恋愛の努力について考えると私が積極的な婚活をしない理由につながってきた
ご無沙汰しています。
所長です。
まだ新型コロナウイルスが蔓延する前の2月に行った恋愛の努力について考えるイベントと前のnoteに書いた新書のプルーストの話が絡んできそうなので記しておこうという次第。
恋愛に対する努力ってどういうこと?
恋愛業界ではおなじみ、熱海の恋愛コンサルタント、べえさんと一緒に行いました。
私は恋愛したくて努力したという認識があり、自信を持って主張できるが、彼は恋愛について努力をしたことがないそう。
そんな2人で恋愛の努力を揉んでみたら面白そうというのがことの発端だった。
そんな「恋愛の努力」について参加者と語ったものであったが、「努力」といっている時点で「やりたくないこと」をやっているのでは?という話があった。
言い換えれば、「やりたいこと」だったら「勝手にやってしまっている」という話。
過去の自分を考えると、「恋愛をしないと一人前の大人ではない」と謎の自分へのプレッシャーを与えてしまって、「頑張らなくては」「今までできなかったのは努力が足りないから」と思っていたような気がする。結局その努力の方向を間違えてしまって、研究所に至るわけであるが・・・・。
その努力が楽しいものであれば良いが、努力自体が苦痛になってしまったら恋愛というものとは逆行してしまうのではないかということも考えた。
確かに、私が「恋愛しなくては」と思っていた頃は自分がやりたいかやりたくないかよりも「これは恋愛のための試練なのだ」と思い込んでいたような気もするなあ・・・。(遠い目)
プルーストから考える「恋愛」に対する「向き」「不向き」
仕事に「向き」「不向き」があるように、恋愛にも「向き」「不向き」はあるのではないだろうかという話もあった。恋愛に向いている人は「相手を巻き込んで自分の妄想に浸れる人」という意見があって、プルーストを思い出したのでした。
プルーストとはドイツの哲学者で、恋愛は信仰だと唱えた人です。
具体的に言うと、自分の憧れの理想的な精神社会を相手に投影して追いかけているのであり、相手を見ずに自分の中で舞い上がっているだけ。個人の幻想が錯乱を作る病であり、信仰だと言うことを言っています。
確かに、恋をしておかしくなっている時って恋愛相手がスーパーマンみたいに勝手に思ってて相手も人間なのだということがどっか行ってしまいますよね・・・。
それがキモい方向に走って何度フラれたことか・・・。耳が痛い。。。
「恋愛」の「努力」は短期集中よりコツコツ継続が良い説
そんな中、所長の一つの仮説が生まれた。
題して『恋愛の努力は短期集中よりコツコツが良い説』
パフーーーーーーー!!
これは私がこれまで努力してきたことから関連づけて導き出した仮説である。
短期集中の方がいいという人もいると思うのでそういう方はそちらをとってください。あくまで私の話です。
私も人生それなりに生きてきて、「これは頑張って努力した」という経験の一つや二つくらいある。だけど、その努力で今も継続していることはない。
いや、恋のはじまり研究は続いているかww
それは置いといてww
これまでの私の経験からして、短期集中で努力している時は、ある意味の洗脳状態に近くて、自分で自分を見つめる能力も落ちていることが多い。
外的要因に突き動かされて行動しているのに「私がしたくてやっている」と自分を偽って認識していたり、「これを達成しなければ生きる価値がない」とか、「私がトイレに行っている間もライバルは頑張っているのだ」というのを考えてトイレでゆっくりできなかったこともある←
このように、短期集中の努力状態というのは極めてDoing的な脳であり、「何をしているか、何ができるか」が価値を決めている。
したがって、目的を達成するために何をするか考えていることが大きく、頭の中でフローチャートを動かしている状態が多い。
そして大抵そういうことを楽しくない。それを楽しむようにしようとすると「楽しんでいな私はダメなのだ」余計に楽しめなくなるというなんとも扱いにくい精神体質だった。
つまり何かをしようとするとしんどくなるし、後から考えて「あんなに苦しい思いをして何をしていたのだろう」と思うことが多い。
また、努力の最中は「ゴールを達成した際に自分」に注目が行ってしまい、相手を思いやる矢印が向きにくくなる傾向がある。
そしてゴールに注目し、「ゴールが終わったら今の努力から解放される」というに注目してしまうのである。
私が積極的婚活をしないわけ
恋のはじまり研究所をしていると婚活をしているのかと勘違いされることがあった。
特に結婚したいわけではない。
どっちでもいい、結婚したい人が現れたらしたらいいかという具合なのだ。
私は現在独身なので、婚活をしようとすると、結婚が第一ゴールになるかと思われる。
結婚することが「ゴールイン」とか言われた時代もあったそうな。
だが情報が多い現代、「ゴール」がないことに薄々皆気づき始めている。
だったら結婚に向けて頑張ったところで後々「なんであんなに頑張ったのだろうか」と思うのではないだろうかと不安である。
そんな結婚ならしなくて良いのではないかと思ってしまいそう・・・・
結婚は結果論であり、目的にするのはいかがなものなのだろうというのが私の現在の結論だ。
でも婚活界隈の話って面白そうだから婚活してみるのもいいかなあとか思っている。
どっちやねんwww
まあそんなところで。