AIに向かって創作する時代
少し前にもこんな文章をかいたとおもいますが。
2024年も終わりに近づき、AI技術は我々の日常や仕事に密接に絡み合うようになっています。
「AIに食わせる原稿」を書くという新たなライターの仕事というものも登場し始めました。
「読者はAIだけ」ライターの新たな仕事と"2026年問題"とは
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ababed0e02ae1fd171645045584387e9efd4ee69
時給25〜50ドル(約3,560円〜7,100円)という高単価(少なくとも今の日本の物価では)提供されるこの仕事は、従来の「人間に向かって書く」活動とは全く異なる、新しい仕事かと思います。
しかし、これはライティングだけに留まらない現象です。絵画や音楽もまた、同じくAIに消費されるために創作される時代が到来しつつあります。
AIが使いやすいデータとしての音楽、AIが使いやすい一貫性のあるイラスト、今後そういった仕事も出てくるかもしれません。
いらすとやのAIイラスト、あれはもともと人間向けに作成し続けてきたイラストをAIに読み込ませてモデルを作成した例でしたが、そうでなく、初めからAIのモデルデータとして作成するイラストという未来も正直来ると思っています。
例えばアニメとか。
果たして、誰のために書くか、誰のために作るかが人間ではなくなる時代、我々はどのように創作と向き合うべきなのでしょうか?
人間が創作物を享受することは長らく当然とされてきました。
作家が書いた文章、画家が描いた絵、音楽家が奏でた旋律は、すべて人間の感性や理解を前提としてきました。クリエイターは「人間に向けて」作ることで、自己表現を行い、時には感動や共感、深い洞察を他者と共有してきたのです。
しかし、AIが急速に発展する中で、創作物の【鑑賞者】が人間からAIになっていくことも大いに考えられるわけです。
「AIに食わせる原稿」を書くライターの仕事はその典型です。
この原稿は「人間に読まれること」を前提としていない点です。AIのトレーニングデータとして使われるため、文の構成や表現力の美しさではなく、AIが効率的に学習できるかどうかが問われるのです。
似たようなことが絵や音楽にも言えます。AIが絵を学習するために生成される画像や、AIが音楽を作るためのサンプルデータとして提供される音楽は、人間の感性ではなく、AIの学習効率を最大化するための素材に過ぎなくなってしまう可能性があります。
こういった時に、人間は創作を続けるのか、コミュニケーションという対象が人間でなくなった時、金銭的なインセンティブ無しに、人間は創作を取り組むことができるのか、個人的には大変興味があります。
AIから人気を集め、AIからの承認欲求を満たして、それで満足できるのか、と言ったニュアンスですね。
2026年には、多くの専門家がAIの能力が人間の労働を超えると予測しています。特にデジタルコンテンツの分野では、AIが自動で文章や絵、音楽を生成し、それらを消費するのもまたAIという「自給自足」状態が現れるかもしれません。この未来が現実となれば、クリエイターの仕事は大きな変革を迎えるでしょう。人間に向けた創作が減少し、AIに向けた創作が増加することで、従来のクリエイティブな楽しみや自己表現の意味が薄れる危険性すらあります。
AIに向かって書く、描く、演奏するという未来は、我々が想像していたクリエイティブの未来とは大きく異なるかもしれません。しかし、それが我々にとって必ずしも「悪い」未来であるとは限りません。いままで存在しなかったという点では「悪い」かもしれないですが、今のところそれ以上でもそれ以下でもないと思っています。