17. JAMES JOYCE POMES PENYEACH SHAKESPEARE AND COMPANY (PIRATED EDITION)
今まで出会ったなかで一番好きな献辞は、ニール・サイモン「BRIGHTON BEACH Memoirs」の「両親、祖父母、兄弟、いとこ、伯母、叔父、そして大不況の時代のニューヨークで、苦痛、不安、怖さ、喜び、愛、そしてフェローシップを共有してきた人たちのために」というもので、時々、折に触れて思い出して、自分に置き換えてみる。ただこれは実際にこの本を読んだわけではなく、片岡さんの「本読み術・私生活の充実」にあった文章で知り、その後原本であるペーパーバックも手に入れて実際に目にはしたけれど、献辞だけのためにとっておくわけにもいかず、手放してしまった。
この献辞を思い浮かべると、誰もが苦痛や不安や怖さをそれぞれ抱えて生きていることを再認識して、自分のそういった感情を呼び起こし、そして自分が傷付けてきた人たちを思い返す。裏切られて見離されて世界に一人取り残されたような気持ちになるような時があり、自分も多かれ少なかれ誰かをそういった気持ちに追いやってきたのだろうと思う。それでもそういうときは自分も同じく傷付き、寄る辺のなさを感じているはずで、その瞬間の自分や誰かに、この献辞を捧げたいような気持ちになる。
そういった気分のときには、どういう本がそばにあっただろう。なかなか本を読んだり買ったりするモードにもなれず、しばらく本や本屋と遠ざかってしまい、携帯ばかり触ったり音楽ばかり聴いたりテレビをただ流すだけの日々が続く。それでも何かがきっかけで本や本屋が気分を癒してくれたり、他に意識を向けさせてくれたりして、また本に戻ることができる。ただその渦中で触れられる本は多くなく、僕の場合それは、小さくて薄い本であることが多い。現実に打ちのめされているときには、複雑さや物語に疲れて離れたがっているはずで、そういった事柄から解き放たれたいと思いながら手に取る本は、誰かのこじんまりとした想いがごく軽く閉じ込められたものでありたい。
このジェイムズ・ジョイスの「一個一ペニーの林檎」は文庫本より一回り大きいくらいの二十四ページ中綴じの本というより冊子で、表紙にこそシェイクスピア書店の名前を掲げているけれど、裏表紙に堂々と、PIRATED EDITION SAN FRANCISCO 50centsと印刷されている。おそらく町田の高原書店で買った記憶はあるが、正確には覚えていなく、それでも手に取る度にじわじわと幸福感が広がってくる本だ。
ジョイスの出版物に関するエピソードはどれも好きで、「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」だけではなく、日本での出版の経緯も「昭和初年のユリシーズ」を面白く読んで、渋谷の中村書店に第一書房版が何気なく売っているのを見かけて恐れおののいたものだった。この海賊版の冊子もきっと、サンフランシスコの誰かがジョイスの小さな詩集をその内容に合うように、大それた形ではないものでつくりたいと願って世に出したのだろうと思うと、かつての死闘を繰り広げてきたジョイスの出版物に負けず劣らず幸せなものに思えてくる。一個一ペニーの林檎(詩)が十三個並んだこの詩集を、五十セントの中綴じ冊子にしたその想いが、ごく軽いこの本に閉じ込めてあるように感じる。
古本の楽しみはまさにこういった本を手にすることだと考えていて、インターネットで調べても何もわからなく、もちろんISBNもなく、決まった評価や金額が付いているわけでもないものに、自分だけの本として出会えればいいと思う。それでもそういった本を見つけ出すには、何も印刷されていない背や中綴じの針金を頼りに、本と本の間に挟まれた痕跡のようなものを一冊一冊手に取っていかないといけない。苦痛や不安や怖さのなかで、仄暗く灯る小さな明かりのような喜びや愛、そしてフェローシップを探すように。
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