最近「雨」が印象的だった歌詞、ふたつ
雨っていろんな印象をつくる。
悲しみや憂鬱、絶望感を現すためにつかわれることもある一方で、優しさやめぐみを示したりもする。
最近、「病院ラジオ」でリクエストされた曲に出できた「雨」が印象に残った。
それは、back numberの「瞬き」だった。
曲の冒頭の歌詞がこれである。
この歌を知らなかったから、「幸せとは」の後に「星が降る夜と眩しい朝」と続いたのを聴いて「うむうむ、そういう綺麗な曲なのかな」と思った直後に「〜繰り返すようなものじゃなく」と否定がきて。
「そうじゃないのか!!!!!!」ってなりました。
続いた言葉は、その直前の例えと対極にあるような、悲しくて冷たくて重々しい、だけど一筋光が差し込むような情景だった。
「星が降る夜と眩しい朝」は、ひとりでも感じられる幸せ。心が震え、息を呑むようなキラキラとした美しい瞬間。そういうものに感動できる心と日常があることだって、間違いなく幸せだと思う。
「大切な人に降りかかった雨に傘を差せる」のは、自分以外のだれか大切な人がいて、それ自体がもうひとつの幸せで、悲しみや辛さの中にいる自分以外の人をほおっておけないと体が動くこと、そういう自分であれることもひとつの幸せなのかもしれないと想像して、あっという間に目から涙が溢れた。
完全に不意打ちだった。
病院ラジオでは、スタジオとなる病院が毎回変わる。その場所で、なにかの治療を受けている患者さんやその家族が、病院に来ている理由や病気になる前の生活などを語った後に曲をリクエストする。
患者さん自身が、自分を励ましてくれた曲を紹介することも多いが、辛いときにそばにいた家族や友人など大切な人へのメッセージとして、贈りたい曲が紹介されることもある。
もしくは、家族から曲がリクエストされることも。
一人ひとりの物語を聴いてから触れるメッセージは、すでに知っているはずの曲でもいつもと違う印象になる。
たくさんの人が耳にした曲も、受け取った人たちの物語に織り込まれると、こんなにも姿を変えるのかと新鮮な気持ちになる。
2024年の9月27日に最終回を迎えた、連続ドラマ小説「虎に翼」の主題歌にも印象的な「雨」があった。
米津玄師の「さよーならまたいつか!」だ。
この歌詞を聴くたびに、主人公の寅子が、その時代では多くの人が「そういうものだ」と諦めてしまうような問題に疑問を持ち、霧の中もがきながら前に進もうとする姿が思い浮かぶ。
今すぐ状況をいい方向に変えていくための知識や力がないとしても、なりふり構わず困っている人のそばにかけていく。それ自体がもう強さなんだよな、と思いながら。
この場合はもう、傘は持っていないんだろうなと。自分もずぶ濡れになることはわかっていても、駆け出すことをやめられないんだ、きっと。
それゆえに無力さを思い知って、悔しくて泣いてしまうこともあるだろうけど、それでも最善を追い求める情熱だとか、大なり小なり自分にも思うところがあって、でもわたしは結局何かを変えられただろうかと、胸をギュッと掴まれる気持ちになる。
「雨」の中、傘があれば差し出す準備ができていて、ないとしてもかけつけられるような、そんな強さを持つ存在に、どうしようもなく憧れてしまうようだ。
寅子のように、世に名前を残すほど何かをするのは難しいけど、せめて自分の手の届く範囲、目の前にいる人には、そうできる存在でありたい。
なんて、割と本気で思ったりしている。