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自己紹介

はじめまして、サッカー指導者のKoichiroです。
このnoteでは日々のサッカー現場や読書での学びや気づきについてアウトプットし、みなさんの何かのお役に立てればなと思います。

さっそくサッカーとの生い立ちを自己紹介さしてください。


サッカーとの出逢い

サッカーとの出逢いは小学校1年生の時で、近所の友達や年上の人たちと公園でよく試合をしていました。
ゴールは鉄棒と鉄棒とか木と木の間でルールとかはあんまり分かっていなかったですが、今考えればすごく楽しかったです。
そんなぼくは、もちろん小学校のサッカーに入部・・・するはずでしたが、当時のサッカー部は、走り暴力等厳しく、泣き虫なぼくは、母親のATフィールドに守られて卓球部に入部しました。

サッカーの始まり

卓球部としての実力は県でベスト16に入るぐらい力をつけてきましたが、そのころ仲の良い同級生が次々にサッカー部に入っていきました。
寂しさは感じていましたが、なんとか卓球を続けていました。

しかし、ある日事件が起こりました。サッカー部の連中は自分らだけで温泉に行く計画を立て、卓球部のわたしは車の都合とかなんとかで、行くことができませんでした。そうなった私は暴走モードに突入し、泣きながら母親のATフィールド破り、何とかサッカー部に入ることができました。

ドイツでのサッカー

訳有って高校1年の時ドイツの高校に留学することになりました。
せっかくの機会なのでブンデスリーガクラブの下部組織のセレクションにチャレンジしてみました。思っていたよりもプレーができて、契約はできませんでしたが練習生でなら良いよーと当時のコーチ(トーマス)が認めてくれました。
その時ちょうどそのチームにはデュッセルドルフからブラジル人(マイコ)も練習生として参加してましたので、ついでみたいで運が良かったのかもしれませんでした。
3か月ぐらいして、急にトーマスから来週の練習試合に出てみるかと言われました。
ようやくチームのユニフォームを着れるんだとドキドキしていましたが、試合前日の1個上との紅白戦で、マイコもぼくも散々なプレーして、2人とも今日で練習生はお終いねとトーマスから唐突に告げられました。(1個上のチームにはトルコ代表のヌリ・シャヒンがプレーしていました。)
今でもあの時の悔しい気持ちは忘れれませんね。

指導者の始まり

その後ドイツでは町クラブでプレーし、日本帰国後はサッカーでは鳴かず飛ばずで、高校を卒業しました。卒業後は社会人チームでサッカーをしていたのですが、チームメイトの先輩に指導者を探していると言われ始めることになりました。
当時は有名なサッカー指導者に憧れて、「システムは4-4-2」とか「サイドバックはオーバーラップで」とかほざいていましたが、
箱を開けてみるとサッカー指導者の休日は早朝の練習や丸一日大会など現実の部分に圧倒され遊び盛りの自分は、、、今考えればまともに指導なんてできてなかったなと振り返ります。


あれから15年の月日が経ちましたが、なんとかサッカー指導者として続いています。

最近ではサッカーだけじゃなく、心理学やマネジメントなども学びながらサッカー指導者としてどうすれば成長できるかと日々自問自答しています。
ようやく、何となくですが自分の哲学的な部分は固まってきたので、皆さんに共有しながら、そしてみなさんからも色々吸収させてもらえたらなと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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