「中村メイコショウ」(1955)の台本
古書店には昔のテレビ台本がたくさん出回っています。
先日、その中からとんでもなく古いものを発見。しかも破格の値段(諭吉でお釣りがくる)。いつもお世話になっている古書店だったので迷わず購入しました。
中村メイコショウ。1955年9月8日放送。ラジオ東京テレビジョン(KRT)。
KRT(現在のTBSテレビ)は1955年4月1日の開局で、1953年8月に開局した日本テレビの次に古い民放テレビ局です。そんな老舗テレビ局の開局1年目の資料が出回っているのを、私ははじめて見ました。
表紙に「桂」というサインがあるので、このドラマの構成を担当した放送作家の桂一郎氏ご本人のものでしょう。じつは同じ古書店からあと3つ、同じく1955年に桂一郎氏が構成した台本が出ていました(2つがKRT、1つがNHK)。
ご本人の保管物が、何らかのルートでまとめて出たのでしょうか。こういうことはしばしばあるようです。ちなみに桂氏は1986年に亡くなっているので、市場に出たのはだいぶ前かもしれません。めぐりめぐって私のところに来たと。
ページをめくると出演者一覧が。
中村メイコの次に名前のある千葉信男は、初期のテレビ番組を調べているとしばしば出会う名前です。巨漢のコメディアンで三木鶏郎グループの出身。個人的には旭化成提供のクイズ番組「ぴよぴよ大学」の回答者のイメージが強いです。
書き込まれた出演者で注目すべきは、左から2人目、肉屋の客と写真屋の二役をやるのが菅原文太とあります。
Wikipediaによると菅原文太の映画デビューは1956年なので、その前、劇団四季の団員時代ということになります。「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」シリーズで東映の看板をはったレジェンドも、最初はこんな仕事をしていたんですね。
さて、私がこの台本を購入したのは古いだけが理由ではありません。もうひとつ大きな理由がありました。
それは、スタジオの写真が貼り込んであるからです。
開局当時のKRTの様子がビジュアルで分かる資料はほとんどありません。TBS社内には残っているかもしれませんが、表には出てきませんので、このような写真はとても貴重です。35ミリの原寸でプリントされていて、全部で31枚貼ってありました。
これはメイコさんですね。私はカメラに詳しくないので分からないのですが、この、周囲が波打っていて角が丸いのはどういうプリントの仕方なんでしょうか。
座り込んでいるのが千葉信男、そして立っているスタイルの良い青年が菅原文太です。
これらの写真がどのタイミングで、なんのために台本に貼られたのかはよく分かりません。リハーサルの写真を本番前に貼って本番に備えたか、あるいは本番の写真を終了後に貼って保存・研究用にしたか。たぶんどちらかです。
難しいですが、写真を見るかぎり本番だと思うんですよね。これは保存・研究用に貼ったのではないかと。
先述した桂さんのその他のテレビ台本にも、すべて同様の写真が貼り込まれているらしいので、これがこの時期の桂さんのスタイルだったのかもしれません。ほかにこういう形で現存している台本ってありますか?当時のテレビ業界全体の習慣ではなく、あくまで桂さん個人の習慣かなと思うのですが、どうなんでしょう。
さて、「中村メイコショウ」はミュージカル仕立ての演劇で、歌と踊りが大好きな貧しい少女の物語です。
メイコはいつもうらやましそうに、バレエ・スタジオを窓ごしに見ている。バレエを習っているお姉さんたちに街を案内しながら、メイコはお姉さんたちと明るく歌い踊る。そこで幸せそうな恋人たちを見て、恋に恋する自分に気づいていく。夢の中で理想の男性と歌い踊るドレス姿のメイコ。しかし目覚めたとき、それが夢でしかないことを悟り、バレエを習うことをあきらめて現実の人生を歩みだしていく。
たぶんそんな筋です。脚本を読むかぎりでは。
1955年9月8日(木)のテレビ欄はこんな感じです(朝日新聞東京版)。
木曜夜8時半は毎週「中村メイコショウ」だったわけではなく、前後1か月で見ると
といった具合でバラバラです。カッコでくくっているのは8時半より前から始まる特番。
出演者はバラバラですが、おおむね「〇〇ショー」という体裁を保っているので、そういう趣旨のレギュラー番組だったのかもしれません。
4月7日から6月2日まではテレビ欄に「メリーゴーラウンド」と書かれているので、これが番組名だと思われますが、6月9日からは個別に「○○ショー」の表記になります。レギュラー番組としての統一的な名称はなかったのかもしれません。台本の表紙にもそれらしき名称はないですし。
そうなってくると、レギュラーのスポンサーはいたのかが気になります。
この頃はスポンサーがつかない番組もたくさんありました。『電通広告年鑑 1956年度』によると、1955年10月第1週の日本テレビの場合、放送時間55時間41分に対してスポンサーがついた売り時間は32時間0分で、約40%を自社負担(サステイニング・プログラム)でまかなっていたとのこと。
KRTのこの番組にもスポンサーがついていなかった可能性はじゅうぶんあります。当時はほとんどの番組が一社提供で、テレビ番組にはスポンサーの冠がつくのが基本ですから、スポンサーがいれば台本の表紙に書くと思うんですよね。何も書いてないということは、サステイニング・プログラムだったのかなと推測しています。
それにしても面白い資料です。桂さんの台本もう一冊買おうかな・・・
【追記】千葉信男氏の没年について
千葉信男氏をネットで検索すると没年月日が1966年8月24日と出てきます。
しかし、「朝日新聞」の訃報には1967年8月10日死去と出ているので、これは間違いです。
コトバンクの出典は「20世紀日本人名事典」(日外アソシエーツ刊、2004年)とあるので、この事典の千葉信男を担当した人が間違えたか、あるいはこの事典をデジタル化するときにコピペか何かを間違えたか。
千葉が出演した最後の映画「喜劇 駅前競馬」のwikipediaには「千葉は公開前に急逝したため、本作が遺作となった」と書いてありますが、本作の公開日は1966年10月29日なので、公開時にはご存命です。
おそらくこのwikipediaを書いた人はコトバンクを見て「公開前に急逝」と判断したのでしょう。ちなみに「朝日新聞」の訃報によると心不全と肝臓障害で何ヵ月も闘病していたそうなので、「急逝」も違います。
ググって最初に出てくる記事が間違っていると、間違いの連鎖が起きるのでたいへんです。コトバンクに修正を提案したほうがよさそうだなあ・・・。
(追伸)
2022年1月10日、コトバンクのサポートにメールを送りました。
2022年1月17日、ご指摘を版元と共有しました、との返事あり。
2022年1月31日、コトバンクが修正されたのを確認しました。