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クラオタの盲点

クラオタ歴28年の私が最近思うのは……

クラオタはスコア(総譜)を読まない!

ということ😅

スコアとは指揮者用の楽譜のことで、全ての楽器の譜面が書かれている(反対にオーケストラの団員は自分の楽器のパート譜を見て演奏する)。

クラオタは聴き比べには興味があっても、スコアを読むのには興味がない。

ブルックナーの交響曲第8番が大好きで10枚20枚とCDを持っている人のいったい何人が、スコアも持っているだろうか?

私はクラシック鑑賞をラーメンの食べ歩きによく喩えるが、CDをたくさん聴いているというのは名店をたくさん知っているグルメな人みたいなもの。

ではそういう人が料理の知識があるかといったら別の話で、味噌汁を作らせたらお湯に味噌を溶いて終わりということになりかねない。

出来上がった演奏は指揮者の手が加えられたものだから、それを何十種類聴き比べたところで、作品そのものの理解は進まない。

出版されている楽譜ですら、自筆譜とは食い違っているものが多々ある。
とはいえ、まずはスコアに向き合ってみないことには楽曲理解のスタート地点にすら立てない。

私の手元には3冊だけスコアがある。「運命」と「ジュノム」とバッハの「無伴奏パルティータ」である。

好きな曲ならスコアを見て聴くだろうと思って買ったものの、一向にそんな気にならない😅

なぜか?

面倒くさいからだ😂

スコアを読むというのは地道な作業なのである。
本職の音楽家ほどの理解に達しなくても、楽典の知識も多少は必要とされるし、適当にCDを流し聴きしているのとはわけが違う。

本職の音楽家たちは日々スケール練習に取り組んだり、華々しい披露の場以外での地道な練習が欠かせない。
それなのに、スコアも読もうとしないオタクに聴き比べをしただけの経験をもとに偉そうに意見されては敵わないだろう。

野球ファンが監督の采配に文句を言うくらいの気軽さでクラシックファンも音楽家に不満を漏らしても構わないとは思うが、お米を洗剤で洗ってしまうレベルの自称「食通」が得意げになるのも滑稽な話。

いまだにスコアを読むのに億劫感を覚えつつも、オタクとして一皮剥けるために「スコアを読みながら聴く」ことの習慣を始めようと思う今日この頃である😅

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