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【エッセイ】「ほろよってる場合じゃ済まされない」
飲み会で許されないお酒【ほろよい】の謎
私がお酒を始めて飲んだ20歳の誕生日からずっと疑問に思っていることがある。飲み会においての最大の理不尽。
「ほろよい」を選ぶと馬鹿にされる風潮。
おそらく誰もが一度は経験したことがあるのではないだろうか?
この風潮はなぜなのか?
おそらく、日本の飲酒文化に潜む奇妙な階級意識の表れではないだろうかと考える。
今回は、この日本に潜む密かな階級意識について掘り下げていきたいと思う。
例えば、お酒の場では「とりあえず生ビール!」と叫び、みんなで最初は生ビールを飲むことが暗黙のルールになっているように、日本のアルコール文化には何かと「正解」が押し付けられがちだ。
しかし、その「正解」から外れ、宅飲みで飲むお酒を飲むときにほろよいの缶をスーパーで手にした途端、矢継ぎ早に、
「え、ほろよい?」「弱っ!」「やる気ある?」
と、なぜか人格ごと軽視される始末。
ひとたび、度数3%の「ほろよい」を選ぶと、「飲み会初めて?」「酒雑魚?」「ほろよいってジュースじゃん」「飲み会舐めてる?」などの攻撃が飛んできた経験がある人は多いのではないだろうか?
対して、ビール、ハイボールの濃いめやストロング系チューハイ(通称ストゼロ)なんかを選べば、「お、飲み会わかってるね」と一目置かれる風潮。
体感的に飲み会わかってるねと許されるお酒は、缶ビール、ハイボール、レモンサワーなどアルコール度数が最低5%以上。じゃないと「飲み会を舐めている」というレッテルを貼られてしまう。
いやいや、別に酒の強さで「人間の格」が決まるわけじゃないでしょうよ???
【ほろよい】はなぜ許されないのか?
なぜ「ほろよい」がこんな扱いを受けるのかを考えてみよう。
「ほろよい」が許されない背景には、日本社会の「酒は耐久戦」という価値観が根深く関係している。酔いつぶれるまで飲むのが「武勇伝」となり、翌朝に二日酔いで死にかけながら頭を抱えながら「昨日飲みすぎたわー」と言うのがちょっとカッコいいとされる文化が、みんな改まって口にしないだけで、自分の中になんとなく存在しているだ。
この「酒は耐久戦」思想はどこから来たのか。歴史を遡ると、江戸時代の「どんちゃん騒ぎ」の文化がある。庶民は身分制度の中で鬱屈し、せめて酒の席では羽目を外して騒ぎ、意識を失うほど酔い潰れることが娯楽とされた。
やがて、その精神は高度経済成長期の「企業戦士」の時代に継承され、クライアントや上司との付き合いで酒を浴びるように飲むことが「仕事の一環」になった。上司の酒を断るなどもってのほか、一緒に潰れるまで付き合うのが「忠誠心の証」とされた。
こうして、日本社会には「飲めるやつが偉い」「酒の場は根性で乗り切れ」という価値観が染みついた。
その価値観の延長にあるのが、「ほろよい」を許さない空気だ。
「ほろよい」の言葉の意味は、酒を飲んで多少酔いが出ている状態。
江戸時代の庶民や企業戦士たちの亡霊は、「多少酔いが出ている状態のやつ」を許すわけがない。
こうして、「ほろよいは甘えだ」という価値観が現代にも根付いてしまったのかもしれない。
また、お酒に慣れた人たちの中では、酒に強いことが「大人の証」とされ、逆に弱いと「子ども扱い」される風潮がある。
これは、お酒が飲めるようになる年齢に制限があることが原因であると考える。20歳という年齢が節目たる所以は、お酒が飲めるか飲めないかではないか?
お酒が飲める=大人。つまり、お酒が飲めない=子どもという考えができてしまう。
また、酒好きの中には、「甘い酒は邪道」「アルコールのキツさを楽しめてこそ大人」という考えを持つ人も多い。
特に男性の間では、「酒は苦いもの」「甘い酒は女・子供の飲み物」という偏見が今も残る。そのため、カクテルやほろよいのような「甘い酒」を飲むと、「ダサい」「弱い」と見なされてしまうのだ。
「ほろよい」の魅力
「ほろよい」は、2009年にサントリーから発売されたアルコール度数3%の缶チューハイシリーズである。発売以来、甘くて飲みやすいことが特徴のこの商品は、特に若者やお酒が苦手な層に支持され、現在もおしゃれなデザインと多彩なフレーバーが展開されている。
その結果、缶チューハイ市場の中でも独自のポジションを確立。その結果、ほろよいのヒットを受けて、各社からも低アルコール飲料が続々と登場することになった。
最近では、ビールメーカーも「微アルコール(1〜3%)」の商品を展開し始めており、「ほろよい」誕生から15年近くが経つ今、健康志向の高まりや、無理に酒を飲まないライフスタイルが広がり、従来の「酒に強いのが偉い」という価値観が揺らぎ始めた。アルコールを「無理に飲む時代」は確実に変わりつつあるのだ。
こうして時代の流れを作った「ほろよい」だが、いまだに「ほろよい=弱い酒=子供っぽい」と見なす風潮は根強い。これは、先述した「酒は強いほうが偉い」という価値観が一部でまだ生きているからだ。
しかし、実際のところ「ほろよい」が売れ続けているという事実こそが、「強い酒が正義」という考え方の終焉を物語っている。むしろ今や、「ほろよい」は「強くなくてもいいじゃないか」と堂々と言える時代の象徴なのかもしれない。
だから、「ほろよい」を飲みたい人は堂々と選ぼう。そして、そんなことでマウントを取ってくる輩には、「いやー、俺はこれくらいがちょうどいいんだよね」と余裕の笑みで返せばいい。酒で競う時代は、もう終わってるのだから。