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「教えたがり」の化け物がSNSで量産される悲劇
「教えたがり」の化け物がSNSで量産される悲劇
SNSを開けば、毎日のように「○○すればいいのに」という言葉が流れてきます。まるで、誰もが簡単に解決策を持っているかのように。
ただ、聞かれてもないSNS上のアドバイスは99%以上の確率で意味のないスパムになっていると思っています。
人間は、他人に教えることで快感を得るようにできているようです。
これは、知識や技術が独占されずに広がり、文化が発展してきた根源的な要因の一つでしょう。
例えば、農耕技術を考えてみてください。もし、最初に稲作を始めた人がその方法を独り占めしていたら、稲作は一部の地域に限定され、多くの人々は飢えに苦しんでいたかもしれません。しかし、人々は「こうすればもっと収穫できるぞ」と教え合い、改良を重ねることで、稲作は広まり、食料生産は安定しました。
これは、人間が持つ「教えたい」という欲求が、社会全体の利益に繋がった良い例です。
しかし、この「教えたい」欲求とSNSは、非常に相性が良い一方で、最悪な組み合わせでもあります。
SNS上では、誰でも簡単に「○○すればいいのに」と発言できます。しかし、多くの場合、それは素人の見当違いな意見に過ぎません。実際にその問題に取り組んでいる人たちは、そんなことはとっくに思いついています。しかし、様々な制約や理由があって、その「簡単な解決策」が実行できないだけなのです。
例えば、あなたが新しいアプリを開発しているとします。SNSで「もっとUIをシンプルにすればいいのに」というコメントを見かけたとしましょう。
しかし、あなたは既に何十時間もUIデザインについて考え、ユーザーテストを繰り返し、様々な制約の中で現在のデザインに辿り着いています。そんな状況で、表面的なコメントを見たらどう感じるでしょうか?
おそらく、「そんなことは言われなくても分かっているし、検証してこれがいいと思っているんだ」と、不快に感じるのではないでしょうか。
さらに残念なことに、こうした「教えたがり」の人々は、「教えることができた」と自己満足してしまう傾向があります。彼らは、実際には何も解決していないにも関わらず、です。
そして、この自己満足は中毒性があります。SNSで簡単に「いいね」やリツイートをもらえてしまうと、ますます「教えたがり」は加速します。その結果、行動もせず、まったく意味のない意見を言い続ける、いわば「口だけ」の化け物になってしまうのです。
バズった投稿に群がる、こういった人々を、あなたも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
昔のインターネットには、「半年ROMれ」という言葉がありました。これは、新しいコミュニティに参加したら、まずは半年間、発言せずにROM(Read Only Member:読むだけの参加者)に徹し、その場の雰囲気やルールを理解しろ、という意味です。
現代のSNSでは、この言葉を知らない人も多いかもしれません。しかし、私はいまだにこの言葉が大好きです。
他人に意見をする前に、まずはその分野について多少は学ぶ、少なくとも、100時間程度は勉強してから意見をしたいものです。これは、単なるマナーの問題ではなく、建設的な議論をするための最低限の条件だと私は思います。
サッカーのルールを何も知らない人と「オフサイドは必要かどうか」みたいな議論できないですよね?
例えば、現代の経済学ついて意見を述べたいなら、まずは経済学の入門書を何冊か読み、主要な経済指標の意味を理解し、過去の経済政策について調べてみるべきでしょう。
なぜ今の税制がこうなっているのかといったことを知らずに「○○すればいいのに」という言葉には意味がありません。
「俺バカだからよくわかんねーけど」という言葉が通用するのはフィクションの世界だけです。
現実世界であれば「バカなら少しはしらべてから話してくれない?」でしょう。
「教えたがり」は、人間の本能的な欲求です。しかし、SNSというツールと組み合わさることで、それは時に有害なものになり得ます。
常に学び続ける姿勢を忘れず、安易な「教えたがり」に陥らないよう、自戒しながら建設的な議論ができる、賢いSNSユーザーでありたいものです。