正解のない世界が苦手な高学歴がなんとか行動するにはこうすればええ
社会では、目的に対しての手段の正解がない。
一方、高校までは絶対的な正解がある問題を解いていたわけだ。自分は慶應義塾に通っているわけで、それなりにそういう絶対解がある問題を解くのが得意だった。
そして大学生になり、いろんな正解がない問題をときまくろうとnote ・ブログ・YouTube・アプリ作成などに手をつけてきた。
しかし、あんなに受験勉強は熱中できたのに一向に熱中できないしやる気も上がらない。
なぜなのだろう。ようやくここに来てわかってきた。
正解があると、客観的根拠のある逆算が可能だ。明らかに事実であり、信じきることができる。ここがこうなるのは客観的に正しい公式Aが使えるからだ、など疑うことなくサクサク進めることができる。
しかし、客観的正解がない分野だと公式もないし方法も多様だ。手段として絶対的な正しさを証明できない世界だ。そこで必要になってくるのが、馬鹿みたいに今使っている手段を盲信する力だ。
これが意外に、アホの方が上手にできているように思える。彼らは高校までの勉強もこの公式が使えるからこう解く、のように解いてきていない。ボトムアップ的にとりあえず解くかぁって感じで自分の勘をなんとなく信じて突き進んでいたわけだ。
実は、この方式が正解のない世界だとうまくいく。正解のない世界ではとにかく進むことが重要だ。進むことをしないと改善ができない。初めからきっちりとした道筋をたててから進むっていうのが正解がないわけだから向いていない。そもそも客観的にきっちりとした道筋なんて立ちようがない。ロジックよりも、確かな経験に基づく"勘"みたいなものの方が信じられる。客観的ロジックを立てようにも不確定要素が多すぎる。だから経験値を上げる方が行動がよりできるようになってくる。経験値が高いと自分の立てた仮説が盲信するに値するようになってくるわけだ。
要するにとりあえず目的に対して、現状自分の持ってるリソースで出せるもっともマシな手段を盲信して突き進むのが大切だと考える。
以上。