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ハイドンが好きな男はいない (連作短編1)
違いのわからない男・小清水健一は、ブルックナーの版の違いはわからなくても、ハイドンとモーツァルトの違いは聴きわけられるようになってきた。
こんなことを言うと当たり前だろとオタクに笑われそうだが、もちろん「リンツ」と「軍隊」の違いを言ってるのではなく、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲のことなのは言うまでもない。
世間でハイドンの評価が極めて低いことを小清水は苦々しく思っていた。何を聴いても同じに聴こえる? そんなのブルックナーやマーラーだって同じじゃないか。あるいはスカルラッティやヴィヴァルディにも当てはまる。
何を聴いても同じというのは、北島三郎がEXILEを歌っても「まつり」にしか聞こえないのと一緒である。褒められるべきことであっても、貶される理由がわからない。
水田真理との別離を小清水はときどき思い出す。今年は統一地方選挙があった。今では多少ニュースを見るようになり、国政に限らず都政や区政の選挙にも行っている。
孤独な小清水の人生にとって真理と過ごした時間はかけがえのないものだった。「あずさ2号」の「私にとってあなたは今もまぶしいひとつの青春なんです」はそのまま真理に当てはまるのだった。
ひょっとしたら真理は元カレとまだ身体の関係が続いていて、自分と付き合いながらも(はたして本当に付き合っていたのか確信は持てないが)クラシックを全く聴かないがセックスの相性は抜群の元カレの身体が恋しくなり、自分を傷つけないために選挙にかこつけてふったのかもしれなかった。
そうに違いない。投票に行かないからふるなんて馬鹿げている。そんなことが許されるはずがない。
俺もどうかしていた。真理の好きなアイヒホルンを聴いておけば少しは違った人生を歩めたかもしれない。
人生はいたるところに落とし穴とY字路があるものだ。俺は間違った道を選んでしまった。
小清水は二十年近く前の恋をつい半年前のように懐かしんだ。そして真理の優しさを今になってしみじみ感じるのだった。
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