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水のない池に飛びこむ蛙
芭蕉に「古池や蛙飛びこむ水の音」という句がある。この句を聞くと、池に蛙が飛び込みチャポンと音がする情景が見え、聞こえる気がする。それはある種のVRのように、僕らを別の世界へ誘うようにも思える。
しかしこの池には本当は、水は入っていなかったのではないか、と最近思うようになった。この池はどうも芭蕉庵のそばにあった池らしい。魚の生簀などとしても使われていたらしいが、芭蕉が句を読んだ時はすでに池は枯れていて、ただ土の窪みがあっただけなのではないかと思うのである。
芭蕉がかつての池の窪みのそばに立っていると、そこに一匹の蛙がやってきた。そしてその窪みの中にぴょんと飛び込んだ。その時、芭蕉の耳には、かつてそうであったように水をたたえた池の中に蛙が飛び込み、水がはねる音が確かに聞こえた。その音は芭蕉の心の中にだけ反響した。芭蕉はその経験を句にしたためたのではないか。
思えば「閑さや岩にしみ入る蝉の声」にしても、蝉の声はしているのに静かに感じられるという、そこにないはずの静けさが詠まれている。同じように実は、古池はすでに池ではなかったのではないか。むしろ蛙が飛び込み、そこにないはずの水が跳ね返る音が芭蕉の心の中に聞こえたことによって初めて、それは“池”に戻ったのではないか。だからこそ、ただ“池”でなく“古池”と表現されたのではないかと思うのである。
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