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初期設定の愛 50.母へのアンサー

物心ついたころから、この世界は何かおかしい。ちょっとずれている。そう思っていた。

「コージ君はずっと、授業中外ばかり見ています。勉強をやる気がないようです。」

小学校6年生や中学校の先生に、三者面談で決まって母が何度も言われ続けた言葉だ。

母はこのことをずっと気に病んでいたようだ。

「なんで授業中に外見てるの?」

“この子はどうしてこうなんだろう。”

兄のできがよかったこともあり、母の悩みは深かったのかもしれない。

この母の悩みの解消手段としてだろうか、我が家に家庭教師が意気揚々と乗り込んできた。中学1年生の秋、10月ごろだったと思う。

秀才メガネをかけたバリバリ理系タイプだ。
隣のアパートに住んでいて、近所にある高専へ通っている5年生だという。
母がご近所ネットワークを駆使して探してきたようだ。

ちなみに、塾に入れても、いくふりしてどこかでフラフラしている。
これはもう何度も実証済で、母は塾では無理だと判断したようだ。

自宅で軟禁状態で勉強させよう。そういう作戦のようだ。
兄や妹には家庭教師はつかない、次男である筆者のみへの特別作戦のようだ。

これには正直、筆者もビビった。まさか我が家に家庭教師とは。
ドラマや映画の世界の話かと思っていた。

この最初の先生は、たしか11月の終わりごろだったかな。
なにやら、さっきから、苦しそうな顔で、お腹をさすっている。
「あ~、なんかお腹痛い。ゴメン、ちょっと・・・・」
そう言って、すごいスピードで逃げるようにして、玄関から出て行った。

まあ、自分のアパートへもどったのだろう。歩いて3分だ。
そのうち戻るだろう。そう思ってしばらく待ったが、その日は戻らなかった。1時間ほど一人で過ごすことになった。

というより、それ以降もうこなくなった。
随分長い腹痛だ。とても心配だ(笑)。

うんともすんとも言わない、ただただ毎日が不機嫌な男子中学生だ。
当時の筆者は、興味のないこと、興味のない人には、ほんとに無関心だった。
学校の勉強に興味がなかった。この家庭教師にも興味がなかった。
気を遣かうとか、愛想とか、世間では当然のルールも当時の筆者は知らなかった。
しかも人見知りでもある。

この先生には同情する。これも修行の一環だろう。
きつかったと思う。週2回、2時間、言葉をしゃべらず、目をあわさず。質問もない。いわれたことだけはやっていた。
コミュニケーションがとりずらい子供だった。
お腹も痛くなるだろう。

2人目の先生は1人目の先生の高専の後輩だ。
母が一人目の先生に、仕事放棄したことのクレームをつけたようだ。
当時、母はすごい剣幕だった。

母は先生のアパートへ押しかけたようだ。
その場で「もう辞めたい。お願いです、やめさせてください。」 そう懇願されたようだ。
折衷案?で、かわりに高専の後輩を紹介してもらうことになったらしい。
母も必死だ。

この先生は、家庭教師経験があるという。

あまり感情論を挟まず、てきぱきとやることを指示し、私はいわれたことをこなす。あまり距離を詰めてこない。助かった。
私が指定された数学の問題を解いている間、この先生は自分の教科書を開いて勉強している。
中学の教科書レベルの問題だと、すぐ解ける。簡単な問題ばかりだ。

ある時、この先生は、百科事典くらい分厚い本をもってきた。数学の証明問題やら因数分解やらの問題集のようだ。自分の所有物らしい。中学時代につかっていたらしい。内容はあきらかに中学レベルを超えている。

解けないのだ。
でも、なんだか、うれしかった。こんな難しい問題を解け、そういうことだ。 自力で解きたい。そう思った。
完全にギブアップ状態なのだが、あきらめたくない。奇跡を信じて30分くらいは考えた。
その間はづっと沈黙が続く。
先生は我関せず、自分の勉強をしている。

どうしても解答を知りたかった。素直にそう感じた。
「わかりません、教えてください。」かすかな声でそう言った。
(勇気を出しだのだ。)
これが自発的にこの先生にしゃべりかけた最初の言葉だ。

先生は ”にこっ” として、自分の教科書を脇におき、丁寧に解き方を教えてくれた。わかりやすく、よく理解できた。毎回、一番最後の30分はこの難しい問題集の問題を一題とくことがルーティーンとなった。こんな難問は高校入試にも、定期テストにも絶対にでない。絶対登れそうもない山を、結局最後には登っている。そんな感じだった。この先生は数学の教え方の天才だった。どうもそうらしい。

はじめのころは、距離感はやや遠く、冷めた感じだった。金がほしいだけだろう。間違いなく割り切ったバイトだろう、そう思っていた。
どうやら、そうでもないらしい。

この先生は、中学2年の1年間、この先生の高専卒業まで毎週2回、各2時間、みっちり英語と数学を教わった。結局成績はまあまあ良くなった。学年順位で300人中100番台前半くらいにはなったろうか。1年生時は200番台が定位置だったことを考えれば、相当な急上昇だ。

お互い個人的な話は、ほとんどしていない。名前も顔も覚えてないが、この先生にはなんだか感謝の念がある。

中学3年生、さらに後輩の3人目の先生に引き継がれた。

このころには、さすがに、世の中の仕組みがなんとなく見えてきていた。
もう中学3年生だ。

学歴? まあ高校くらいはいくべきだし、高校にもいろいろある。
いわゆる ”よさげの高校” へ行った方が、つぶしは効きそうだ。
時代は経済至上主義、それなりの競争社会だ。
それくらいは肌感覚でわかっていた。

それくらいの動機で、ちょっと勉強して成績あげてみようか。
そう思い始めていた。成績がいいと女子好感度も高そうだ。
このころの当時の筆者の実感だ。

教科書に書いてあることを覚えて、解答するだけなのだ。
数学は問題を解くだけ。定期テストも高校入試でもほとんど難問は出ない。
簡単な作業だ。それで親は喜ぶ?

女子人気もアップ? そうならば、ちょろいもんだ。

この先生とは、2時間のうち半分くらいは雑談したり、なんやかんやで遊んだ。当時はやっていたマッチ棒クイズ(注1)やら、なそなぞが多かった。
今からの思えば、これが最適解だ。
そもそも当時の筆者に2時間など集中力が継続しないのだ。

なぜかコミュニケ―ションも自然に取れた。この先生は自分のことを良く話す。同じ県内だが、かなりの山奥の出身のようだ。前の2人の先生とは違い、なんか気さくで話しやすい。

アイドルの話やおかしな学校の先生のネタなら、当時の筆者もいくつかレパートリーがあったのだ。会話が盛り上がった。前の二人の先生に比べると顔の表情の種類が多い、そう感じていた。悩みもあるようだ、先生も戦ってる。そう感じた。

成績は上がった。中学3年の2学期くらいには、クラスで4-5番。学年で20-30番くらいだったろうか。これなら、地元の公立の進学校へは入れそうだ。

中学の学習内容は簡単なのだ。成績が良いとか悪いとかの問題でなくて、いい成績をとろうとするか、しないかだけだ。ただのゲームだ。そのことは知っていた。

成績の上がり下がりで一喜一憂する同級生、これは滑稽でしかない。

成績表をみて、真面目な顔して進路指導する教師、これも滑稽だった。
あなたはすでに安定した公務員だろう。
教え子の進路などどうでもいいだろう。どうだ、本音を言え。
そう思っていた。

とはいえだ、
成績あがると先生の対応も、友人の対応もなんか違う。
なにより、母がうれしそうだ。定期テストのたびに、渡される成績表、これには各教科の点数、平均点、学年順位が書かれている。
これをみて母はうれしそうだった。満面の笑みだ。いい表情をしている。

これは、奇妙な感じだ。おかしな世界だ。
これでいいのか? こんなことでいいのか? 簡単すぎやしないか?

なんとなく、自分がどんなとこへ迷い込んだのかがわかってきた。

いよいよ悩みは深くなる・・・。

ーーーーーーーーーーーーーーー


今年の正月に母に会った。
たまには新年のあいさつくらいしろとのことだ。

すでに到着していた甥っ子たち、母からすると孫だ。
この母は筆者の子供時代のことを話すときは楽しそうだ。ずっとそうだ。

歴代の学校の先生の筆者の子供時代に対する評価を、嬉嬉として語っていた。

“コージ君はずっと、授業中外ばかり見ています。勉強をやる気がないようです。”

歴代の担任の弁

これを引き合いにだして、
「まあ、それでもこんな立派な大人になるのだから、大丈夫よ。このおじさんがいい例よ。気楽にやりなさい。」

これから就職や進学を控える孫たちへの母なりの(おばあちゃんとしての)無責任で不器用なエールのようである。

横で聞いている筆者は、なんだか ”こそばゆい” 感じだ。褒められてるのだろうか。甥っ子たちは微妙な表情だ。


小学校や中学校の授業の内容で最初に興味をもてたのは、歴史だろうか。
確か小学校6年生の社会科の時間だった。

はじめて歴史を学んだ。
縄文時代や弥生時代を、狩猟採集だの農耕だの、適当にごまかして、何百年か何千年か知らんが、いっきにすっ飛ばす。

とにかく何もわからない。このころのことは、ほとんど誰も知らない。
そういうことのようだ。

これにまずびっくりした。
穴ほって、たまたま出てきた、土器やら矢じりやら見て、あれこれ想像している。それだけ。

古代の3世紀後半~5世紀初頭は、具体的な記録が無いので「空白の四世紀」。これも驚きだ。わからない? ほんとに? よく調べたの?
そう言いたくなった。

 まあ、人間の平均寿命からすると、当時生きていた人で今生きている人はいないので、無理もないな~。とも思いなおした。
まあ、しょうがないのかもしれない。

 そして、平安時代、鎌倉時代、室町時代から戦国時代へ。
このあたりで、いよいよ気がつきはじめた。いや確信した。

我々日本人のご先祖は、戦闘好きだな。

日本人の歴史はほぼ、”人〇し”、”〇戮” の歴史である。すくなくとも教科書を見る限り、そうとしか読み取れない。一方で道徳の授業内容のなんと浅いことか。歴史を教えるときは、”〇人”組織の親玉を天下統一の偉人として称えている。一方で ”道徳” の授業では万引きを題材して、ことの善悪を教えている。もうめちゃくちゃだ。しかも同じ教師の授業だ。

親子、兄弟でも平気で〇し合う。 裏切る。 

天下統一だと? やってることの内容としては、”昭和の任〇映画” とほぼ同じだ。いや、任〇の世界なら、盃を交わした親子、兄弟の絆は強い。そうそう簡単には裏切らない。任〇の世界への好感度の方が高い。

 策略、暴力、力での支配構造。このゲームの勝利者が天下を治める。
しかもその勝者が歴史上の偉人として教科書にその名が刻まれ、尊敬されている? いまだに? うそだろ?

まじか? 絶望的な気分だった。

この血が自分にも流れている? 間違いなくそうだろう、できるだけ薄まっていて欲しい。そう願った。

クラスメイトを眺めてみる。先生含めほぼ全員ご先祖をたどれば、人〇しにいきつく。

 これには、悩んでしまった。かなり深刻だ。 

なんでこんなことになったのか? 
人間とはなんなんのか?    
自分な何者なのか? 

 なんでこんなとこに迷い込んだのか?
それでも時間だけは過ぎていく。

だれも疑問には思わないのか? 
この歴史は何かの間違いであってほしい。
もう一度良く調べ直せないのか。

 ”じと~” とした感覚が心にべっとりと残る。結局この ”じと~” とした感覚とともにかなり長い年数を生きていくことになる。

 教室には答えがない。だから外を見ていた。

 おかあさん、これがアンサーです。
 

 注1:マッチ棒クイズ

 注2:昭和の任侠映画の代表作。仁義なき戦い。

 51.かぐや姫の里帰り へつづく


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