夜のまばたきと、消えそうな灯りのような恋
出会いの予感
いつからだろう。
寝る前にスマートフォンを触るのが、習慣になってしまった。
SNSをなんとなく眺めては、小さな光の窓から見知らぬ誰かの暮らしを覗き込むようになったのは。
もしかすると、自分の世界を広げてくれる何かを探していたのかもしれない。
あるいは、ほんの少し寂しさを紛らわしたかったのかもしれない。
そうして指先が触れたのが、あのマッチングアプリだった。
アイコンに笑顔を添えた人々のプロフィールが、絶えず流れていくタイムライン。
写真の光や、文章のひとつひとつに「やさしさ」や「明るさ」を想像してしまう。そういう自分にも気づいて、少しばかり可笑しく思えた。
でも――そこで見つけた一人の存在が、私の中に小さな火をともした。
淡い期待と揺れる想い
彼の名前は仮に「海斗(かいと)」としよう。
プロフィールのトップに写っていたのは、潮風の吹く海辺で、柔らかい笑みを浮かべている姿。
少し茶色がかった髪と、どこか儚げな瞳が印象的だった。
メッセージを送る勇気がなくて、何度も何度も画面を行き来した。
だけど、そのまなざしに宿る静かなやさしさを信じて、軽く「いいね」を送り、メッセージをしてみたのだった。
最初は短いやりとりから始まった。
「好きな音楽は?」「普段はどんなことしてる?」
ありきたりだけれど、実はそういう些細な質問こそ、その人の息づかいを感じられる気がして、私は丁寧に答えた。
海斗も同じように、自分のことを少しずつ教えてくれた。
誰もいない夜の浜辺を散歩するのが好きだったり、週末には自転車で遠出して風を感じるのが好きだったり。
彼の話を聞くたびに、なんとなく胸の奥があたたかくなるのを感じた。
この詩は、海斗と夜な夜なメッセージを交わすうちに、ふと書き留めたものだ。
言葉を紡ぐと、心が軽くなるような気がした。
重ねた時間、すれ違う気持ち
言葉を重ねるたびに、画面の向こうの彼が、まるで隣にいるかのように感じられた。
深夜のやり取りで「こんな時間まで起きてるなんて珍しい」と笑い合ったり、翌朝「昨日の夜はありがとう、楽しかった」と律儀にお礼のメッセージをくれたり。
些細なやりとりなのに、不思議と生活に張りが生まれた。
まるで手が届きそうな距離に、海斗の存在があるかのようだった。
でも、私たちはまだ会っていない。
マッチングアプリで繋がっただけの関係だった。
画面の外側には、本当はどんな人なのか、どんな表情で笑うのか。
思い浮かぶ姿は、彼が選んだ写真の中でしか知らないのだ。
それでもいい。もしかしたら、このままの方がいいのかもしれない――
そんな風に考えてしまう自分もいた。
けれど、ある夜、彼から「会って話してみない?」と誘いのメッセージが届いた。
それが嬉しくないわけがなかった。
「ぜひ会いたいです」と返したものの、心のどこかで突然の不安を覚えた。
もし実際に会って、理想と現実が違ったらどうしよう。
この、薄い膜に守られたような関係が壊れてしまうのが怖かったのかもしれない。
短い夜と取り残された想い
約束の日は近づいてきた。
身支度をするたびに、嬉しさと不安が入り混じった、なんとも言えない気持ちになった。
「どうせなら、好きな洋服を着て行こう」
鏡の前で何度もコーディネートを吟味し、ヘアメイクに気合いを入れる。
そんな自分を見て、「私はすっかり本気になっているんだな」と実感した。
ところが、約束の前日の夜、海斗からひとつのメッセージが届く。
「ごめん、急に仕事で出張になってしまった。今度、落ち着いたらまた連絡するね」短い文面。それだけだった。
嘘か本当かもわからない。
ただ、その日のやりとりはそれっきりで、しばらく彼から連絡が来ることはなかった。
期待していたからこそ、心はまるで風船がしぼむように静かに萎んでいった。
何度かこちらからメッセージを送ってみたけれど、既読はつくが返信はない。
現実の忙しさか、興味が失せたのか。
理由はいくらでも考えられるのに、答えはひとつも見えない。
好きになるって、どうしてこんなに苦しくなるんだろう。
顔も知らない、声も聞いたことのない相手に、私は勝手に恋をしていたんだろうか。
淡い光と、次の一歩
マッチングアプリで出会った「海斗」という人は、本当は存在したのだろうか。
わからない。それでも、彼と交わしたメッセージやその言葉は、
私の中で確かに大切な思い出として刻まれている。
あの短いやりとりの中で、海斗が言っていた。
「人の縁って、どこで繋がるかわからないよね。偶然かもしれないし、運命かもしれない」
その言葉に、今の私が救われているのだと思う。
叶わなかった約束も含めて、あれはあのとき確かに輝いていた“灯り”のようなものだから。
今もふと寂しくなったら、夜中にスマートフォンを見つめながら、
あのアプリを開くことがある。
新しい人との出会いを求めているのかもしれないし、
ただあのとき感じた切なさをもう一度なぞっているのかもしれない。
けれど、その切なさを抱きしめられるくらいには、私は少しだけ前を向けている気がする。
人恋しさと、一瞬の灯りに手を伸ばしたい思い。
そして、その手が空をかき回すだけで終わってしまうこともあるかもしれない。
でも、その痛みも含めて私たちは大丈夫だ。
次の風が吹くころには、もう少しだけ強い心で、
また誰かに「いいね」を送れるかもしれない。