「伸び」のすすめ ストレッチ信仰からの離脱
ヨガの指導をするかたわらヨガに関する情報を発信しているウェブサイト「ヨガ空間」を営んでいます。一言で「ヨガ」といっても様々な流派、指導者がいるのでしょうが、誰かに習ったヨガではなく、身体に習ったヨガを伝えています。
ここでは、身体に習った「伸び」についてのお話をします。
脱、ストレッチ信仰
「ストレッチ」という言葉が一般的に親しまれるようになって、ストレッチ崇拝とまではいかないものの、そこには絶対的な信頼があるかのように見えます。
そのような背景があるためか、今や「伸び」も筋肉を伸ばすストレッチであるとか、ヨガのポーズも筋肉を伸ばすストレッチであるなどという見解が広まっています。
それはもちろん、ヨガ、健康体操、器械体操、筋トレ、スポーツ、体育などを指導する立場にある人たちであっても大多数は同じ見解をもっていることでしょう。
そのような渦中にありますが、このストレッチ信仰から少しだけ視線をずらし、本来的に身体に備わっている反射作用である「伸び」に目を向けて見ませんか? という提案をしています。
ストレッチと「伸び」の本質的な違い
「伸び」とは、本来的に身体に備わった"筋緊張反射"であり、ストレッチとの本質的な違いはここにあると言えます。
つまり、いわゆる「ストレッチ」は人為的に筋肉を伸ばす行為ですが、一方「伸び」は反射的に筋肉を縮める行為というように2つはまったく異質な行為ということです。
ギュ〜っと緊張しきる心地よさ
「ふんぐぅぅ〜」っと力を込めてする伸びは非常に心地よい行為ですが、そこにあるのは筋肉がのび〜っとストレッチされる快刺激ではなく、筋肉がギュ〜っと緊張する快刺激です。
この「伸び」という言葉により、「伸ばす」ことへ注意が向きがちなので話が分かりづらいかもしれません。そこで。
「伸び」の一形態である「欠伸(あくび)」をイメージしてみます。
「ぐわ〜」っと大口を開けて欠伸が出るとき、筋肉がストレッチされるような心地よさを感じるでしょうか? それとも筋肉が緊張しているような心地よさを感じるでしょうか?
生命への信頼
結局のところ、健康法とは生命の働きを健全に保つための方法であり、最良の健康法とは生命の働きに抵抗しないことであると結論づけることは、まったく妥当といえるでしょう。
そして「伸び」は、ストレッチのように頭脳で考案された身体調整法ではなく、身体にもともと備わった身体調整法であり、生命の働きそのものです。つまり「伸び」をするということは、生命の働きに対する完全なる無抵抗を意味しています。
あたりまえのことですが、ネコやイヌなどの動物たちは、「身体を調整するにはストレッチした方がいいかな?」「身体を丈夫に保つためにダンベルで筋トレした方がいいかな?」などと思考することも実行することもありません。
そしてネコやイヌなどの動物たちは、不安を動機にしてアレコレ思いを巡らすその前に「んぐぐぐぅーーーっ」っと「伸び」をしてしまうものです。そしてそれは、本来であればヒトにも自然と起こるものです。
不安からアレやコレやの健康法を試みるそのまえに、身体にもともと備わっている「伸び/欠伸」を信頼すること。それは誰かの意見を信じるのではなく、生命としての自身を信じるということです。
自身の働きを信じることができ、それに従おうとする心構えができたとき、自身の外側にある答えを探し回るという努力をしなくてもいいんだという解放感、安堵感、根拠のない自信、そして生命としての自身を慈しむ愛がわき起こることでしょう。
詳しくは、「ヨガ空間」のカテゴリー「ハタ・ヨガ」などに書いています。↓