適応障害の人を救える社会にしていきたい
「適応障害って甘えじゃね?」
と自分が適応障害になるまでは思っていた。
恥ずかしい話だ。
「なんでもストイックにやれる自分はそんな病とは無縁で、今後も関わることはない」と本気で思っていた。
だからかもしれない。
風の噂で自分の知り合いが会社で心を病んでしまったと聞いても、「それは大変だろうな」と同情する一方で、心では納得できない部分があった。
本当に恥ずかしい話だ。
心で納得できた瞬間は、自分が適応障害と診断されたときだったのだから。
♢
適応障害を経験したからこそ言えるが、精神的な病気は気合いで乗り越えるとかそういう問題じゃない。
それはやっぱり職場の雰囲気だったり、仕事の進め方だったり、そういう自分じゃコントロールできない部分が原因でなってしまうのだ。
だから職場を変えるだけで、水を得た魚のように、生き生きと働ける人もたくさんいる。
風邪を引けば薬を処方されるのとなんら変わらない。
適応障害の薬は違う部署だったり、違う会社なのだ。
と、自分が経験したからこそ語れる部分はあるのだけれど、現実はそれを理解してもらうのが難しい。
口では「ダイバーシティだ、共存だ」と言っている一方で、いざ採用となると「うちではちょっとねぇ……」となってしまう会社が多いんじゃないかと思う。
実際に今まで受けた会社のなかでも、適応障害の話をすると、「それって精神的なやつですよね?それは大変でしたね」と以前の僕のような反応をされたことがある。
「もっと自分で職場を変えてやろうと思わなかったんですか?」と半笑いで言われたこともある。
しょうがない、これが現実なんだ。
ちょっと前まではそっち側だった僕に何か言う資格はない。
もちろん採用側の気持ちも理解できる。
適応障害の再発リスクを考えると、「うちじゃなくてもっと他に良い会社があるはず」と適当な言い訳をつけたくもなるだろう。
でも、だ。
そんな世の中でいいんだろうか。
ちょっとの休憩が許されない世の中でいいんだろうか。
♢
転職活動の裏の軸として、「適応障害の人を救える社会にしたい」というのがある。
それは自分が将来人事としてフラットに評価することもかもしれないし、求職支援をすることかもしれないし、そういうサービスを作っている会社にジョインすることかもしれない。
ボヤッとしているけれど、そういう社会を作れる活動をしたいと思っている。
まだまだ世の中には、以前の僕のように適応障害を心から理解できない人がたくさんいるだろう。
経験していない人が、心で納得するのは難しいかもしれない。
でも、少しでも寄り添える社会になってくれたら。
そんな社会を作りたいし、願わずにはいられない。
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