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民俗学小話①マスク社会を民俗学してみる
昨今、というかもう数年来にもなるが、マスク社会についてのあれこれが議論されている。
よく指摘されるのが、欧米圏とのマスク観の違いだ。
アジア圏ほどマスクを好む傾向にあり、とくに日本はダントツなのだから、そこにはきっと、欧米にはない精神性が寄与しているのだろう。
コロナ禍を持ち出さずとも、もとより日本と欧米ではマスクに対する感覚が大きく違うことが示唆されてきた。だいたい欧米のグラサン文化とセットだ。
日本人は目で表情を語り、欧米人は口で語ると。だから日本人は口を隠すことに抵抗がなく、欧米人は逆に目を隠すのだと。顔文字文化の違いもこれを傍証しており、なかなか的確な意見だと思う。
ただ、これは「なぜ日本人はそうなのか?」を説明していないという点で、いささか決定打に欠けるだろう。
ここではひとつ、私の得意分野である民俗学の観点から、日本人が口を隠して目を隠さない理由を考えたい。
もちろん、物事というのはひとつの要因だけで説明しうるものではなく、いろんなバックグラウンドの重ね合わせで生じるものだ。
これこそが唯一無二の真実なのだとほざくつもりはないので、参考程度に読んでほしい。
目と口の怪異
マスク文化とサングラス文化の差は、目を出すか口を出すかという記号性に置き換えられそうだ。
早速、日本文化における目の怪異と口の怪異をざっくり比較してみよう。
目と口の中間たる鼻の部分は、ちょっと扱いが微妙なところだが、ことさらに大きく取り上げられることも少ないパーツなので、目口のどちらに付随した扱いであっても、ひとまず気にしないことにする。
目の怪異というと、『一つ目小僧』や『手の目』などが代表的だろうか。『唐笠お化け』なんかもそうかもしれない。いずれにせよ、彼らは目の怪異というより『一つ目の怪異』と括るべきだろう。
両目が普通についていて、なおかつそれが怪異性に結びついている例というのは、あまりないように思う。一つ目怪異たちは、『マスクをして目だけが露出している』というイメージに重ねられるものではないだろう。
人間の目と近しい意味合いをもつのは……せいぜい、障子にたくさんの目が出現するという『目目連』が、衆人環視の恐怖を想起させる程度だろうか。これだって、錯視効果が怪奇現象のイメージに発展したと言われることが多い。
次に、口の怪異を見てみると、二口女やお歯黒べったりが挙げられる。
二口女は後頭部に口があるという怪異で、あまりマスク云々の話に繋がる要素はなさそうだ。後頭部にマスクをつける人はいないだろう。
一方、お歯黒べったりは『お歯黒を付けた大きな口』が特徴。パーツの位置も数も通常の人間と変わらず、ただ大きくてお歯黒を塗っているだけだ。となれば人間一般に適用できる観念が、裏にありそうに思える。
何より、この妖怪は目鼻を持たない場合が多い。口だけが露出しているという点では、いわばサングラスをかけているのと近しい状態——欧米人的な特徴ともいえる。
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と、現代で妖怪と括られる存在を見てきたが、妖怪という枠を超えると、都市伝説界のスーパースター、口裂け女がいる。
彼女はド直球でマスクをしている怪異だ。
平素は口を隠すことで常人に擬態しており、それを外した瞬間怪異としての本質を見せる。
これはマスクが普及したことで可能となった演出だろう。それまでの怪異は、目鼻の存在を消し去ることで、相対的に口を強調するほかなかった。
より古い伝承
少し時代を遡ってみたい。
『源氏物語』を読むと、『手習』という巻にこんなセリフがある。
「昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ」(昔いたっていう、目も鼻もない女鬼じゃね?)
顔を覆い隠し、ただ事ではない様子で泣く女性に向けられたセリフだ。
言い回しからすると、この時点ですでに、昔の伝承として知られる存在だったようだ。
『源氏物語』の文献初出は1008年なので、どうも西暦3桁の時代にはこの手の観念が知られていた可能性が高い。どの程度広く知られていたかはわからないが、少なくとも紫式部は認知していた。
ここまで見てきた例は女性型怪異ばかりだが、一応その他の例もあり、『遠野物語』に目鼻のない赤ん坊の話が報告されていたりする。
のっぺらぼう伝承の中にも、口だけは存在している例があるようだ。
とはいえ、やっぱり女性と紐づいたイメージの怪異であることは否めない気もする。
古代の”マスク”
もっと古い時代に類例はないだろうか。
あえて言おう『存在する』と。
これは民話や神話の類でなく、考古学的な世界になるのだが、前原長溝遺跡という場所で、変わった頭蓋骨が発見されている。
目鼻が押し潰されているのだ。
下顎の部分だけが相対的に前に出ているといえばわかりやすいだろうか。
鼻から上だけを、仮面を強く縛り付けて長年抑え続けると、ちょうどこんな頭蓋骨になるだろう――って印象の不気味な形状。
中国の纏足や、首長族のように、長年の負荷で肉体を変形させる文化は普遍的にみられる。
目鼻のない女とは、古来、目鼻の潰れた(潰された)女だったのかもしれない。源氏物語の記述と繋げるほどの根拠はないので、『かもしれない』以上のことは言えないのだが。
後世の目鼻のない怪異——ひいてはサングラス型恐怖のルーツがこの変形頭蓋骨だと仮定すると、ある重要な気付きを得られる。
口だけが露出した状態というのは、仮面で顔を押し潰す際の『呼吸確保のための必然』だったのではないか、ということだ。
口が原型を留めているのは結果論であり、本来は顔全体を潰すことに呪術的意味があるものと想像できよう。
この変形頭蓋骨は、別に全国的に発掘されているわけではないので、ごく限られた地域の習俗だったのだろう。
普遍的でないからこそ、多数派からは不気味で異質なものと見なされ、そのおそろしいイメージが語り継がれたのかもしれない。
共同体の内部では大いに意味のある重要儀式が、外部から見れば狂気の沙汰というのは、よくあることだ。オタ芸とか。
日本神話の類似例
変形頭蓋骨という物証は物証で重要なのだが、古代人の考えを知るためには神話を探る必要がある。
先の話から考えると『潰れた顔の持ち主が』『大きな力を有しており』『外部から来た者にとっては、害となる』という条件が見いだせる。
該当するものはあるだろうか。
完全一致とはいかずとも、近しいものはふたつ挙げられる。
第1の神話:イワナガヒメ
まず1つめ。
コノハナサクヤビメという神様がいる。
漫画やゲームなどでモチーフとして取り入れられることも多いので、有名な部類だろう。
咲き誇る花をつかさどる、美しい女神様だ。
彼女にはイワナガヒメという姉妹がいたのをご存じだろうか。
サクヤとは対照的に、信じられないほど醜悪な顔をした、岩石の女神だ。
あるとき、彼女たちの父が、旅の若者を気に入り、娘2人を嫁にやろうとする。
ところが、若者は美しいサクヤだけを娶ることにした。
ブサイクゆえにクーリングオフされたイワナガヒメ。ところが、岩石とは実のところ永久不変の象徴であった。これを捨て去ったがため、若者の子孫は短命の呪いに侵されることになる。
今生きている人間は彼の子孫であるため、短い命しか持たないのだ。
イワナガヒメの醜悪さを、顔面変形によるものと仮定すれば、残りの要素はぴったり合う。
彼女は長命――ひょっとすると永遠の命をも司る、強大な神だ。
ところが、外部から来た若者にとっては、人間の寿命を奪う、恐ろしく不気味な魔といえる。
余談だが、この話のルーツを詳しく知りたければ、バナナ型神話という言葉を調べてみるといいだろう。
第2の神話:ヨモツシコメ
次に、2つ目の神話。
ヨモツシコメというやつがいる。下級神とも鬼ともなんとも表現しがたい存在だ。
イザナギが黄泉から逃げ出すときに、イザナミが追手として放った連中のことである。
イザナギ・イザナミの神話は有名だと思うが、一応あらすじだけまとめよう。なんJ風に。
イザナギ「妻のイザナミが死んでしもうたなぁ……せや! 黄泉に迎えに行って連れ戻したろ!」
イザナギ「おーい、来たで~!」
イザナミ「ファッ!? ワイ準備できてへんわ! ちょっとそこで待っとってや! 絶対に中見たらあかんで! 絶対やぞ!」
イザナギ「ほ~いw(中を覗く)うわ、腐り果ててて草」
イザナミ「くぁwせdrftgyふじこlp(ブチギレて追手を放つ)」
ここでイザナギを追いかけたのがヨモツシコメというわけだ。
ヨモツとは『黄泉の』の意で、シコメとは現代語で『醜悪な女』。漢字でも醜女と書く。
要は地獄のブサイク女ということになる。
醜という字は、単にブサイクであるというニュアンスだけではなく、当時は強大な力を同時に意味したようだ。これは民俗学界では定説として知られる考え方で、とくに死と結びついた力と考えられる場合が多い。
ヨモツシコメ以外では、アシハラシコオという神が、この観念を示唆している。
ちなみに、ヨモツシコメ自体はイザナギに追いつけなかったが、最終的には親玉たるイザナミの呪いで、地上の人間たちが死にまくるようになった。
神話の総括
2つの神話から読み取れることをまとめると、『ブサイク女は人を死に追いやる力をもつ』らしい。
これだけ言うとツイッターで死ぬほど叩かれそうだが、とにかく神話からはそう読み取らざるを得ない。
重要なのは、どちらの神話でも、このブサイクパワーのおそろしさが、外部からやってきた男の視点から見出されるものである点だ。
ここでいう外部とは、大和朝廷・ヤマト王権の視点を指すと考えてよいだろう。書物として後世に残る日本神話、ことに記紀神話は、権力の意図の下で編纂されたものだ。神話上の視点は、彼ら権力者の立場に準拠している。
権力者から見た外部というのは、つまるところ、服属せぬ地方勢力だったのかもしれない。
変形頭蓋骨=ブサイク女と見なす根拠までは見いだせないが、そう考えると面白いよね、という程度のことは言えるだろう。
まとめ
これはあくまで想像に過ぎないと改めて強調しておくが、ストーリーをまとめてみよう。
古代日本のある地方に、朝廷に反抗する驚異的な勢力がいて、朝廷もなかなか征服することができず手を焼いてた。彼らは目鼻を仮面で押し潰した巫女を育て上げており、成熟する頃にはその顔面はおぞましいほどに歪んでいた。これが彼らの呪術的なパワーの根源であった。
王権が統一されたのちも、目鼻の潰された女・口だけが露出した女という記号は、脅威の象徴としてイメージが受け継がれた。
やがて目鼻は完全に存在せぬものとして、のっぺらぼう的な表現に置き換わっていく。
現代に至ってなお、日本人の感性には、目がなく口があるものへの不気味なイメージが根付いている。
だからサングラスはなんだか邪悪そうに見えるのだ。マスクが不審がられないのは、そこから逆説的に生じた感性に過ぎない。まぁマスクはマスクで不審さがあるとは思うのだが、目を隠すよりはずっとマシだから気にならないということだ。
本気で議論しようと思えば、もっと踏み込んだ検証が必要になるだろうし、日本以外の国についても民話や神話を見ていく必要があるだろう。
そんな本格的な検討までは、その場のノリで書いたクソ記事ではやってられないので、ひとつだけ思い付きを述べて締めることにしよう。
ざっくり言うと、欧米圏の方がいわゆる邪視——視線による呪術の文化が根付いてるんじゃないかな。この文化は非常に根強く分布していて、対邪視のお守りだったものが今ではお土産化してたりする地域も多い。
厳密には邪視にあたるわけじゃないんだけど、メデューサの石化能力なんかも有名だ。西洋圏では口より目がおそろしいパーツだったことには納得できそうな気がする。
最後に
最後にご挨拶を。
私はバーチャルYoutuberだ。というかまだ活動開始前のVtuberなのだが。
この記事を読んだ方ならお分かりの通り、神話だの民話だの妖怪だのに割と詳しいのがウリ。
まだYouTubeで活動する準備が整っていないので、手慰みに文章を書き連ねてみたわけなのだが、これから動画なりライブ配信なりもする予定だ。
民俗学の話もすることになると思うので、この記事みたいな話を面白く感じる人は、ぜひお付き合いしてほしい。