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あなたの上半期は失敗です (※ただし罪が成り立つ場合に限る)

上半期という言葉を初めて知ったのは、親の車の中でFM802を聞いていたときだった。
午前中で、暑くて、でも車の中は空調が効いていて、カーステレオからはJ-POPが流れていた。曲の合間のトークでDJがやたらと「上半期」という言葉を使うので、困惑したのを覚えている。当時の僕は上半期という言葉を知らなかった。けれども数回耳にするうちに文脈から意味を理解した。そうか、一年の最初の半分を上半期と呼ぶのか。ということは下半期という言葉もあるんだろうな、と思った。そして実際にあった。僕はそうやって語彙を増やしてゆく子供だった。

ある言葉を知っているからといって、その言葉を日常生活の中でいつも意識しているわけではない。知っているけれども意識しない言葉が、身の回りには山のようにある。上半期という言葉も、長らく僕にとっては、その山の中の何でもない木の一本に過ぎなかった。
一年の半分が終わることに恐ろしさを感じ始めたのは、働き始めて一、二年ほど経った頃だったと思う。気付けば「あと何日で上半期が終わる」だとか「上半期が終わった」などと会話の中で口にするようになっていた。僕が今までの人生で口にした「上半期」の回数は、あの日FM802のDJが口にした「上半期」の回数をとっくに上回ってしまった。

一年の半分が終わってしまうことが恐い。しかし「恐い」という表現は少し正確性に欠ける。上半期の終了を人生で何度も経験しているにもかかわらず、僕はいまだにそのときに生じる感情を言語化できずにいる。無為に過ごしてしまった休日の夜に訪れる後悔と諦めと無気力を、長時間煮詰めたような、例えるならそんな気分を毎回味わう。その感情が纏う負のエネルギーがあまりにも凄まじくて、恐い。

あなたの半年は失敗でした。これは悪いことです。
そう告げられている気がして、ものすごく辛い。

仕事を辞めた。何冊か本を読んだ。古い友達に会って話をした。新しい音楽を聴いた。アニメを何本か見た。所持品がスーツケース一つといくつかのエコバッグに収まるくらいにまで減った。新しい街に引っ越して、そこからまた別の街に引っ越した。なんとなく文章を書いた。短歌の連作を四つほど作って、うち一つはカクヨムの賞に出した。
細かいあれこれを除いて僕がこの半年にやったのは、たったこれだけのことだ。
同じところを、何度も何度も周回しているような気がする。

もっと色々なことができたのではないか。もっと有意義な時間を過ごせたのではないか。区切りとなる時間が過ぎるたびに、いつもそう思う。何をしても、無為に過ごしてしまったという罪の意識が抜けない。有意義な時間とは何なのか、無駄な時間とは何なのか、そもそも時間を無駄にすることは罪なのか、いまだによく理解していない。けれどもなぜか、区切りとなる時間が終わるたびに、悪いことをしてしまったような気分になる。

ファイナルファンタジーVIIのスピンオフ作品である『FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN』で主人公のクラウドは、前作で世界を危機から救った英雄であるにもかかわらず、他人やかつての仲間たちと距離を置いて生活している。その孤立した態度は罪の意識に由来するものだ。
「俺は許されたいんだと思う」
物語の中盤、無意識空間のような場所でクラウドはそう口にする。
「誰に?」
そう返したのは、前作のヒロインであるエアリスだ。

罪の意識は許しの概念ありきだ。許す、許さないの概念がなければそもそも罪は成り立たない。罪とは許されない行為だ。なにかしらの行為が罪となるには、それを許さない何者かの存在が必要だ。
一日が終わった。一週間が終わった。一ヶ月が終わった。上半期が終わった。下半期も終わってまた一年が終わった。
終わるたびに罪の意識に苛まれる。けれども、僕がどう時間を過ごしたかについて許さないでいるのは、誰なのだろう。自分だろうか。だとしたらその根拠は何だ。自分以外の誰かだろうか。であればそれは一体誰であり、その者が僕の時間の使い方を許さないでいられる正当な理由は何だろうか。
僕の罪は、そもそも成り立たないんじゃないか。
そう考えると少し気分が楽になった。下半期も気を張らずにやっていきたいと思う。

共に乗り越えましょう。


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