【細胞談義039】運動が脳にもたらす良い影響
こんにちは、ミネソタより、コーイチがお届けします。
物忘れが激しい!なぜか頭がスッキリしない。頭の回転が早くなりたい!などなど、日常には脳に関わる悩みや願いがたくさん出てきます。
…でも何をしたら良いのでしょうか?
その最も単純な答えは、いわゆる健康的な生活をしながら適度に学習をして過ごすことです。
…いやそれはそうだろう。でも具体的にはどうしたら良いのだ。
【運動がもたらす良い影響】
今回は根拠に基づいて運動に着目してみましょう。
まず運動することは新陳代謝を上げたり体力・筋力の維持に大事であることは言わずもがな。
古来より人間は森の中を飛び回ったり草原を走ったりして生きてきたわけですから、健康のために運動した方がいいというよりも、動物の仲間として運動することが前提となっているわけです。
例えばヒラメ筋と呼ばれる下腿三頭筋(かたいさんとうきん)つまりふくらはぎの筋肉は、第2の心臓と呼ばれています。この筋肉を動かしてやることで、下半身に溜まった血液を重力に反して上半身に送り返すのです。これは歩いたり走ったりする中で伸び縮みして使われる筋肉ですから、当然運動が大事ということになってきます。
一方で世の中には文武両道という言葉があったり、社会でいわゆる成功者はジムに通ったりランニングしたりという運動が習慣になっている人も多いですね。ということは、運動は何か脳の機能にも良い影響があるのでしょうか?
近年の多くの研究によって、運動が脳にもたらす効果が明らかになってきています。
こういう話の時によく出てきて1000回以上他の論文で引用されている有名な論文があります。2001年にJounal of Neuroscienceというアメリカの神経科学の雑誌に掲載された論文で、運動したら脳の海馬で神経細胞が増えた!そしてそのメカニズムの一端がわかった!というものです(参考文献1)。
子供ころ、つまり発達期に神経細胞は数を増やして神経回路が構築されますが、大人になると新しく神経細胞は増えない…と従来は考えられてきました。しかし実は大人でも、細胞分裂が起こる…つまり新しい神経細胞は生み出されているのです。これは神経新生と言います。特にそれは海馬という脳の領域で起こります。
よく運動するということは何やら脳にも良さそうだということが経験的にわかっていて、運動によって海馬での神経の細胞分裂も活発になるということがそれまでにも示唆されていたんですね。
この論文では運動させたラットの脳を状態を詳しく分析しました。細胞分裂を検出する手法を用いて脳の海馬でどれだけ細胞分裂が進んでいるか調べた結果、運動した方が神経細胞の数が増えていることがわかったんですね。増えているということは、これは発達期と同様に、脳が活発に新しい神経の回路を作ろうとしているということですね。
この論文ではそれを担う因子が血中に含まれているIGFという成長因子であることを明らかにしたことが評価されています。
体のみならず、脳を若々しく保つために運動は重要だったんですね。
さらにその論文と同時期に、別のグループも同様の発見をしています(参考文献2)。
血中のVEGFという成長因子が運動後の海馬での神経新生に重要だということを報告しました。
さらにその後にもこの結果を支持する結果が集まってきており、体を動かす運動という行為は、脳に良い、と言えるとわかってきたわけです。
【海馬で神経細胞が増えるとどう良いのか?】
まず、海馬は記憶などを司る脳の領域として広く知られています。この神経細胞の数が減ってしまうのは、記憶力や学習能力、認知機能に影響が現れることにつながります。
慢性的なストレスやそれによるうつ病は、海馬の機能に障害を発生しますが、同時に神経新生が抑制されていることも知られています。
詳しくはまたの別の機会にお話ししたいと思いますけど、これにはセロトニンやノルアドレナリンという神経伝達物質が関わっています。抗うつ薬はここに作用するんですね。
でももっと強力で、臨床的に効果的なストレスやうつの緩和剤があるのです。それが「運動する」ということです。そしてそのメカニズムの一端は、ランニングのような単純な運動であっても、海馬の神経新生を促す因子がたくさん作られる、ということが先に挙げた報告からわかってきたんですね。
抗うつ剤には当然副作用がありますが、適度な運動にはそんなデメリットがありません。
もっとも有効な治療法、予防法の一つと言えるでしょう。
日本国内の精神疾患の患者数は400万人で、10年ちょっと前から100万人も増えています(参考文献3)(精神疾患には、薬物・アルコール依存症,統合失調症,認知症、うつ病を含みます)。
精神疾患は誰にでも発症の可能性があります。それを予防したり時には治療にもなるというのが、運動の脳へのいい影響です。
というわけで、よく運動をしている動物の海馬(脳の中で記憶に関わる領域)では神経新生が起きているので、「運動は脳に良い影響をもたらす」ということになります。
【あとがき】
運動は大事ですけど、もともと健康な人がいかに健康を維持できるかという側面から書いています。
例えば持病などがある場合は、血圧が上昇したり心肺機能に負担がかかったりすることで悪影響がある場合もありますから、かかりつけのお医者さんに相談のもと、自分の体の状態を把握した上で体を動かしてくださいね。
それまで全く運動していなかった人が急に激しい運動をするのもちょっと問題があります…。ぜひできる範囲でゆっくりと始めることをお勧めします。
30分以上とか、1時間以上運動しないと意味がない!といった言葉も耳にしますけど、運動強度の低い動きでも十分に効果があるというのが現在の医学のスタンダードな見解です。たとえ5分間の運動でも、はたまた座りっぱなしの姿勢から1時間に1回だけ立ち上がってストレッチを行うことだけでも効果はあることが示唆されていますし、それが毎日積み重なると大きな違いになるでしょう。
心も体も健康を維持するために、日々の生活の中に運動を取り入れたいですね。
【参考文献】
1)Trejo, J. L., Carro, E. & Torres-Aleman, I. Circulating insulin-like growth factor I mediates exercise-induced increases in the number of new neurons in the adult hippocampus. J. Neurosci. 21, 1628–1634 (2001).
2)Fabel, K. et al. VEGF is necessary for exercise-induced adult hippocampal neurogenesis. Eur. J. Neurosci. 18, 2803–2812 (2003).
3)精神障害にも対応した地域包括ケアシステム構築のための手引き(平成30年度版)厚生労働省