オーラル日本語を習得するということ
オーラル日本語(つまり口頭日本語あるいは音声日本語、その反対は書記日本語)を習得することについて、ビギナーからスタートして3・4週間の学生たちを観察して感じたことを書きます
1.入門あるいは基礎書記のオーラル日本語と書記日本語
1-1 オーラル言語と書記言語
先ず、1つ認識を共有したいと思います。日本語(や中国語)の場合、取りあえずヨーロッパ系の言語の場合と対比して言うと、オーラル言語の世界と書記言語の世界という2種類の世界があります。ヨーロッパ系の言語では、オーラル言語が主で、書記言語はその音をアルファベットで書き写したものとなる。アルファベットで書き写すというのは、アルファベットを知っている人にとっては、まあ言ってみればメモです。そして、書記言語としては、「そのメモを正しいスペリングで書け!」ということになります。
それに対し、日本語の書記言語は、アルファベットを使わない代わりにひらがなというベーシックな音節文字があるが、(1)ひらがなを習っていきなり例外が多数出てくる(助詞の「〜は」(“wa”なのに「は」)、「学生」や「学校」などの長音(各々「がくせえ」、「がっこお」ではだめ)、“o”には「お」と「を」がある、「゛」がついてぜんぜん違う音になる、など)し、(2)「ん」も実はいろいろな音になっている、(3)そもそも長音や促音は認識がむずかしい、などの事情でひらがなは「信頼できる音節文字」になり得ない。そして、そうこうしているうちに、カタカナというやはり表音文字だが別の語種(外来語や、欧米等の地名や人名や会社名など)を表記するための文字が登場してきて、さらに漢字という「化け物」が出てくる。そんなことで、入門・基礎初期の学習者には、書記日本語はうんざりするものだろうと思う。
1-2 入門・基礎初期の日本語指導
にもかかわらず、たいていの日本語コース、そして日本語の先生は、オーラル日本語がまだままならない段階から、書記日本語も教えようとしている、あるいは書記日本語を「止まり木」としながらオーラル日本語を身につけさせようとしている。
端的に言って、入門・基礎初期の日本語指導はぜひともオーラル日本語中心で行くのが適当だと思う。オーラル日本語中心でその指導をしっかりすれば、いいオーラル日本語の基礎を形成することができると思う。入門・基礎初期に、オーラル日本語と書記日本語の両方を指導するのは、そして書記日本語に依拠しながらそれをするのは、「不必要な課題・困難を学生に与えて」、その不必要な課題・困難を「タネ」にして「教えるという商売」をしている感じがする。
そして、日本語のコースはみんなそうなっているし、日本語の先生はみんなそんな「あこぎな商売」をしているので、ほとんどの先生は何の罪悪感も、理不尽も感じていない。
2.オーラル日本語の指導と習得
2-1 オーラル言語
ヴィゴツキーは『「発達の最近接領域」の理論』(土井・神谷訳)の1つの論文の中で「ガラスの理論」を提唱している。「ガラスの理論」を手短に説明すると、就学前の文字を知らない子どもは生活のさまざまな場面で流暢に話しているが、その子どもは自身が話している言葉の姿を何も知らない。子どもにとっては言葉は音声でしかなく、その言葉を何らかの実体として捕捉することは決してありません。つまり、そうした子どもにとっては、自身が話している言葉はいずれもスケスケのガラスなのです。子どもが言葉を実体として把握できるようになるのは、文字を学習して言葉を文字の枠組みに填めて把握するようになってからです。つまり、言葉は文字によって、文字のおかげで、はじめて実体を得るようになります。
オーラル言語から書記言語へというこの発達経路は、一般的なことです。
2-2 第二言語習得の入門・基礎初期のオーラル言語
いかなる文字にも依拠しないで入門・基礎初期にオーラル言語中心に指導しようとする場合は、その新たな言語が「ガラス」となってしまうことを覚悟しなければなりません。学習者は、物としてつかむことができない言葉を身につけるという状況に置かれます。そんなことができるでしょうか。
3.3・4週間目の学生たちいろいろ
そういうこと、できると思います。というか、むしろ、それこそしなければならないと思います。
この10月に始まって、わたし担当の集中コースの学生たちの今の時期の日本語の話しぶりを見て/聞いて、以下のように感じました。
(1) 順調に日本語習得が進んでいる学生
わたし担当の集中コースでは、話題中心の自己表現の日本語教育を企画し、実践しています。そうしたコースでの学習においては、スタートして3・4週間のこの段階でも、順調に習得が進んでいる学生は、話題に関わるさまざまな事柄の断片を母語を介さないで直接日本語で言えるようになっていることが観察されます。短いながらいろいろなことが一気に言えるのです。そのように話しているかれらの意識には話題の意識ゾーンのようなものがあって、そのゾーンにいわばリソースとしてキーとなる日本語の言葉とそれらの組成が潜在していて、それらを顕在化して話しているのだと思います。いわば、ガラスのオーラル日本語を身につけているわけです。
この学生たちは、入門・基礎初期の「最初の重要なハードル」をクリアできているように思います。
(2) 「しんどい」学生
(1)のような学生の一方で、明らかに自身の第一言語の言葉などを先に頭の中で用意しないと決して話せない学生がいます。そして、そのように「日本語を話して」いるので、そんな学生は常に、日本語と自身の言語とのあいだの「話すときの言葉の並べ方の違い」という罠に落ちてしまいます。こうした学生は、習い覚えた日本語の単語を自身の第一言語の「マップ」(組成)の上に「乗せて」話そうとしているわけです。こうした学生は、「最初の重要なハードル」をまだまったくクリアできていない、あるいは、「最初の重要なハードル」である「精神機構」ができていない。
従来の文型・文法積み上げ方式のようはカリキュラムと指導方法の下では、おそらくすべての学生がそういう状況になると思います。
(3) 中間の学生
(1)と(2)の中間の学生もいます。この学生たちは、一部は(1)の学生のように直截に日本語で言えることがありますが、まだまだそういう部分は少ないという学生です。しかし、一部直截に日本語で言えるようになっているので、「最初の重要なハードル」が何で、それをクリアするというのはどういうことかはわかっているようです。この中間の学生は、努力を続ければやがて「最初の重要なハードル」をクリアできると思います。
4.むすび
今回、上のようなことを明瞭に意識化することができました。それと同時に、「最初の重要なハードル」をクリアできるように十分に自覚的に適切な指導をしていたかという点については、反省するほかありません。
そして、授業と学生指導を担当する教師としては、(2)の学生を今後どのように支援、援助するかが重要な課題です。にわかには、妙案はありません。残念ながら。
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