見出し画像

金(gold)と罌粟(アヘン)~本位財から読み解く歴史の謎~

はじめに:終わりの始まり

資本主義が、断末魔の叫びを上げている。

資本主義は「拡大再生産」を前提とするが、そうした仕組みがいつまでも続くことなどあり得ない。

紙幣の本質は「借用証書」で、日本銀行は「負債」を計上し紙幣をジャブジャブに刷っているが、一方の「債権者」は誰が該当するだろう?

答えは「国際決済銀行=BIS」だ。

現代資本主義において各国は「負債」を立てて紙幣を刷り、一方の「純資産」はBISに積み上がる。

周知の通り、BISは国際金融資本の「牙城」である。

各国が紙幣を発行すると、国際金融資本の懐には自動的に「通貨発行益」が積み上がるため、彼らは労せずして「富」を収奪できてしまう。

「負債」は「利子」を付けて返さねばならず、その返済のためさらに借金を繰り返す。

「負債」が「負債」を呼び、気づいた頃には借金まみれ。

資本主義に組み込まれた各国政府は、「債権者」としてBISを牛耳る国際金融資本の「操り人形」となっている。

彼らが「国家を超えた存在」として「ディープステート」と呼ばれる所以である。

「負債」の返済は結局のところ我々の納める「税金」によって賄われるため、0.1%の特権階級が99.9%の隷属民を支配する強固なピラミッドが出来上がる。

「隷属民」とはもちろん、我々一般人のことである。

国際金融資本は、これでもかというくらい何もしない。

否、どうすれば99.9%の隷属民を効率よく支配できるか。

彼らの念頭には、それしかない。

資本主義は本来的に「格差」が広がるように出来ている。

0.1%の特権階級へ「富」が吸い上げられ、99.9%の隷属民はあくまで「搾取」の対象とされるシステムだ。

r>g

r:資本収益率
g:経済成長率

歴史的に「資本収益率」は「経済成長率」を上回る。

『21世紀の資本』(トマ・ピケティ著 みすず書房)において、説明される通りだろう。

経済成長率(g)よりも資本収益率(r)の方が高いわけだから、放っておいたら資本家(特権階級)の富がブクブクと膨れ上がり、格差が開くのは当然だ。

我々「隷属民」は借金を返済するため、馬車馬のように働き稼ぐことを強いられる。

去年よりも今年、今年よりも来年…

借金の返済には「利息」が伴うため、資本主義に「前同マイナス」はあり得ない。

拡大再生産。

資本主義は「成長神話」を前提としており、売上や利益を「拡大」していくことでしか、その存続を図れない。

資本主義にはその存続条件として「拡大再生産」が、本来的に組み込まれている。

しかし、どうだろう?

地球の資源は限られており、永遠に生産を拡大するのは、誰がどう見ても不可能だ。

「負債=借金」を前提とする「売上至上主義」は、いつかどこかの時点で行きづまる。

現代資本主義は特権階級が「富」を収奪するため、「経済循環」が起こらない。

「一方通行」の「片道切符」で富がピラミッドの頂点へと吸い上げられ、その「余り」を99.9%が奪い合うため、待っているのは「ジリ貧」以外ないだろう。

99.9%の隷属民が疲弊し没落すれば、その上に拠って立つ特権階級も潰れざるを得ない。

資本主義は「破滅型のシステム」とも言え、崩壊へのカウントダウンが既に叫ばれ出している。

「冷戦」たけなわの頃、誰が「ソ連」の崩壊を予測できたろう?

「資本主義」と「共産主義」は「双子」の関係にある。

ソ連が崩壊し共産主義が潰え、資本主義もまた「パックス・アメリカーナ」の終焉と共に、もう間もなくこの世から姿を消すだろう。

資本主義に取って代わる新しいシステムは、一体どんなものであり得るか?

それを考察するには「貨幣史」や「経済史」の追究が必要だ。

貨幣とは?
経済とは?

「金本位制」に見られるように、貨幣価値は歴史的に金(gold)によって保証されてきた。

このように貨幣価値を保証する財を「本位財」と呼ぶが、金(gold)は「オモテの本位財」であり、それと対をなす「ウラの本位財」が罌粟(アヘン)ということになる。

大東亜戦争の期間中、大陸の奥地ではドルをはじめ紙幣は全く通用せず、取引には罌粟(アヘン)が使われていたという。

金(gold)と罌粟(アヘン)。

これら二大本位財を切り口に歴史をひも解くと、この世界の別の側面が見えてくる。


1:分離の起源

本位財の話へ移る前に、本章と次章で「分離」について深掘りしたい。

貨幣の誕生により「支配」と「隷属」の歴史が始まり、現代まで続く「ピラミッド社会」が築かれた。

「分離」を追究することなしに、貨幣の歴史はひも解けない。

また、社会が「分離」した原因として「貨幣」の他に「言語の創成」が挙げられる。

歴史家の落合莞爾氏によると、「言語の創成」と「貨幣の誕生」は軌を一にするという。

はじめに言葉ありき

落合氏の見解が正しいとすると、上記の文言ではじまる『ヨハネによる福音書』は、「言語の創成」と共に「貨幣による支配」をも意味していることになる。

すなわち「分離」の始まりだ。

我々の住まう物理次元は「分離の世界」と言える。

表裏
善悪
正邪
陰陽
明暗
剛柔
etc…

「表」があれば「裏」があり、「善人」がいれば「悪人」もいる。

我々はそれを「当たり前」と捉えているが、そうした「分離」が起こる以前の段階があるとすれば、それはどんな世界だろう?

「分離」のない世界とは?

あなたは私、私はあなた
一即全、全即一

全てが一体であった「一元性の世界」において、言語はおそらく必要ない。

以心伝心。

言葉を使わずとも「あなた」と「私」が一つであれば、テレパシーのように想いを共有できるだろう。

言語は「想い」や「概念」を論理的に表すための「手段」であり「システム」だ。

「想い」や「概念」を左脳を使って解すための「OS=Operating System」とも言えるだろう。

言語は明らかに人為的なシステムであり、アルファベットの起源がそれを証明している。

アルファベットは当時シナイ半島に住んでいたフェニキア人の生み出した文字で、彼らは商才に長けていたため「メソポタミア」や「エジプト」との交易によって栄えていた。

ところが、メソポタミアは「くさび形文字」、エジプトは「象形文字」を使用しており、これでは言語を2つ習得せねばならず効率が悪いということで、アルファベットが生み出された。

アルファベットは「めんどくさがり屋」のフェニキア人の生み出した「技術革新」とも言えるだろう。

ところで「言語」と「貨幣」の共通項とは何だろう?

「言語の創成」と「貨幣の誕生」が軌を一にするのなら、両者は「共通の目的」に従い生み出されたと考えるのが妥当だろう。

両者は共に「分業」を促進する手段として、「一元性の世界」に楔を打ち込んだと言えよう。

区別し、分け隔て、各々が自身の役目を果たすことで、社会全体を切り回す。

「分業」を促進するには「あなた」と「私」をハッキリ区別し、各々の役割や立場の違いを明示せねばならない。

もはや「あなた」と「私」は同一ではなく、その差異を指し示すため生み出されたのが「言語」だろう。

「貨幣」については、以下の3機能が周知されている。

・価値尺度機能
・交換機能
・価値貯蔵機能

「分業」を前提とする社会において物々交換では効率が悪く、「貨幣」が上記の3機能を担保することで、経済を活性化させる「潤滑油」として機能する。

言語と貨幣は「分業の促進」という共通項に沿っており、両者は相補的な関係にあると言えるだろう。

分業社会で「サボる」ことは許されない。

誰かがサボればその影響は社会全体へ波及するため、分業を成り立たせるには無理にでも人々を従わせるだけの「強制力」が必須となる。

「強制力」とは「暴力装置」のことであり、命令に従わなければ「武力」をチラつかせることで脅すより他ないだろう。

「分業」は「分離」を促進する。

時には「武力」を用いてでも「強制力」を持たせなければ、そもそも社会が成り立たない。

支配、管理、統制…

現代のピラミッド社会の遠因は「分業」にあると言えよう。

しかし、なぜ歴史の一時点において人々は突然「分業」へと舵を切ったのか?

逆に言うと、それ以前は「分業」を必要としない「一元性の世界」が展開されていたことになる。

なぜ「一元性の世界」は、終わりを迎えることになったのか?

歴史の流れは「振り子」の動きに似ている。

振り子の針が「分離」へと傾き、それが今極限まで振り切れたことで、世界は再び「一元化」へと向かっている。

前回の「一元性」が、どのようにして潰えたか。

それを知ることで今回の「一元化」へと向かう流れを、より詳細につかむことが出来るだろう。




2:13,000年前の崩壊

地球は今から約13,000年前に、壮絶な崩壊(カタストロフィ)を経験しているという。

スピルチュアルに通じた人ならご存知だろうが、この崩壊は科学の世界においても綿密に検証されている。

例えば地質学の分野では「磁極線」を分析し、過去の時代における「磁気的な極」を割り出すことで、「ポール・シフト=極移動」が実際に起こったことが既に証明されている。

溶岩に含まれる「鉄」の堆積層は磁極に沿って一直線に並ぶため、どこでも地球上の3ヶ所からサンプルを採り磁極の方向を特定できれば、その時代における「磁気的な極」がどこであったか割り出すことが出来るという。

ちょうど13,000年前の地層においてこの調査を行ったところ、現在の北極とは遠く離れた「ハワイ」の位置に「磁気的な北極点」が見つかった。

ほとんど「一昼夜」という極めて短時間のうちに極点が移動したと見られており、それだけ急な極点の移動は「天変地異」とも呼べる大災害をもたらしたに違いない。

「レムリア」と「アトランティス」の崩壊はおそらく、この時起こったものだろう。

地球上には現代文明が興る以前に「超古代文明」がいくつも存在しており、それは『旧約聖書』の中においてもそれとなく記載されている。

私を見付ける人は誰でも私を殺すでしょう

『創成紀』第四章 十四節~十五節

これはカインが弟のアベルを殺し、それが神の知るところとなり、住んでいた町を追われる際に残したと言葉とされている。

しかしよく考えてみると、このセリフは少しおかしい。

アダムとイブは人類の始祖でカインは彼らの長男のため、弟のアベルが亡くなった以上、地球上には本来「アダム」「イブ」「カイン」の3名しかいないはず。

けれども、カインは上記のセリフを残して立ち去っており、3名の他に「地球の先住民」がいたのを聖書はそれとなく示している。

実際、その後カインはいつの間にか所帯を持ち、自身の作った町に実子と同じ「エノク」という名前をつけていることから、相当数の人々が「アダム」「イブ」「カイン」の他に「地球の先住民」として住み着いていたのがうかがえる。

『黎明 上・下』を著した葦原瑞穂氏によると、「アダム」と「イブ」から始まる地球の文明は、大きく分けて7つに分類できるという。

【1】エデンの園
【2】北極文明
【3】ラー文明
【4】ウルダー文明
【5】レムリア文明
【6】アトランティス文明
【7】アーリア文明(現代文明)

先に挙げた「地球の先住民」は、アダムとイブが地上へ降り立つ前に「フライング」してやってきた「ちゃっかり者」ということになる。

こうしてみると「レムリア」と「アトランティス」も5番目と6番目に当たるため、「地球史」という長いスパンで見れば、かなり新しい方になるだろう。

いずれにしても、現代文明が人類の創った唯一無二の文明というわけではなく、それ以前にかなり高度なテクノロジーを持つ「超古代文明」がいくつも存在していたことになる。

そうした「超古代文明」においてはおそらく、「物質化」もお手のものであったろう。

キリストが空間からパンを取り出したとか、

サイババが手の平から黄金を生み出したとか、

現代は聖人君子や霊能者の「専売特許」となっている「物質化」だが、超古代文明においてはそうした「超能力」と見られる現象も、ごく一般的なテクノロジーとして「実用化」されていただろう。

「物質化」が当たり前の社会であれば「分業」はおろか「労役」の必要性さえ全くなかったに違いない。

欲しいものは何でも、手にできるのが当たり前。

そうした時代が過去に存在したのを証明するのは難しいが、同時にそれを100%否定するのも誰にとっても無理だろう。

「ポール・シフト=極移動」による古代文明の崩壊。

そのような「リセット」がおそらく、過去地球では数えきれないほど起きている。

「ポール・シフト=極移動」は地球の「磁場」を崩壊させるため、その際人々の「記憶」が完全に消去されてしまう。

一般に記憶は「脳内」にあると言われているが、実はそうでなく「空間」に刻まれているという。

記憶のメカニズムはDVDの再生と似ており、脳は「記憶の貯蔵庫」ではなく「受信機」と捉える方が適切だ。

DVDの再生は、ディスクに刻まれた情報をハードウェア(DVDプレイヤー)で読み取り、それを映像として画面に映し出す。

同じように記憶も、空間に刻まれた情報を脳で受信し、それをイメージとして心に映すことで過去を思い起こしている。

記憶は一種の「電磁波」のようなもので、「地球の磁場」に「電磁波としての記憶」が刻み込まれているという。

そのため「ポール・シフト=極移動」により地球の「磁場」が崩壊すると、そこに刻まれた記憶も全て破損し、人類は再度「火の起こし方」から学ばねばならない。

それまで培ってきた「叡知」や「テクノロジー」は、磁場の崩壊と共に全て「おじゃん」となり、高度に発達した文明社会は一気に「原始時代」へと後戻りしてしまう。

13,000年前に起きた崩壊はおそらく、そのようなものであったろう。

しかし、一部の「マスター」と呼ばれる存在は、自らの「記憶」を何らかの方法で守り抜き、「先史時代の叡知」を基に現代文明を興したのではあるまいか。

歴史家の落合氏は現代文明を「第二文明」、先史期の古代文明を「第一文明」と呼び、現代文明は「第一文明」の叡知を用いて創成されたと述べている。

落合氏は「第一文明」の生き残りを「ウバイド人」と呼んでいるが、その詳細は次章で論じたい。

いずれにしても「ポール・シフト=極移動」による文明の崩壊により、今から約13,000年前に地球がディセンション(次元降下)したのは確かだろう。

『フラワー・オブ・ライフ』を著したドランヴァロ・メルキゼデク氏は、地球のディセンションを「ルシファーの実権」と呼んでいる。

「一元性の世界」において、人々は「大元」と繋がり、言語すら必要のない「一体感」の中で生きていた。

それはまさに「フラワー・オブ・ライフ」の世界だろう。

通常の「フラワー・オブ・ライフ」
『フラワー・オブ・ライフ 第1巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット)P336より引用

「フラワー・オブ・ライフ」は19個の円が相似形を描くように重なり合い、「調和」「均整」「一体感」を表すことで、太古の昔から「神性幾何学」として崇拝の対象とされてきた。

この「フラワー・オブ・ライフ」が分離して生まれたのが、我々の住む物理次元と言えるが、それは次の「双眼のフラワー・オブ・ライフ」によく表れているだろう。

双眼のフラワー・オブ・ライフ
『フラワー・オブ・ライフ 第2巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット)P286より引用

通常の「フラワー・オブ・ライフ」と「双眼のフラワー・オブ・ライフ」は、パッと見同じに見えるだろう。

けれども、両者は似て非なるもの。

「双眼のフラワー・オブ・ライフ」はその名の通り、中心が2つある。

どこまで行っても「二元的な世界」が続き「一元性の世界」に見られるような「一体感」はいつまで経っても得られない。

「表」があれば「裏」があり、「善人」がいれば「悪人」もいる。

先に述べた通りである。

「分離」は言葉だけ聞くと悪いものに思えるが、それは「自由意志の獲得」と表裏の関係を成しており、一面では人類の進化にとって多大な貢献を果たしている。

「一元性の世界」において「全ては一つ」という念のもとでは、「原理・原則」から逸脱するのは実際的に無理だろう。

しかし「双眼のフラワー・オブ・ライフ」のもとでは、「闇堕ち」だろうが何だろうが、望めば何でも出来てしまう。

「痛み」を知り「一元性の世界」では経験できない感情を知ることで、人としての「幅」や「奥行き」が生まれてくる。

「分離」とは「自由意志の獲得」に他ならない。

果たして13,000年前、地球に何が起きたのか?

ディセンション(次元降下)による崩壊は、「自然現象」か「神の意思」か。

おそらく、どちらでもあるだろう。

これから時代が「高次精神文明」へと向かうどこかの時点で、人類はその謎を解き明かすことになるだろう。

その中で鍵を握るのが「ウバイド人」と呼ばれる存在だ。

ウバイド人は「第一文明」と「第二文明」を「橋渡し」する存在で、「言語」や「貨幣」の創成に深く関わっているという。

超古代文明の崩壊を生き延び、現代文明を興した「ウバイド人」とは何者か?

次は「ウバイド人」と「貨幣」の関係性について見ていこう。




3:ウバイド人と金(gold)

「ウバイド人」とは落合氏が便宜的に付けた名称で、シュメール文明が興る以前にメソポタミアで栄えた「ウバイド文化」の担い手を指す。

「ウバイド文化」は興味深い。

ウバイド遺跡で発見された人型トカゲの像
【カラパイア 不思議と謎の大冒険】
<https://karapaia.com/archives/52310696.html>より引用

上記はウバイド遺跡で発見された「人型トカゲ」の像であるが、実際のところ「ウバイド人」とはどんな存在であったのか。

この像を見る限り、我々と同じ地球人(人類)であったとは思えない。

「ウバイド人」とはおそらく、人類と地球外知的生命との「ハイブリッド」ではなかろうか。

「ウバイド人」はシュメール文明の基を成すが、その始まりから高度な「測量技術」や「経済観念」を持ち合わせていたという。

そうした「技術」や「知恵」の元はつまるところ「宇宙」に由来し、「ウバイド人」が「金=gold」を重視し経済振興を図ったことから「アヌンナキ」との関係が疑われる。

アヌンナキは「エンキ」と「エンリル」の「兄弟ゲンカ」が神話として残っているが、こうした「兄弟の物語」は世界中いたるところで見受けられる。

オシリスとセト
アシュラとインドラ
カインとアベル
etc…

『記紀』に登場する「アマテラス」と「スサノオ」も似たようなものだろう。

「アマテラス」は「女神」されているが実際は「男神」で、「スサノオ」と対を成している。

こうした「兄弟の対立」は「地球の二元化」に深く関連しており、ウバイド文化やシュメール文明をひも解くことで「ディセンションの真相」に迫ることが出来るだろう。

地球外の惑星にルーツを持つ「ウバイド人」は、超古代文明が崩壊した後「言語」と「貨幣」を生み出すことで現代文明を創始した。

メソポタミア文明はシュメール人
エジプト文明はエジプト人
インダス文明はインド人
黄河文明はシナ人

一般に四大文明は「現地人」が生み出したと言われているが、実際は全て「ウバイド人」が創始したという。

「ウバイド人」は文明を立ち上げ、それが軌道に乗ると「現地人」へと明け渡し、場所を変え次々と各地で文明を興したとされている。

そのため「ウバイド人」の本質は「コスモポリタン=国際人」と言え、「超国家的視座」から地球社会の運営を、古代から現代に至るまで影ながら担っているという。

「ウバイド人」はシュメール文明を興した後散開するが、その中で東進した一派が紀元前1,400年ころ紀伊半島へたどり着き「現天皇家」の始祖となる。

各地へ散った「ウバイド人」は「王族」や「名家」として今も地球社会を影から統治し、日本の天皇家は「王室連合」とも呼べる超国家的グループの「盟主」として、地球社会の頂点に君臨している。

地球社会を「国家の集合体」として見るのは表面的なものでしかなく、その実態は各国の王族が「王室連合」として互いに結びつき、連携を図りながらパワーバランスを均衡させる「ワンワールド」と見る方が正しい。

「国家」は「幻想」に過ぎず、地球社会の運営は国家を超越した「ワンワールド勢力」に拠っている。

例えば第二次世界大戦の際、イギリスとドイツは「Battle of Britain」呼ばれる一大航空決戦をロンドン上空において展開したが、当時ドイツは飛行機を飛ばす燃料(石油)が枯渇しており危機的状況にあったという。

しかし幸運にも「救いの手」が伸べられ、猛烈な爆撃をロンドンに見舞うが、当時のドイツ(ナチス)に石油を割り当てようと思う者など、一体どこにいるだろう?

驚くなかれ、ドイツ(ナチス)を支援し石油を工面したのは「英王室所有の石油会社」であったという。

自国民が命懸けでドイツ(ナチス)と戦っている最中に、王室がしゃあしゃあと仇敵に石油を売り裁く。

それがこの世界の現実だ。

日本においても似たような話はいくつか見られ、例えば1941年10月に三笠宮が成婚された際、英王室から「親電」が送付されている。

これに対し日本側は昭和天皇が直々に返電されたと言われているが、41年10月と言えばまさに一触即発、「ABCD包囲網」により行く手をふさがれ、日英の外交関係は極めて険悪な状態にあったはず。

しかし、そんなことなど「どこ吹く風」といった体で、日英の王室同士は平時と変わらぬ親交を結び、当時の世相とは著しく乖離した態度を取っている。

「国家」と「王室」は別物だ。

「国」と「国」が対立し、戦争が起こるわけではない。

世界を動かし歴史を紡ぐのは、「国」ではなく「人」だ。

「ウバイド人」が中核をなす「ワンワールド勢力」が、これまで現代文明をリードしてきたと言えるだろう。

天皇家を中心とする各国王室の「倫理的問題」については、ここでは深く立ち入らない。

近年、「ディープステート」の一味として天皇家を非難する動きも散見されるが、「二元性の世界」と呼べる物理次元において「善」と「悪」を明確に区別するなど、誰にとっても出来っこない。

「善」と「悪」はあくまで相対的なもので、「どの角度から見るか」により評価は全く違ってくる。

「倫理的な問題」はここでは留保し、なるべく中立的な態度で以って「ウバイド人」について見ていきたい。

先述の通り「ウバイド人」はその始まりから高度な「経済観念」を持っており、彼らが文明の創始に際し特に重視したのが「砂金の採集」で、それらを加工し「貨幣」として用いることで物質文明を基礎づけた。

「金=gold」は「ウバイド人」にとって「分業」を促進する手段であり、その差配により各地の経済振興を図ったことから、彼らは「金=gold」の「管理人」と呼ぶにふさわしい。

日本史において「大兄」の称号は長らくその意味が謎であったが、落合氏によるとこれは「黄金ファンドの管理人」を指す役職名であるという。

氏は天皇家(ウバイド人)の管理する金(gold)を「國體黄金」と表現するが、「大兄」はその「ファンドマネージャー」に当たるだろう。

日本史では「中大兄皇子」や「押坂彦人大兄」が知られているが、彼らは「國體黄金」を用いることで、各地の経済振興を図っていたことになる。

「押坂彦人大兄」は「敏達天皇」の皇子であるが、『真相追究 物部氏と古代日本』を著した鍋島直亮氏よると、彼は「聖徳太子」と「同一人物」であるという。

氏は同書において「押坂彦人大兄=聖徳太子」説を展開するが、太子は「四箇院」の創建をはじめ社会福祉に尽力しており、「國體黄金」を用いることで「公共事業」を推進したと解釈すれば、確かにつじつまが合うと思う。

このように「大兄」の役を担った者が音頭を取り、各地の経済振興を図ることで、これまで現代文明をリードしてきたと言えるだろう。

近代において「大兄」の役を担ったのが新一万円札の顔「渋沢栄一」で、彼の素性は「幕臣」ではなく「皇室の代理人」と呼ぶ方がふさわしい。

渋沢の孫である故・鮫島純子女史は生前、美智子上皇后の誕生会に毎年招かれるなど皇室と親交が厚いことで知られているが、これは渋沢の素性が「大兄」であったからに他ならない。

「日本資本主義の父」と称される渋沢は「國體黄金」を預かることで、日本の近代化を推進していたことになる。

このように現代文明は天皇家(ウバイド人)が保有する「國體黄金」を、各々の時代における「大兄」が運用することで、これまで進歩してきたと言えるだろう。

他にも1971年に起きた「ニクソン・ショック」において、事実上「破綻」に追い込まれたアメリカを、「國體黄金」の割り当てにより天皇家(ウバイド人)が支援したという。

また70年代に隣国のシナが「改革開放」を掲げ、資本主義の導入を図った際も「國體黄金」が補填されており、このように地球経済の命脈は「ウバイド人」が握っていると言えるだろう。

「イギリス王室」と「ベルギー王室」は天皇家と親戚で、中世ヨーロッパにおいて「神聖ローマ帝国」の皇帝を代々輩出した「ハプスブルク家」も、そのルーツは天皇家にあるという。

天皇家とヨーロッパにおける王室との関係性は、以下の記事に詳述しています↓↓

ハプスブルク家は、第一次世界大戦における「オーストリア=ハンガリー帝国」の敗戦により潰えたことになっているが、実際は活動の場を水面下に移しただけであり、第二次世界大戦後の「EU創設」は当時当主であった「オットー・フォン・ハプスブルク」が一役買っているという。

「ハプスブルク家」のルーツは「天皇家」にあり、同家当主が音頭を取り「EU」を創始した。

これは何を意味するだろう?

「イギリス王室」と「ベルギー王室」は天皇家と親戚であり、「EU」もまた天皇家をルーツとする「ハプスブルク家」によって創られた。

つまるところ「天皇家」は、日本だけのものではない。

「ウバイド人」の本質が「コスモポリタン=国際人」であるのと同様、天皇家も「王室連合の盟主」として世界を股に掛けている。

落合氏はこれを「國體天皇府」と呼んでいる。

「ワンワールド勢力」の「元締め」として古代から現代に至るまで、天皇家(ウバイド人)が物質文明を推進してきたと言えるだろう。

その原動力は「金=gold」と「情報」にあると言えるが、本稿では主に前者にスポットを当てている。

日本の天皇家(ウバイド人)は、現代物質文明の頂点に立つ存在だ。

国際金融資本(ディープステート)は実のところ、天皇家(ウバイド人)にすり寄る「寄生体」に過ぎない。

「ウバイド人」の目的は「分業」の促進による経済振興にあり、本来「金=gold」はそれを成し遂げるための「手段」でしかないだろう。

しかし、国際金融資本は「金=gold」を「支配」の手段とするため、「國體黄金」の所有権を奪取すべく、これまで様々な「謀略」を仕掛けてきたことになる。

「ウバイド人」の立場としては、国際金融資本の「協力」なしに文明化は推進できず「清濁併せ吞む」のスタンスで、「持ちつ持たれつの関係」を築いてきたと言えるだろう。

特に「ニクソン・ショック」以降、管理通貨制度に移行してからは「金=gold」だけでは貨幣需要を賄いきれなくなったため、より一層国際金融資本の「協力」が必要となったに違いない。

このように「ウバイド人」と「国際金融資本」はDNAの二重螺旋の如く、互いに絡み合い時に「善」と「悪」を入れ替えつつ、共に現代文明を先導してきたと言えよう。

先述の通り「善」と「悪」は相対的なもので、どちらか一方を「悪」として裁くのはフェアでない。

現代は「高次精神文明」へと移行する過渡期にあり、特定の対象を「ジャッジ」するのは時代の流れに逆らうことになってしまう。

金(gold)は「分業」を促進する他「権力」の象徴でもあり、これまで多くの諍いや争いの原因にもなってきた。

しかし冒頭で述べた通り、貨幣の価値を裏付けるのは「金=gold」だけでなく、もう一つ「ウラの本位財」として「罌粟=アヘン」の存在が挙げられる。

金(gold)と罌粟(アヘン)。

両者は対照的な性質を持ち「ウラの本位財」として「罌粟=アヘン」を取り上げるのは、現代の混乱を乗り切る上で意義のあることだろう。




4:罌粟(アヘン)と人間の可能性

「貨幣の誕生」により「分業」が進む以前、「ウバイド人」は「罌粟=アヘン」を本位財とする精神文明を築いていた。

そこでは「言語」も存在せず、人々は「テレパシー」を通じ「以心伝心」を図っていたという。

「罌粟=アヘン」を本位財とする精神文明とは、一体どんなものだろう?

まずは「金=gold」と「罌粟=アヘン」と違いについて概観したい。

【金=gold】
・鉱物(無機物)
・物欲に関わる
・蓄積可能
・物質的

【罌粟=アヘン】
・植物(有機物)
・生命に関わる
・蓄積不可
・精神的

こうして見ると「金=gold」と「罌粟=アヘン」は、対照的な性質を持っているのが分かるだろう。

資本主義の問題点が「富の蓄積」にあるのは、誰が見ても明白だ。

r>g

r:資本収益率
g:経済成長率

冒頭で述べた通り、「資本収益率」は「経済成長率」を常に上回ることから、資本主義は必然的に格差の拡大を助長する。

これは「金=gold」が蓄積できる財であるのに拠っているが、仮に本位財が永続的に保存できない財であればどうだろう?

「罌粟=アヘン」は植物由来の財のため、使用期限が限られる。

「蓄積の出来ない財」は「富を独占」を制限するため、「罌粟=アヘン」を本位財とする精神文明においては「格差」という概念すらなかったろう。

現在、一部の経済学者の間で借金を前提としない「公共貨幣」や、「腐るお金」というコンセプトの下「エイジング・マネー」の開発が進められており、「本位財としての罌粟」はそうした次世代の制度を作る上でとても参考になるだろう。

そもそも、なぜ「罌粟=アヘン」は「金=gold」と同等かそれ以上に価値のある財として認知されたのか?

本位財としての「罌粟=アヘン」は、医療用として一般市場に出回っている「普通のアヘン」とは少し違う。

落合氏は「本位財」として用いられる罌粟(アヘン)を「國體アヘン」と呼んでおり、これは「普通のアヘン」よりも「モルヒネ濃度」が異常に高い。

「國體アヘン」は「麻酔薬」というよりは「治療薬」として用いられ、主に「ガン」に対する特効薬として「ワンワールド勢力」の間で重宝されてきたという。

また「長寿薬」としても用いられ、歴史上の偉人が当時の平均寿命に比して「長生き」が多いのも「國體アヘン」のおかげだろう。

他にも「神懸かり」の際に「変性意識」を誘発させる秘薬として、大本教の教祖であった出口王仁三郎は「國體アヘン」を吸引しながら「神事」を行っていたという。

「罌粟=アヘン」は「人間の可能性」を解き放つ。

「金=gold」が物欲を刺激するのとは対照的に、「罌粟=アヘン」は生命の可能性に呼びかける。

「罌粟=アヘン」を本位財とする精神文明が、「言語」さえ必要としなかったのも頷ける。

「罌粟=アヘン」は、人間を本来の「霊的な存在」として覚醒させる媒体だ。

「金=gold」と「罌粟=アヘン」という二大本位財のうち、前者が「物質的な豊かさ」を追求し後者が「人間の可能性」を引き出すことで、真の調和が実現する。

従来の地球社会は「國體アヘン」の存在が隠蔽され、資本主義は極めてアンバランスなシステムとして、もはや崩壊は避け得ない。

人類を「支配」「統制」「管理」する側の者からすれば、「國體アヘン」の存在は「邪魔」でしかないだろう。

「罌粟=アヘン」によって人々が目覚めてしまえば、意のままに人々を操れなくなってしまう。

果たして「ウバイド人」とは、実のところどんな存在か?

「罌粟=アヘン」を本位財とする精神文明に見切りをつけ、「言語」と「貨幣」の開発により現代文明を興した「ウバイド人」とは何者か?

一般に「ワンワールド勢力」は「フリーメーソン」や「イルミナティ」とも呼称されるが、後者ついては以下の4種に分類できるとされている。

・王室連合イルミナティ
・DSローマ
・アメリカファーストのイルミナティ
・ロシア地下政府

「フリーメーソン」は「ウバイド人」だけでなく、大陸の「倭人」等も含めた「8種族」によって構成され、「ワンワールド」と言っても決して「一枚岩」というわけではない。

本当のところ、過去に何があったのか。

資本主義の崩壊と共に、これまで隠されてきた「歴史の闇」が、徐々に浮き彫りになるだろう。




【主要参考文献】
『落合秘史Ⅰ~Ⅶ』(落合莞爾著 成甲書房)
『天皇とワンワールド』(落合莞爾著 成甲書房)
『天皇と黄金ファンド』(落合莞爾著 成甲書房)
『天孫皇統になりすましたユダヤ十支族』(落合莞爾著 成甲書房)
『落合・吉薗秘史1~5』(落合莞爾著 成甲書房)
『落合・吉薗秘史6~12』(落合莞爾著 落合吉薗秘史刊行会)
『天皇と原爆 ヒトラーとユダヤ』(嘉納道致著 ヒカルランド)
『黎明 上・下』(葦原瑞穂著 太陽出版)
『フラワー・オブ・ライフ 第1巻・第2巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット)
『21世紀の資本』(トマ・ピケティ著 みすず書房)
『一気読み世界史』(出口治明著 日経BP)
『至誠の日本インテリジェンス』(岡部伸著 ワニブックス)
『真相追究 物部氏と古代日本』(鍋島直亮著)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集