連れ添いが認知症になったから優しくなったクソジジイもいる
昭和40年代、幼い年子の長女と次女(私の母)にキャラメルを渡す。
「ちょっと待ってろ。」
お店の前で、そう言って、パチンコに向かった祖父。
クソジジイだった。
競艇に行って、帰りの電車代が無く、20キロの道のりを歩いて帰ることもあった。別の日もすっからかんになって、駅のトイレで他人の財布を拾い、9000円が入っていたことを、今になっても幸せそうに話す。
警察に財布を届けるという概念すら、「はっ?」というクソジジイだ。
ただ、そんな祖父は、相方である、
祖母が弱るほど優しくなっていった。
祖母が股関節を人工関節に変えるとき、
ジジイは大好きだった酒を辞めた。
理由は「あいつ(祖母)が、好きな酎ハイが飲めないからだ。」と言った。
祖母が認知症になった時、
認知症サポーター講座に行き、僕が「どうだった?」と聞くと、
「俺が変わらなきゃな。」と下を向いて、たくましい声で言った。
ジジイは82歳の頃から、胃癌、食道癌、膀胱癌。と毎年のように5年続けて手術を行った。気持ちが落ち込んだことがあったが、今は復活した。
祖母は、認知症の症状によって時々精神が不安定になることがある。
昔のままのクソジジイだったら、きっと別居だっただろう。一日でも早く、グループホーム等の利用をしなければ、家庭が壊れていただろう。
昔の懺悔。
そして、自らの病の経験。
時の流れによって、頼もしい爺さんに進化した。
娘(僕の母)が言った一言が印象的で、
ずっと心に残っている言葉がある。
「爺さんは、あーだった(クソだった)けど、愛嬌はあったから。」
週に2日、相方がデイサービスに行っている間、近所の公園で、グランドゴルフを楽しんでいる。50名ほどの参加者がいる中で、2020年9月10月は月間チャンピオンになったと、嬉しそうに語っていた。
運動神経は、すこぶる良い。自己肯定感も、ある意味高い。
僕のクソジジイは、89歳の今が一番カッコイイと思う。
そんな祖父に、YouTubeを始めてもらいました。ぜひ、楽しんでください。
これからも、無理がない範囲で発信していきます。
チャンネル登録を、どうか、よろしくお願いいたします!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?