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8年間不幸せだったわたしへ

私は約8年作業所に通っています。

作業所というのは軽作業をしながら社会復帰の訓練をする施設です。

就職を目指している人もいれば、体調の安定に通っているだけの人もいます。

利用目的は人それぞれです。

今の作業所は4ヵ所目です。

作業所に通い出す1年前まで入院していました。

退院して、母と二人暮らしをしながら家事をやったりして生活していましたが、生活上の揉め事が絶えないので、すっかりノイローゼになりました。

当時の主治医が意見書を書いてくれたおかげで、私は生活保護を受給して一人暮らしすることができました。

今は生活保護と障害年金と作業所の収入で暮らしています。

私は生活保護のことをSNSに書いてきませんでしたが、それは生保バッシングに辟易しているからです。

不正受給しているなら非難されてもかまいませんが、国の制度としてもらっている以上他人に使い道をあれこれ指図される言われはありません。

私は精神障害・発達障害、バイセクシュアル、生活保護という3つのマイノリティに属しているのです(高校中退・大学中退も学歴マイノリティかもしれません)。

作業所に通い始めたとき、生活保護を抜けるというのが一つの目標でした。

それは生保が恥ずかしかったからではありません。

最初の作業所には生活保護を受給してグループホームで暮らしながら就労を目指している女性がいました。
実家を出て生保を使って自立に向けて頑張ってる彼女の姿をかっこよく思いました。

生活保護を抜けるというのはわかりやすい目標だったのです。

障害年金まで一気に止めるのは難しくても、生保分くらいは稼げるようになりたいという目標がありました。

ただ、その目標が私にとっては非常にプレッシャーになっていました。

もともと私は統合失調感情障害という病名でした。
統合失調症と双極性障害の両方の要素のある病気です。

今はどちらの症状もほとんど出なくなりました。
主治医からは「寛解(服薬していれば健康を維持できる状態)に近い」と言われています。

統合失調症も統合失調感情障害も重い病気なので、寛解まで持っていくのは大変だと思います。
私の精神的な症状が動かしようのない「障害」ではなく回復の可能性がある「疾患」だったことは、私を明るい気持ちにさせました。

しかし、自ら申し出た発達障害の検査で、私は自閉スペクトラム症(ASD)の傾向が強いと診断されました。
ADHDの傾向も若干あると言われました。

自閉スペクトラム症は昔で言うアスペルガー障害で、コミュニケーションが苦手だったり、こだわりが強かったり、相手の気持ちを汲み取るのが苦手な障害です。

やっと精神障害を寛解まで持ってきたのに(私の発病は中2くらいです)、今度は発達障害が認定されて目の前が真っ暗になる思いでした。

身に覚えがないわけではないので、診断されてよかったとは思いますが、フルマラソンのゴールテープが見えてきたと思ったらもう1回42.195km走ってねと言われた気持ちでした。

それでもめげずに就労を目指してきて、企業体験実習を3社受けさせてもらったり、応募書類を送ったりしました(面接を受けるところまでは行きませんでした)。

ですが、2月あたりから体調を大幅に崩し、安定して作業所に通えなくなりました。

日曜は統一地方選挙がありました。

毎回毎回変わり映えのしない結果(多少のよい変化はあるにせよ)は私をその都度落ち込ませます。

真面目に働いても幸せになれない国になってるのに、その国を変える唯一の機会である投票に半分の人も行かない。

投票に行かないのは白紙の委任状と私は思ってるので、今のままでよしと思ってる人の多さにうんざりしました。

国が沈没しているのがわかっていながらそこから逃げることができないのがつらいです。

今までですら過度な負荷を自分にかけて体調をしばしば崩してきたのに、就労を目指すとなるとさらに重い負荷がかかってきます。

精神障害と発達障害は外からは見えません。電車に乗っていて私がその二つを持っていると気づかれることはないでしょう。

でも実際は鎧を着て歩いてるようなものなのです。
普通に歩いたり、生活しているだけで、健常者の何十倍も大変なのです。

体調がよくなってきた分、私もそのことに無頓着になって、「これくらいできて当たり前」と感じることが増えてきました。

実際はそんなことはなかったのです。

就労を目指し続けてきたということは、就労していない自分は不満足だという思いを抱えて生きてきたということでしょう。

村上龍の小説にこんな一節があります。

何かが欲しい、という思いをキープするのは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープすることで、それはとても難しい、

村上龍『ラブ&ポップ-トパーズⅡ』

もう諦めてもいい頃合いなのかもと感じてきました。

完全に諦めなくても、「今は無理」という諦めです。

「諦め」という言葉の語源は「明らむ」で、明らかにするという意味らしいです。

いま自分が置かれている状況を明らかにすることで、よりよい未来が見えてくるかもしれません。

就労を目指すのをやめれば、好きな料理のレパートリーを広げたり(最近はほとんど料理できてません)もできますし、図書館で興味のある分野の本を読んで勉強もできる。
人に会いたくなったら趣味のサークルを探したり、地域生活支援センターに行けば同じ病気の人たちに出会えます。

今より生活のゆとりが持てるかもしれません。

人には見えない鎧を着て毎朝会社勤めの人に交じって通所するのに疲れてきました。

もう十分頑張ったじゃないか。
肩の荷を下ろして楽になりたい。

ときどきそういう心境になります。

確実に楽に死ねるスイッチがあったらとっくに押してます。

死に損なって身体障害まで負ったら悲惨なので死ねずにいるだけです。

今日の訪問看護で、

元気だったころの僕のことを忘れないでください

と泣きながら言ったら、そんな遺言みたいなこと言わないでください、また会いましょうねと言われました。

就労にこだわらないで、○○さんが幸せに暮らせるのが一番ですよ、とも。

リハビリの目標として何気なく掲げた「就労」がだんだん私を苦しめていたようです。

いまは作業所で軽作業をしたりPCの訓練をするよりも、ASDの自分とどう付き合っていくかを学ぶ時間を増やしたいです。

ここ2、3日、死んで楽になりたいという気持ちが心を占めていましたが、看護師さんの前で遺言めいたことを言っていったんは楽になりました。

ただ、束の間のことだと思っています。また死の想念に襲われることになるでしょう。

もう十分頑張ったじゃないか。
もう頑張る必要はないよ。

私の心の片隅ではいつもその声が響いています。

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