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Can-doを考える

 磯村一弘さんがTwitterで、Can-doをめぐって、「数学も実生活に結びついたCan-doを立てて、それを達成するために必要な要素として学習項目を立てればいい。例えば『金融経済の予測ができる』、『測量して地図を描くことができる』、『ミサイルの軌道計算ができる』などの到達目標を立てる。そのためには、三角関数が必要。だから三角関数を学ぶ』というような発信をされました。以下、それへの返信及びその後のぼくの考えをまとめたものです。

1.Can-doをめぐって

1.数学でCan-doを立てることは大いに賛成です。でもそれって言わば仮初めのCan-doゴールですよね。生徒がみんな「金融」や「ミサイル」に興味があるわけではありませんので。そこのところを翻って考えると、言語教育におけるCan-doも仮初めのCan-doゴールだと軽快に考えていいのではないでしょうか。この主張の ポイントは、「Can-doとニーズを必ずしも結びつけなくてもいいのでは!」ということになります。

2.ついでに言うと、Can-doは、一方で言語習得の観点からすると、ややもすると「phrasebook approach」になってしまう点、要注意です。このポイントは「一連のCan-doを達成していくことでコース総体として達成をもくろんでいる日本語力を育成することができるか?」という質問につながります。別の言い方をすると「コースの一連のCan-doを掛け合わせた総体としてのコースのゴールは何か」となります。日本語のコースというのは、ざっくり言って日本語力を伸ばすためにあるわけで、個々の言語活動をできるように指導すればいい!ということではないはずです。

3.で、このことは、「日本語のコースは、各課あるいはユニットで何らかの知識や技能を育成し、教育の総体はそれらの『足し算』であるという発想でよいか」という質問に突き当たります。多くの先生は、「単なる『足し算』でいいはずがない。実際の教育の実施においてその部分を十分に考慮して教育実践を行っている!」と言うでしょう。それはその通りであろうと思います。しかし、ぼくが指摘したいのは「一連のCan-doに基づくユニットを設計するときに、『足し算』以上の要因を計算に入れて設計をしているか」ということです。

4.2で「コースの一連のCan-doを『掛け合わせた』総体としてのコースのゴール」と言いました。言語の習得というのは、一方で「足し算」的な部分がありつつ、その一方で、『足し算』で得たものを熟成させ混然一体となった総体としての技量のようなものを育成するという側面があります。それは、いわば「かけ算」的な部分でしょうか。そうした「かけ算的な部分」も含めてコースの企画は行われなければならないと思います。その部分を「実際の教育の実施で」として教師に投げてしまっては、文型・文法積み上げの教科書と同じ「無責任」となるでしょう。

 この発信全体の、主な趣旨は、「足し算的な教育」と同時に、「かけ算的な教育」も企画に織り込んで、実際の教育実施においてもしっかりやりましょう! です。

2.Can-doが忘れていること
 また、上の議論に続いて。プログラム評価の世界では、ゴールに至るためのロジックモデルを作ることが大切だと言われています。

 カリキュラム開発においては、「まずゴールを設定して、そのゴールから逆に戻っていく形で一歩ずつサブゴールを明らかにして、そういう作業をした上で、スタートからゴールに至る経路を設定するのがよい」としばしば言われます。これを、カリキュラム開発におけるロジックモデルと言う場合もあります。
 「在野」の?日本語教育では、ロジックモデルの以前にゴール orientationさえありません。つまり、明確なゴール設定がない。だから、teachingは、常に、行き当たりばったりで、髪振り乱しての積極性でやっています。そして、全体のゴールも、当面のゴールもないので、「何が達成されたのか」の捉えようもありません。

 今、Can-doと言われてるものは、behavioral objectiveということで1950年代からありました(Bloom, 1956)。(今、キーコンピテンシーなどで再度注目されているtaxonomyは、Bloomが最初に提唱したこと。その後、どんどん「進化」しました。) Can-doは、「ゴールを設定することが重要だよー」と自覚を促したという貢献はありますが、「慎重に」する必要があります。
 Behavioral objectiveのときは、「人が学びや教育を通して形成した能力は直接的にパフォーマンスとして把握できるものではない。ましてや、ペーパーテストの点数で測れるものではない。だから、せめて、形成された(だろう)能力を反映する(だろう)indicator(指標)となる具体的なパフォーマンスで、教育成果を評価しようというのがbehavioral objectiveの精神です。(このindicatorという精神は、最近のビジネスにおける、KPI、KGIに反映されています。)
 そういうことなので、本当に重要なのは、Can-doを設定することではなく、Can-doを設定する際に「わたしたちが形成しようとしている能力はそもそもどのようなもので、それはどのような経路で形成されるのか」こそしっかりと考えて、indicatorとは別にその形成経路を詳細に記述するべきです。日本語教育のCan-doはその部分をまったく忘れています。

 こんなことを考えるきっかけを与えてくれた、磯村さんに感謝。

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