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まじめに読書感想文ー5・完

切らしていた鉄分のサプリメントを購入できた。これ、一日に必要な2.6倍量の鉄なんだ。サプリってそういうことだっけ?

今日も『キリンに雷が落ちてどうする :  少し考える日々 / 品田遊著』の電子版は出ていない。だんだん恨み言みたくなってきたな。そうではない。事実を述べただけだ。

だって読んじゃったし。我慢できなくて読んじゃった。

ここまで読んだ

ここでやめてしまった。続きが読めなくなってしまった。
ここは、 272ページ目「残滓」という項目だ。

すごいことが書いてあった。

引用する 

 人の情報アウトプットだけじゃなく、インプットの残滓を他人が追いかけることができる時代って初めてじゃないかな。Twitterでは「フォロー欄」や「いいね欄」をのぞくことができてしまう。「ふーん、こいつ、こういうのを面白いと思ってるのか」みたいな値踏みがわりと簡単にそこかしこで行われている。

『キリンに雷が落ちてどうする : 少し考える日々 』品田遊 朝日新聞出版 2022.11

これはつまり、個人の思想の根幹を為すものが丸見えということだ。ツイッターを使ってて考えたこともなかったが、確かにそうだ。

私の勤務先は図書館だ。もちろん司書資格を持っている。

司書が最も尊重し遵守しなくてはならないものに”図書館の自由に関する宣言”というものがある。この宣言には4つの項目があるのだが、その3番目が

第3 図書館は利用者の秘密を守る

『図書館の自由に関する宣言』日本図書館協会 1979年改訂

というものである。この宣言と同じくらい重要なものとして”図書館員の倫理綱領”というものがあり、こちらの第3にも同様の趣旨の文言がある。

図書館に関わる者の基本である。

利用者がどのような本を読んでいるか、どの本を借りたのか、図書館に来た事実すら漏らすことは許されない。なぜなら読書という行為は、その人の思想信条にダイレクトに繋がるものだからだ。思想の自由は何者にも侵されるべきではない。

例えば子どもが借りた本のタイトルを保護者から聞かれても教えることはしない。常連の利用者から「今日、あの人(知り合い)来てる?」と聞かれても答えない。たまにあるのが、保護者から図書館に電話がかかってきて、緊急の用件があり子どもが図書館にいるはずだから呼び出してほしいというものだ。これもできない。就活や受験の面接で好きな本を質問してはいけないのもこの理由だ。

誰が何をインプットしているかツイッターでは丸見えなんだ・・・新しい時代だ。

ここを読んだ時、本当に絶句した。マジで時が止まったかと思った。そして、続きを読もうとしたのだが、どうしても頭に入ってこない。ここを自分の中で消化しないと進めない。

でもみんな、これどうしてんの?自分がどういうものを見ているかを他人が把握できるって平気なの?いいねやリツイートは自発的な行為なので自意識の問題だと思うんだけど、インプットではなくてコミュニケーションっていう認識?

私は、「こういうの好きなんだ」と思われても支障がないものしかいいねしない。ほのぼの育児イラストや簡単レシピくらいだ。リツイートはほぼキャンペーン。今気が付いたけど”つぶやき”にはあんまりいいねしていない。どんなツイートを読んでいるかなんて誰にも知られたくない。いいねとかしなくても、どのツイートをどのくらい見ているか運営はわかってるんだろうけど、そこは関知していないふりをしてほしい。オススメとかもいらないのだ。

同様に家族で本屋に行った時に、「ちょっと欲しい本探してくるね」と言うと、夫や子どもが一緒に探そうという純粋な親切心で「なんて本?」と聞いてくるのだが、いつも黙ってしまう。

友達とかが「最近この本読んでいるんだ」と言っても、「なんて本?」と聞くことができない。「へぇ」で済ませてしまう。当然この会話に興味がないのだろうと判断され会話は終わる。

ふと思ったが、もっとシンプルに”把握”されるのが不快ってことなだけだろうか。他人は私に興味を持っていなくて然るべし。店員に顔を覚えられたらその後行けなくなるのと同じことだ。

いや、わからなくなってきた。一人での対話の限界を感じる。もっと長い時間が必要だ。




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