ。

階段を下ると、境内が広がり見える。

途中には

慈雲尊者の坐禅石

ここで坐禅を組んでいたそうだ。
いい場所、見つけましたね。

続いて階段を下ると

大黒天

本堂

龍王、神々

慈雲尊者の像
長尾の滝、雄滝

慈雲尊者、
いろんな面を見せてくれる。

「人の人たる道は、十善にある」という慈雲の言葉は性差や身分差を超越した普遍性をもって人口に膾炙し、とりわけ士農工商の下層階級に位置する人々の思想的なバックボーンとなった。大坂の商人や農民は慈雲の教えを通して学びの大切さや世に背かない生き方を学んだのだ。

関西・大阪21世紀協会HPより

大阪の興味深い寺社とも関係が深い、
江戸時代は、近い過去だ。

慈雲が主張した雲伝神道は、日本の神道は密教に基づく曼荼羅観に一致するとして、専ら密教の教義によって解釈された神道の一派である。葛城神道ともいう。その思想は、当時の儒者や神道家による仏教批判に対抗して、旧来の両部神道の再構築を図ったもので、神道の本義を君臣の大義に置き、夫婦・朋友の道を立てる儒学を批判し、日本は聖人の出現を必要としない神国であるとするなど、従来の神仏習合とは異なって復古神道に近い立場を取っている

Wikipediaより



上からも見えていた褌姿の修行の方が、
これから滝行するので、滝の写真を先に撮りますか?と、
声をかけて頂き、ありがたく写真を撮る。

六根清浄!と
大きな声で、唱えられている。

六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である
眼根(視覚)耳根(聴覚)鼻根(嗅覚)舌根(味覚)身根(触覚)意根(意識)

六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。

Wipediaより

不浄なものを見ない、
聞かない、
嗅がない、
味わわない、
触れない、
感じないために俗世との接触を絶つことだそうだ。



本堂は二分されており、
右が本尊、八大龍王を祀り、
左は蔵王権現を中尊として不動明王と役行者が祀られている。
参拝。

本日は、お釈迦さんの誕生日の前日、

振り返り、

出ようとすると、

下から何か作業の男性、
どちらからと尋ねられ、上から、石切からと答えると
私も昔はよく石切から歩いたと、
また、ここは天王寺や堺の方もよく来られるとのこと。

階段を下る。

たくさんの神々


長尾の滝、雌滝




門があり、
ここまでが天龍院だろうか?

ただ、
道端には石仏が続く

役行者

石仏ひとつづつに
参拝しながら、ご夫婦が
上がってくる。

馬頭観音、珍しい。

額田谷、
谷筋の道には
廃寺や
個人の石仏なども多数あり、
信じる者が無くなれば
いやでも
朽ちていく。

別れる明暗、
暗部では
残った想いだけが
いつまでも
見え隠れし、
まとわりつく。

六根清浄。






剣と羂索を持ち、真摯な表情の不動明王、
着物の裾に動きがある足元、良い。


大阪(河内)平野が見え、
現実に戻る。

六根清浄。

枚岡公園管理事務所の近く、

この辺りからは住宅地、



近鉄「額田」駅までは、すぐ
電車が来たのが見え、走る、
ちょうど乗れ、12時半頃。
ありがとうございました。






※他の生駒の神仏はこちらに、


※生駒山の多様な宗教の施設や状況の資料として、
以下の2冊が詳しくて面白い。

「生駒の神々」1985年発行

その続編、四半世紀が経過し、再訪問の調査研究。
聖地再訪「生駒の神々」2012年発行









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