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植物が好きだった祖父の残したもの | 金曜日のひとりごと


先月、久しぶりに実家に帰ったついでに、祖父が育てていた苔玉をひとつ持ち帰ってきました。

事前に夫にも「これ持って帰ります」と写真を送っていたけど想像より大きかったそう。用意されていた受け皿がちいさすぎた
秋田の実家の庭はまだ雪が残っていた。東京に来てから新しい芽が伸びてきていて生命力を感じる

盆栽や山野草など植物を育てるのが好きだった祖父。2018年に亡くなっていて、家族にお世話できる人がいなかったため、庭に地植えされているものをのぞいて、植物はほとんどを手放してしまっていました。

そんななかで残っていた、この苔玉。

わたしがおじいちゃんっこだったのもあり、いつか受け継ぎたいと思っていたのでお迎えできてとてもうれしいです。

多分、祖父の足が悪くなって庭に出ていけなくなったころに、わたしが植物を受け継ごうとしても、誰も止めなかった思います。

でも、わたしには覚悟が必要だと感じていたのです。

まだ祖父の足腰もしっかりしていて、植物のお世話が日課だったころ、うちにきたひとが「庭にある苔玉をひとつゆずって」と祖父に話していました。

すると「あれはそういう簡単な気持ちで世話できるものじゃない」と強い口調で返していたのです。普段は穏やかな祖父が。

2013年に撮っていた写真。この時は4つ苔玉があったけど、いまはたぶんもらってきた1つしか残っていない

なんせ当時ですでに20年以上前から育てていたそうで。たしかに、その積み重ねを感じる風貌をしていました。

自分の体が動くうちは、自分で世話をしたかったのだと思います。

ひとつひとつ特徴が違って、祖父の遊び心を感じられる
多分、わたしがもらってきたのはこのもしゃもしゃのやつ。奥のは花が咲いていてきれい

いまはいまで、主に母がお庭を引き継いでいますが、祖父がお世話していたころとはかなり姿が変わりました。

祖父にしかつくれないあの空気感を写真に残しておいてよかったなと、いまあらためて思います。

2013年のお庭と祖父。モモの木の下でよく休んでいました。冬はこの庭全体が背丈ほどの高さまで雪でいっぱいになります


あの祖父の厳しい言葉を思い出しては「わたしにできるかな…」と不安がよぎりますが、この先また何年も、何十年も春に芽吹く姿が見られてるように大切にしたいと思います。

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Koimizu Shiori
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