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週末を歩く〜長崎の旅(1)

2024年、ノーベル平和賞が長崎被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与された。

ノーベル平和賞とは国際平和、人命・人権擁護、環境保護などについて功績のあった人または団体に贈られる賞。今、なぜ長崎なのか。私はとりあえず1泊2日の荷物を積み込み長崎へ向けて車を走らせた。
高速でおよそ5時間の旅。

長崎は明治時代の建築物が所々に佇み、海外貿易の歴史や異国情緒を色濃く漂わせる街だ。市内は路面電車が道路中央を走り、信号が特殊なため他県の者には解りにくい。道路が狭く交通量も多いので結構運転には恐怖を感じる。私は佐賀にも寄りたかったので車移動を選んだが、長崎だけであればサクッと飛行機か新幹線で来て、乗車区間に関係なく140円で利用できる路面電車を利用した方がずっと利便性が良いかもしれない。

まずは、かの有名なグラバー園へ。修学旅行で訪れた懐かしい思い出の場所。記憶よりも狭く感じたのは自分の体が成長したからだろうか。

グラバー邸の台所床には明治維新前後の一時期に長崎で生産されたコンニャク煉瓦が敷き詰められている。

坂の上のグラバー園に行くまでの道筋にはお土産屋さんが賑やかに軒を並べ、その一角にひときわ目を惹く絵本美術館や大浦天主堂が佇んでいる。

祈りの丘 絵本美術館
国内外の厳選された絵本が1万冊以上並ぶ。
最初期の洋風建築として国宝指定されている
大浦天主堂。内部のステンドグラスは圧巻。(撮影不可)

じっくり回っていたらお昼をとうに過ぎていた。
長崎の郷土料理、ハトシを食べる。読書アカで以前自己流でハトシを作ったが、本場のものを食べるのは初めて。揚げパンだけど意外に脂っこくなく美味しい。

ハトシとは、エビのすり身や魚のすり身を食パンで挟んで油で揚げたもの。明治時代に清国から伝わった。


午後からはいよいよ原爆資料館へ向かう。

かつて東洋一といわれた壮大な浦上天主堂が、一発の原爆で変わり果てた。被爆した側壁の惨状(再現模型)

中に入ると、静寂の中に柱時計の時を刻む音だけが聞こえてくる。不穏な緊張が否応なしに高まる音.....これは長崎の運命の瞬間を刻む音なのだ。

モニターに映る被爆後の壮絶な人間の姿、姿。ただ悲惨という言葉だけでは言い表せられない。足元から崩れ落ちるような恐怖と怒りに打ちのめされる。

映像、写真、被爆物の数々によって、原爆投下に至る経緯から核兵器開発の現状、平和に向けていかに発信続けているか、それはストーリーを持つ展示になっている。言葉から察するにかなり外国の人が多かったのは通常なのか、平和賞を受けてのことなのか....。

原爆の真の恐ろしさを知る被爆者の方々が世界へ向け長い時間をかけて発信してきたもの。唯一の被爆国に生きる自分の中でも今の平和に甘んじていつしか風化していた気がする。なぜ今、長崎が?と疑問に思った自分の無知さを恥じた。

現在も戦禍にある国々で核の脅威が高まる中、今回のノーベル平和賞は世界の人々が核兵器がもたらすものについて考える一つの契機となることを祈る。

授与されたノーベル平和賞のメダル。現在、世界には威力を増した13,400発の核兵器があるといわれる。

長崎に来てここを訪れて良かったと感慨深く思いながら平和公園へ向かった。

右手は原爆を示し、左は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。世界平和運動の先駆として誕生した銅像。

資料館からは少し離れているこの銅像の前には、多くの白い花束が手向けられていた。その下では笑顔で走り回る子どもたちや写真を撮り微笑み合う恋人たちや家族連れの穏やかな時間が流れている。

明日は、行ってみたかった世界文化遺産の軍艦島へ。

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