過去最上のブルックナー体験 下野竜也/広島交響楽団の第8番
すみだトリフォニーホールで、「下野竜也 音楽総監督ファイナル 広響創立60周年記念東京公演」を聴いた。
細川俊夫:セレモニー ― フルートとオーケストラのための
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
指揮:下野竜也
フルート:上野由恵
ヴァントを超えた!
大袈裟な!って?😅
いえいえ、その理由をいまから説明します。
私の筆力で今日の感動を言語化できるか不安もありますが🥺
私が今まで生で聴いたブルックナーは朝比奈隆とスクロヴァチェフスキが一番多い。
ヴァントの最後の来日公演の9番も聴けた。
特別好きな作曲家ではないので、いろんな指揮者(若手とか)で聴き比べようという気になれなかった。
ブルックナーの権威による演奏なら聴いてみるか、という姿勢だった。
他には、シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の8番(マッシヴな音の迫力)、ミンコフスキ/都響の5番、ノット/東響の1番、小泉和裕/都響の2番、バーメルト/札響の6番など。
好きな作曲家ではないのによく聴きに行ってたのは、指揮者の「勝負曲」として用いられるからである😅
ただ、私にはどうしてもブルックナーが受け入れられない理由があった。
それは、
・野暮ったさ
・女っ気のなさ
・童貞臭
である。(石投げられそう……😅)
「勝負曲」ならぬ「勝負下着」で喩えるなら、
ラヴェルのピアノ協奏曲はボクサーブリーフのマイケル・ダグラス
だが、
ブル8なんて、白ブリーフのエスパー伊東
にしか感じてなかった😅
8番が一番苦手だった😂
ブルックナーの最高傑作だとは思いますよ!
それだけに「らしさ」が全開で、ブルックナーが苦手な私には耐えられない😭
2番や6番はいい意味でブルックナー臭が薄めなので楽しめた。
ブルックナーが大好きな宇野功芳は
・宇宙の鳴動
・アルプスの大自然
・神の音楽
と賛美しており、「マーラーは所詮人間世界の音楽」とこき下ろしていたが、「だからマーラーの音楽は魅力的なんでしょーが」と思っていた。
マーラーの音楽の人間味にむしろ惹かれていたのである。
今日の下野ブル8の何が凄かったか。
神々しさや彫琢度ではヴァントが上。
豪放磊落なスケールでは朝比奈が上。
パワフルさではシャイーが上。
優美さではバーメルトといい勝負。
では、何がよかったのか。
等身大のブルックナーに感じたのである。
これは徹底されていた。
第4楽章にいたってもティンパニが強打されることはなく、一瞬たりとも力任せのブルックナーになっていなかった。
下野竜也と広響の一体ぶりは凄かった。
指揮者がオーケストラという海の中で揺れる海藻のよう😅
もちろん指揮者がリードしてるのだが、指揮者が仮に倒れても楽団員全員の頭の中に音楽の見取り図ができてるように見えた。
高関健のマラ5と対極だった。
あちらは指揮者がやりたいことをオーケストラに押しつけていた。
そして、オケが指揮者の意図することを咀嚼しきれていなかった。
今日の演奏を聴きながら、
ブルックナーの頭の中ではこの音が鳴っていたのか!
と思った。
これは私には驚きで、今までどんなブルックナーの権威で聴こうとも(シャイーも全集を出してるから権威の一人だろう)、そんな心境には至らなかったのである。
ヴァントや朝比奈のブルックナーからは、ブルックナーよりも神や荘厳なるものを感じさせた。
それはある意味盛られた芸術であったかもしれない。
今日の演奏を聴いて、ただ一回生で聴けた岩城宏之を思い出した。
オーケストラ・アンサンブル金沢との「運命」だった。
ノセダのような熱量とはまた別の魅力があった。
スタイリッシュでスマート。仕立てのいいスーツを着こなすおしゃれなベートーヴェン。
冗談が好きで気さくなベートーヴェン。
そこには肖像画でおなじみの顰めっ面のベートーヴェンとは真逆の人間がいたのである。
作曲家の霊が共感と感謝を捧げに来ている感覚になって、思わずオペラシティの天井を見上げた。
そのときの感覚が蘇った。
今まで大の苦手にしてきたブルックナーだったが、ついに親しみを覚えたのである😅
実人生では老年になっても幼女を追いかけ回していた男だが、フレンドリーな家庭教師の若者にも感じられた(どうしても小学生女子を教えてるイメージにはなるが😂)。
これほどブルックナーの人間味を感じた演奏はなかった(CD含めて)。
それが朝比奈やヴァントを超えて、私の歴代最上のブルックナー体験としたい理由である。
作曲家そのものを感じさせるって一番素晴らしいことではないか?
第3楽章の内容の濃さは尋常ではなかった。
下野竜也と広響のブルックナーは作曲家自身の心象風景だった。
街や森を歩くブルックナーの頭の中を感じることができた。
豊かな楽想の数々から、音楽史に名を残す天才だと改めてわかった。
コーダでは思わず涙ぐんだ。
この美しさはどこから来るのだろう?
私たちは天井から滴る「未来」を必死に受け止めようとするけれど、決して手には残らずすべて地面に落ちて「過去」となる。
「いまこの瞬間」を手にすることは誰にもできない。
しかし、今日「いまこの瞬間」を目にしたような気になった。
芸術の美は(特に一回性の舞台芸術において)、瞬間のもつ貴さに思いを馳せさせるものではなかろうか。
いまこの瞬間、自分が生きているということのかけがけのない貴さ。
生まれた瞬間、消えていく。
CDでは決して味わえない、生の音楽ならではの美しさを下野竜也と広響は見せてくれた。
前半の細川俊夫は、最初は能管のようなフルートの響きを面白く感じていたが、20分も聴いてたら飽きてしまった。
上野さんの表現力は素晴らしいと思ったが、現代音楽って帰り道に口ずさめないから何度も再演されないんだろうね😅
頭で聴く音楽ばかりなんだもん😓(吉松隆、ペルト、ライヒなど例外はあるが……)。
武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」や「セレモニアル」との親和性も感じた。武満徹はもっと演奏されてほしい。
ブルックナーといえば、以前若気の至りで書いたブルックナー小説があります😅
新人賞に応募した140枚の長編の一部ですが、未読の方がいたらぜひ。日本有数の?ブルックナー小説です😅