説明できない不安

書きたいことはたくさんあるのに、なかなかうまくまとまらずに下書きばかりが増えている。

何を書いてもなんか違う気がする。

それは文章においてばかりではない。日常全て違和感が強すぎて何も手につかない。

誰と何を話しても虚しいばかりで自分が話している実感もリアリティもない。
話せば話すほど「なんか違う」「言いたかったのはそういうことじゃないんだ」という強い苦しさが襲ってくる。

これは小さい頃からずっとあった感覚でとても慣れた感覚のはずなのに、なぜか最近これがとても強くて私を悩ませている。

例えば職場で他愛のないテレビの話や昔のアイドルの懐かしい話に花が咲いたとする。
すると楽しく話してるはずなのに、なぜかそこで私は突然、深い深い砂の穴にひとりズブズブと沈んでるような身動きが取れなくて苦しくて逃げたいのに逃げられないような強い不安感に襲われてしまう。

相手が嫌いではないのに、その内容に関わらず話したり接したり関わりをもつ事が怖い。
息苦しくて悲しくて苦しい。

いじめられてるわけでもないし、いじわるされてるわけでも、嫌味を言われてるわけでもない。
それでも人が怖い。
相手の感情が怖い。

私の中にある「人はみんな敵」「絶対に心を許してはいけない」「信じてはいけない」「誰も守ってはくれない」「自分を守れるのは自分だけ」、この気持ちは私の中に常にいて私を守り続けている私の中の『保護者』が張り巡らせた頑な結界である。
そしてその彼女(私の中のもう一人の私)はこの結界と強い信念で長い間私を辛い環境から守り続けてきてくれた守り神のようなものなんだと思う。

これがなくなればもう少し楽に生きられるのかな…とも思う。
だけども私はそのもう一人の私を捨てる事が出来ない。
私を守り続けてきてくれた私のたったひとりの味方であり恩人だからである。
彼女がいなければ私はとっくにどうにかなっていたと思う。
彼女はずっと私の唯一の味方でたったひとりの友人だった。

もう必要ないからさようなら、とは言えない。

すると夫が一言こう言った。
「そのもう一人のこはるちゃんのおかげで今のこはるちゃんがあるんだから、きっと否定することも排除する必要もないと思うし、大事にしていいとおもうよ。でも、もうその人(私を守っているもう一人の自分)は充分に頑張ったんだから、もうお休みをあげてもいいんじゃないかな。お疲れさま、今までありがとう、って言ってあげていいんじゃないかな。」

そうか、長い間頑張り続けてくれたもう一人の私にお休みをあげてもいいのかな……。

でもそうしたら、突然私はすっかり無防備になってしまって、身の廻りで起きるどんな小さなことも今までの辛い出来事に結びつけては絶望的になって、自分なんで消えてなくなればいい、と思ってしまう気がする。

つらい。

つらくて不安で恐ろしい。

それでも昨日夫が言った。

「前と違って今はそうやって不安を口にして僕に伝えられてるよね。それはとってもいいことだし、ちゃんと前進してるんだと思うよ。」

そうかなぁ。

そうだといいなぁ。

ところで。
結婚当初から思っていたけど、うちの夫は資格も持ってないし専門知識もないけど、私にとっては史上最高のセラピストだ。
本当に感謝してもしきれない。

「こういう話聞き続けるの苦痛じゃない?」と何度か聞いたけど、「なんでかわからない状態でこはるちゃんが調子悪いより、なぜ辛いのか話してくれた方が安心するから全然いいよ。」だそうだ。
どこまで本当かはわからないけど、いつも変わらずに寄り添って私から吹き出るヘドロの様な会話に付き合ってくれる夫には、本当に心からの感謝しかない。

もしもこの世に神がいるとしたら今の夫は神様が私に与えてくれた最高の贈り物だと思っている。

……あまりちゃんと感謝を伝えてないけど💦

そういえば昨日夫は「今こはるちゃんに大事なのは幼少期にできなかった『やりたい事をやる』という事だと思うんだよ。意思が通らなかったら泣くとかゴネるとか、甘えるとか、やりたいことやる、とか。仕事やめていいからこはるちゃんができなかった子ども時代、わがままでのんびりした生活を気がすむまでちゃんとやってみるといいんじゃないかな。」と言ってくれました。

……優しい。

なんて優しいいい人なんだろう……。

こんないい人がなんで私なんかと結婚したんだろう……。モヤモヤ……。

明日は2度目のカウンセリング。
こういう漠然とした話、うまく話せるかな……。

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