贅沢な退屈 ブロムシュテット/NHK交響楽団のベルワルド
サントリーホールで、N響10月B定期を聴いた。
シベリウス:交響詩「4つの伝説」作品22─「トゥオネラの白鳥」
ニールセン:クラリネット協奏曲 作品57
《アンコール》
ニールセン木管五重奏曲 作品43 ― 第2楽章「メヌエット」(抜粋)
(クラリネット、ファゴット、ホルンの三重奏版)
ベルワルド:交響曲第4番 変ホ長調「ナイーヴ」
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
クラリネット:伊藤 圭(N響首席クラリネット奏者)
御年97歳の世界の至宝、ブロムシュテット。無事に来日できるのか?という不安もあったが、予定通り来日。
去年代役騒動が起きたN響、今回はカバー・コンダクターとしてベルギー王立リエージュ・フィル音楽監督のゲルゲイ・マダラシュを起用(そんな制度があるんですね。マダラシュはリハーサルにも参加した様子)。
マダラシュは聴いたことないが、一度聴いてみたい気はするし、世代は全然違うけど代役格という印象はした。
格というのは実力やポストもさることながら「どれくらいの頻度で聴けるか」というプレミア値も大いに関わってくる。いつでも聴ける日本人指揮者が代役になると、その点でガッカリしてしまう。
さて、ぶん殴られる前に釈明しときますが、ブロムシュテットにケチつけたいわけではないですからね😅
いくらnoteという離れ小島で書いてるからといって、石が飛んできてはかなわない😅
最初は「違和感という贅沢」というタイトルにしようと思いましたが、過激なのが好きみたいで……😂
それにね、アクセス数を増やしたいだけなら
ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団 10月B定期
の方が検索に引っかかるんですよ😂
でもそれだとつまんないから、毎回小見出しを考えてるわけです(小見出しファンの方いるかしら……)
一昨年はグリーグのピアノ協奏曲とニールセンの交響曲第3番「広がり」を聴いた。
演奏会のときはそうでもなかったが、しばらくしてから鼻歌で歌うくらいニールセンの3番にハマった。ブロムシュテットのおかげでニールセンの魅力を知れたのだった。
さて、今日はコンサートマスターの郷古さんに身体を支えられながら御大入場。
確かにこの方法で団員と一緒に入場した方が時間の短縮になるし、スマートだ。うまい入場の仕方だと思った。
郷古さんはすっかりコンマスの風格が出て、「タイタニック」のころの全盛期のレオナルド・ディカプリオにも似たイケメンぶり。
御大の登場で、演奏始まってないのに万雷の拍手である。
ブロムシュテットは椅子に座りっぱなしで指揮をするが、両腕がよく動く。まったく音楽が弛緩してなくてびっくり。
ジャン・フルネ/都響のお別れコンサートで聴いたブラームスの2番は、弛緩しまくっていてテンポのろのろだった。
年をとると腕の動きが俊敏でなくなるからそれが自然なのだが、ブロムシュテットは座っていることを除けば全然衰えていない。郷古さんが特別身を乗り出したりもしていない。
今回のコンサートは3曲とも渋すぎた!😵
「トゥオネラの白鳥」は有名だと思うけど、ちゃんと聴いたのは初めてだったかも。他の2曲は完全に「はじめまして」だ。
ブロムシュテット、どの曲もわりとすぐに振り始める。
最近はチェリビダッケみたいにもったいぶる指揮者は絶滅したが、拍手が終わったばかりの客席ってまだざわついてるんだよね。飴ちゃん舐め出す客もいたりするし。
だから私は、聴衆全員が耳をすますチューニング的な時間を設けた方がいいと思っている。いきなり演奏を始めると最初の1、2分はまだ客席がざわついてるからせっかくの演奏が台無しだ。
老巨匠ならではの凄味みたいなオーラは特に感じなかったが(それを思えばヴァントは凄かった)、N響の皆さんはブロムシュテットの手足となって一体化している。
ニールセンはつらかった。私には色彩感が乏しすぎて、グレーのグラデーションをずっと見ているかのようだった。あまりに晦渋で、眠たくなってしまった。
後半のベルワルドはシューベルトやメンデルスゾーンの初期交響曲に近い作風でほっとした。
いまになってコントラバスが下手にあることに気づき、「あ! 対向配置⁉︎」と気づく(前半もおそらくそう)。
ニールセンよりはましだったが、いつも通りまったく予習せずに行ったので、ベルワルドってこんな感じなんだ〜と思うにとどまった。シューベルトの3〜5番に比べるとちょっと馴染みづらいかもね。
今回はシベリウスの途中で傘?が思いきり落ちる大きな音がしたり、近くでひそひそ話してるBBAがいたほかは目立ったマナー違反はなかった。
携帯は鳴らなかったし、フラブラもなし。
ベルワルドの最後、ブロムシュテットの腕が空中で静止したのを聴衆はじっと見つめ、それがガッツポーズに変わった瞬間に、うわーーっと大きな拍手が起きた。
一般参賀もあったと思うが、しばらく前から参加するのに興味がなくなったのでその前に帰った。
今日のプログラムは、食べ物でいったらエスニック料理みたいだ。
エスニック料理店は大きく二つに分けられる。
一つは日本人向けに味付けしてあるレストラン。
もう一つは、現地の味に忠実なレストラン。
後者のエスニック料理店では、初めて出会う味覚がある。
美味しいとも不味いともいえない、独特の味。経験したことのない味だ。
そういう感覚になる機会は年をとるごとに減っていく。
以前こんな記事を書いた。
クラシックの鑑賞は、ともすれば居心地のよい世界に浸るだけの行為になってしまう。
よく知ってる曲。
よく知ってるアーティスト。
よく知ってる解釈。
散々通った店の味を「ここの店は日本一」と言ってるような人も少なくない。
再現芸術だからこそ、新しい曲や演奏家を聴いてみる、現代音楽も聴いてみる、といったアプローチを意識的に取っていないと、心地よい世界に閉じこもるだけになってしまう。
そして、その居心地のいい世界こそが一番優れているのだと錯覚する。
世界最高齢の伝説的シェフが作る未知の味。それはまさに「贅沢な退屈の味」なのだった。