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おばあちゃんのことば
祖母が亡くなって8年が過ぎた。
穏やかで優しくて、時々お茶目な顔を見せる人だった。
毎年そのお誕生日には子ども達(私の母やその兄弟姉妹)をはじめ、孫、ひ孫が県外からも勢揃いして誕生会を開く。
なかなか普段会えない叔父叔母や従姉妹と会える賑やかなそのひとときは毎年の楽しみでもあった。
祖母が亡くなってからはみんなが集まることも減っていき、祖母が生きているというだけでどれほどの結集力になっていたかを思う。
亡くなる前に入院した病院で、私は母の代わりに一日付き添いをすることになった。子どもの頃、祖母と一緒に暮らしている従姉妹を羨ましく思ったものだ。祖母は公平な人だったけれど、お盆やお正月で帰省した時は、その家の従姉妹がいつもあたりまえのように祖母と同じ布団で眠る。
たまにうちに遊びに来た時は、帰るのが悲しくて「帰らないで」と泣いて困らせた。
2人だけで1日を過ごしたのは、あの日が初めてだったかもしれない。
祖母は病院のベッドに横たわったまま、自分が10代だった頃の話をしてくれた。海のそばで育った少女時代、祖父とは幼馴染だったこと、時には昔の歌を口ずさんで懐かしそうに微笑む。まるで少女に戻ったみたいに。
静かな個室には暖かい日が差しこんで、私達はずっとおしゃべりを楽しんだ。知らない祖母をみるような驚きがあった。
帰って母にそのことを話すと、「そうよ、おばあちゃん面白い人でね、相談するたびにいろんなことばをかけてもらったなぁ」としんみりする。
結婚した頃、いささか気難しい父方の祖父母の厳しい言葉でしょげていた母に、祖母はこう言ったそうだ。
「◯◯ちゃんはこれからの日の出の人。どうしたって日の入りの人はかなわない。未来は長いのだから自分を信じてがんばりなさい」
母が仕事を続けていく中で、そのことばは折にふれ母を励ましてきたのだと言う。
入院して日に日に弱っていく祖母に、母は話しかけていた。
「お母さん、お母さんがあちらの世界に行く時は心配だから私もついていってあげようかな」と。
もちろん本気ではないだろうと思いながらも私は複雑な思いで聞いていた。祖母はなんと答えたか。
「気持ちはとても嬉しいけれど、それは私のこことここが許しません」と胸と頭を指しながらいたずらっぽく微笑んだあと、母の手をゆっくりと握った。
「きっとそこにも親切な人がいて、こんなにおばあちゃんだから一緒に連れて行ってくれる人がいると思う」
祖母が亡くなる日、意識も混濁していた祖母がその一瞬だけ私にハッキリと話しかけてきた。
「ありがとう」
それが私の聞いた最後の祖母のことばになった。
いつかこの世を去る時、見送ってくれる周りの人に私もこの言葉を最後に伝えられたらいいなと思う。
お葬式の後、一緒に見送った従姉妹がぽつりと呟いた。
「おばあちゃんは天使だったよね」
〜追記〜
先日『ちびねこ亭の思い出ごはん』という本を読んだ。亡くなった人との思い出の食べ物をそのお店で食べている間、亡き人に会えるのだという。
私の心に浮かんだのは祖母で、毎年お盆に帰省してくる子どもや孫たちのために、たくさん柏餅をこしらえていてくれたことを懐かしく思い出した。
「葉っぱを水で濡らすときれいに剥がせるよ」という優しい声と、甘いあんこのたっぷり入ったお餅の柔らかさ。
ちびねこ亭で柏餅を食べながら祖母と何を話そうか。
「お母さんは寂しがっていたけれど、今は元気にしているから心配しないでね」とまずは報告をしたあと...。
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